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人は褒められて育つ


日本人は真面目な人種だと思う

でないとここまで世界から称賛される文化は築けなかったのではないかとすら思う

アメリカ人からの視点でよくシャイな人種だと言われる通り

昔からのしきたりも相まって奥ゆかしさを美とする風潮がある

最近の破天荒なYouTuberを見ているとそうでもなくなってきたようにも思えるが…

私は今、毎朝5時に起きてヨガをやって、ジョギング、シャワー、スピーチ(アウトプットの練習)を習慣化できている

仕事が休みの日も

多少雨が降っていても関係なく遂行できている


できるようになる前は

『朝起きて眠い中で走る気になれるわけがない』

と思っていたが苦なくやれてる理由について改めて考えてみた


一昔前ならスパルタ教育が推奨されてたが今は『パワハラ』『モラハラ』などの言葉があるようにその教育法は否定される傾向にある

私が高校卒業したあたりからだろうか…

昔の既成概念の強い人は

『俺たちの時代はよく先生から殴られたものだ』

などと誇らしく言う人もいるだろう

(恥ずかしながら10年前は私もこのセリフを使っていた)

それだけ厳しい環境で若い頃を過ごした俺は凄いだろ?と言わんばかりに。


今となっては『そんなものしか過去に誇れそうなものがないのかな?』とすら思えてしまう発言だ


今回伝えたい事は自身が管理者や上司の場合、部下など育てたい相手に『褒める』のではなく

自分の行動や成功に対しても自分を『褒める』のが大事なのではないかと言う事だ

自衛隊時代に培った『何クソ根性』は今の私を成り立たせてくれてる幹の一部だが

情熱を持ち続けるのは難しい

自衛官を辞めても

元同僚に体力的に負けたくない気持ち(よく分からないプライド)から

3、4年ほど走り込みと筋トレを続けていたが

だんだんとその頻度は減って習慣は崩れてしまっていた

エビデンスを重視するメンタリストDAIGOさんがYouTubeで言っていた


『習慣化すればプラスもマイナスの感情も持たずに続けられるようになって自動化され楽に物事をこなせるようになる』


朝のルーティンを続けるにあたって

成果ではなく時間で区切り

目標を最低レベル(スピーチの練習なら5分できたらOKなど)にしてから

『俺はダメなやつだな』と思う事が無くなった

ダメだダメだと自身を責めるのはスパルタ教育に似ている

目標を最低レベル(必ずできそうなレベル)にする事で

達成できた後は自分を褒める選択肢のみになる


これはそのまま自分を褒めて育てる事に繋がる

自分を責めてしまう方は目標が大きすぎるのかもしれない

立派な事だがそれが続くと意思力が低下して

慢性化すると鬱に発展してしまう


三浦春馬さんはどうだったのだろうか


一昨日、俳優の三浦春馬さんがお亡くなりになられたニュースを見た

私にとっては美青年を絵に描いたような人であり

TVを見ていた頃には

目が吸い寄せられる程に容姿も演技も魅力的な俳優さんだった


何が理由だったのかは私ごとき知る由もないし

私には到底考えられないくらいのストレスやプレッシャーの中過ごされてきたのではないかと思うと

「もったいない」とか「なぜ自殺なんか」などと

安易に責める気になれない


お亡くなりになられた今

もし天国があるならば

命を絶ってしまったことを後悔されてなければよいのだが…と

ただただ願うばかりだ






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