まだ、見たい空があるから。
視野検査というやつを受けた。ものもらいで眼科を受診した際に、ついでにいろいろと診てもらったのがきっかけだった。視野が狭くなっていく緑内障の傾向があるから、検査を受けたほうがいいという。そんなこと急に言われても、と戸惑ったが、先生はカルテを見ながら神妙な顔つきをしている。一気に不安が押し寄せてきて、心細くて泣きそうになった。
検査当日、少し緊張してクリニックに行った。心配で気持ちが弱っているところに看護師さんたちの優しさがあたたかく、また泣きそうになる。
検査方法は、視界に小さな光が見えたらボタンを押す、というシンプルなもの。光が出現するテンポは一定で音も出るので、自分が何度か見逃していることが明らかにわかる。焦りそうになるが、なんとか集中力を保って両目の検査を終えた。
結果を待つ待合室で、父のことを考えた。
父が仕事からのリタイアを考えはじめたきっかけは職場での怪我だったが、それは緑内障が原因だった。足元に置かれた什器が視界に入っておらず、ぶつかって転倒し、負傷した。何十年と働き慣れた場所でそんな失態をさらしたことが相当ショックだったのだろう。なんで俺が、と言いたげな憮然とした表情で病院のベッドにいた姿を覚えている。
父の緑内障が進行していることがわかったのは、退院し、職場に復帰してしばらく経ってからのこと。気づかないうちにだいぶ視野が狭くなっていたらしい。しかし、見えなくなる恐怖よりも、自分の不注意が原因ではなかった安堵感のほうが、父にとっては大きかった。病気のせいだから仕方ないと自分に言い聞かせ、周囲にもそう言ってもらうことができ、どこかほっとした様子だった。仕事人として守りたかった何かが、きっとあったのだろう。
それでも、一時的に仕事を離れたという事実は父の中で大きかったようで、いつまで働くか、働けるか、どう生きるか、いろいろと考えたらしい。緑内障の治療、会社の規模縮小、同僚達の相次ぐ定年退職など、自身をとりまく環境の変化も続いた。そんななかで、胸の奥にあった地方移住の小さな夢が少しずつ大きくなり、前に進みはじめ、ついには現実になった。退職の直接の理由は移住だったが、父にそれを決断させた最初のきっかけがあの怪我だったとしたら、まさに怪我の功名だったのかもしれない。
私の検査の結果は、「経過観察」。まだ緑内障にはなっていないが、なりかけているともいえる、初期のもっと手前の状態だそうだ。すぐに治療が必要な訳ではないので、定期的に検査をしながら様子をみることになった。やっと、ちょっと安心。もし発症しても早くに治療を始めれば大丈夫だからと言ってくれる先生に、よろしくお願いしますと深く深く頭を下げた。
参考までにと渡されたパンフレットには、緑内障による見え方の変化が、花畑の写真を使って説明されていた。初期のうちは丸い視界のごく一部が欠けているだけだが、中期ではその欠けが横に広がっている。かなり見えづらそうだが、実際はもう片方の目で視野を補うので気づかないことが多いのだそう。末期になると、中央の本当に小さな部分しか見えていなくて、その周囲はすべて不鮮明にぼやけてしまっている。怖いな。こうなったら困るな。きちんと定期検査を受けよう。
それと、ちょっとだけ摂生もしようかな。
両親が住む町の、ばかみたいに広い空をもっと見たいから。ただただ広がる海も、山も、畑も、飽きるほど見に行きたいから。
父と母の顔が浮かんでくる。心配はかけたくないので、今回のことはまだ伝えないでおこう。
視界が狭くなったら、そのぶん、気づけることも減ってしまうんだろうな。笑顔で手を振ってくれている人、道の端から飛び出してきたトカゲ、ビルの間から見える新幹線、昔ながらの丸型ポスト、居酒屋の壁のおすすめメニュー・・・それら全部に気がつかず素通りしている自分を想像するだけで、悲しくなってくる。
見えない、気づけないということは、自分の世界に存在していないのと同じことだ。それについて考えたり心動かされたりする機会まで失ってしまうということだ。むしろそっちのほうが、私にとっては恐怖だった。
当時の父も、同じようなことを考えたのだろうか。私と違い、すでに進行してしまっていたから、その不安はどれほど大きかっただろう。家族には打ち明けなかったけれど、きっとすごく心細かったはずだ。今頃になってそれに気づくなんて、なんとも親不孝な娘なのだった。
幸いなことに、私はまだ悲観的になる状態ではないので、あまり深刻になりすぎないようにしようと思う。これまでどおり毎日を元気に暮らして、なんでもない一日一日を楽しめばいいのだ。
今日もよく晴れている。
洗濯物が乾いて気持ちいい。
相変わらずビールはうまい。
そうだ、私は大丈夫だ。
見たいものをちゃんと見て、いろんなことに気づいて考えて、これからもそうやって歳を重ねていくのだ。私の見ているこの世界は、今日も明日も、あいかわらず続いていくのだから。