本は読むまで分からない
第1章 本屋のたのしみ (11)
本を買うとき、「面白い」か「面白くない」か、「役に立つ」か「役に立たない」かが購入時点で約束されることはない。基本的に「面白そう」「役に立ちそう」という予測に基づいて買う。そして、その本が気に入ったからといって、同じものを繰り返し買うことがない。
これは当たり前のようで特殊なことだ。食品であれば試食もできるし、車は試乗してから買えばいい。シャンプーは髪質に合うものを繰り返し買えばいい。もちろん本も立ち読みができるけれど、最後まですべてを読み終えてから買う人はあまりいない。もちろん、同じ著者やレーベルのものを買うことはある。けれど、プレゼントの場合などを除いて、毎回違うものを買う。
それは売る側も同じで、毎日違う、あたらしいものを売らなければならない。年間に八万点もの本が出版されている。すべてを読んだうえで売ることは物理的に不可能だ。たいていの場合は、買う側も売る側も、面白そうか面白くなさそうか、役に立ちそうか役に立たなそうかを想像しながら、買ったり、売ったりする。これが本屋の楽しさでもある。
本との出会いもまた、人と似て一期一会だ。ぼくは、気になる本はなるべく、その場で買って帰るようにしている。もちろんどこで買っても一緒だから、著者名やタイトルだけをメモしておけば、あとでネットで買うことも、近所の本屋で買うこともできる。図書館で借りることもできてしまう。けれどその瞬間、その本が気になるときの「その感じ」は、もう二度とやってこない。航空券や飲み代と比べたら本はずっと安いし、その本と出会わせてくれた本屋の売上になるほうが、その本屋の応援にもなる。どうせ買うなら、好きな本屋で本を買おう。このような考え方は、「本屋好き」の人たちや、ローカルな経済の循環を大切にする人たちを中心に、少しずつ広まってきていると感じる。
※『これからの本屋読本』(NHK出版)P34-35より転載
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