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あたらしい興味に出会うよろこび

第1章 本屋のたのしみ (7)

 けれど本屋の魅力は、必ずしも目的の本が見つかることだけではない。

 たとえば「芸術」のコーナーに行く。けれど「写真集」のところには、欲しいと思っていたような、月の満ち欠けを撮った写真集は見つからない。むしろ、以前に美術館で見て気になっていた、昔のパリを撮影した写真集が欲しくなる。迷いながらも、次は「理工学書」のコーナーに行く。「宇宙」と書かれた棚の前に行くと、欲しかったような写真集が何冊かあった。けれどすぐ横に、天体観測の入門書が置いてあった。そういえば昔買った望遠鏡が納戸の奥に眠っていたことを思い出す。結局、目的の写真集ではなく、昔のパリの写真集と、天体観測の本を買って、満月の夜に望遠鏡をのぞいてみることにした。

 こんなふうに、結果的に目的とは違う本が欲しくなることもまた、本屋の魅力のひとつだ。未知の出会いを求めるときは、旅先を散歩するときのように、ぶらぶらと歩くのがいいと思う。見知らぬ路地に入っていき、ふと目にとまった店に入るような感覚で、普段ならまったく行くことのないジャンルの棚に行ってみる。

 男性なら、女性誌の棚。女性なら男性誌。医者でなければ医学書、受験生でなければ受験参考書などがわかりやすい。自分の日常生活からはほど遠い、知っているようで知らない世界がそこにある。医学書をながめて「自分の身体はこういう知識をもとに診察されているんだ」と想像をめぐらせることも、気象予報士の問題集をめくって「これで勉強した人が天気を予想しているのに、それでも確実じゃないのか」とその困難を疑似体験することもできる。

 さすがに自分から遠すぎるなと思えば、隣の列をのぞいてみる。せっかくあらゆる世界への扉がそこに開いているのだから、目的の棚にだけ行って、目的の本だけ探すのでは、もったいない。たまに隅々を散歩してみると、いかに自分の視野が狭くなっているかということに気がつく。そうやって、新たな興味が増えていく。

 最初から、世界が狭く偏っている本屋もある。特定分野の専門書店や、趣味が色濃く出ていることを売りにしている本屋などだ。こちらもそれを承知の上で、むしろそれを望んで、店に行く。世界が狭いぶん、深くて広がりがあるから、店の棚に潜っていく独特のおもしろさがある。こういう本屋を何軒もめぐるのも楽しい。

 なかには、欲しい本に自然と出会わせてくれる本屋もある。先日買った天体観測の本のおかげで、満月の夜に無事、月を見ることができた。今度は、個人経営で感じのいい小さな本屋に行く。するとたまたま、先日買わなかった、月の満ち欠けを撮影した写真集がある。パラパラとめくると、やはりプロが撮ったものは違うと感心し、今度はその写真集が欲しくなる。そして横には、岩波文庫の『竹取物語』が置いてあった。そういえばかぐや姫は月に帰るんだ、小さなころに絵本でしか読んだことがなかったな、ということに気づく。するとつい、二冊とも買わされてしまう。

 別の日に来てみると、また同じ写真集が入荷しているが、今度は横に、ウサギの生態の本が置いてある。月にはウサギがいるってことかと、ニヤッとする。そもそも大型書店で「生物」と書かれた棚にでも行かない限り、出会わないような専門書だ。それまで動物の生態に興味を持ったことがなく、そんな本の存在さえ知らなかった。けれどまるで罠を仕掛けられたように、なんだか興味がわいてきて、またつい買ってしまう。

 目的の本が見つかることと、あたらしい興味に出会えること。このふたつのよろこびは、個人的なもので、比べようがない。よい本屋とは何かと聞かれたら、自分にとってそのどちらか、あるいは両方がある本屋だ、とぼくはこたえる。

※『これからの本屋読本』(NHK出版)P24-26より転載


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