見出し画像

プロのオーケストラ打楽器奏者に聞く! (その2) ...マレーシアで活躍するプロのパーカッショニストに聞く 音楽、多言語文化、英語のつながり



はじめに

「様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかか わって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違いま す。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人 の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、 生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいも の、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。」

という趣旨で、筆者は、2007より年『TOEFLメールマガジン』における筆者コラムFor Lifelong Englishにて、各界で英語にかかわる仕事をする人々にインタビューしました。今回も「プロのオーケストラ打楽器奏者に聞く! (その1) ~マレーシアで活躍するプロのパーカッショニストに聞く 音楽、多言語文化、英語のつながり」に続き、菊池清見氏( マレーシアフィルハーモニー管弦楽団、副首席、 ティンパニ・打楽器奏者)に伺いました。

前回(その1) のまとめ


菊池氏は、高校時代に交換留学生として米国に留学したのがきっかけで、フロリ ダ州立大学の音楽科に進学し、そ の後かの有名な名門ジュリアード 音楽学院の大学院に進学し修士号 をとるやプロとして活躍されてい ます。その前向きなエネルギー溢 れる人生に、英語はどのように関 わっていたのでしょうか。音楽の 才能を見い出され、英語を身につ け、そして多言語・多文化の環境を実に楽しんでいらっしゃる菊池さん のこれまでの経歴の中に、英語が上達するカギも隠されているような気 がしてきました。

(その2)では、どのようにして打楽器と英語に出会い、魅せられていった のか、現在の菊池さんの土台を作った学生時代について語っていただき ます。


キッカケは高校2年の交換留学

鈴 木: 菊池さんは日本で小さい頃から打楽器の特別な勉強をされていた のですか?

菊 池: いいえ。音楽は子どもの頃から好きで、ピアノやヴァイオリンを 趣味でやっていましたが、それだけです。兄が吹奏楽部でトラン ペットをやっていたので、それにくっついて小学校4年生から学校 の器楽部に入りました。そこで先生に「君は打楽器に行きなさ い」と言われたのが打楽器との出会いです。以来、中学・高校も 吹奏楽部で打楽器を演奏しました。野球の応援に行ったり、高校 までの吹奏楽はただただ楽しくよく覚えています。

鈴 木: 「スウィングガールズ」という映画がありましたね。東北の高校 生たちが、ある日、みんなでなにかやろうと、吹き始める。特訓 してだんだんうまくなって、コンクールに出る。音楽って楽しい ですよね。英語の勉強は特別にされたのですか。

菊池: 好きでしたけど、別にこれといって勉強したことはありません。 中学の成績も普通でした。あの頃は父が、毎年4月になるとNHK のラジオ講座のテキストをハングル講座から何から全部買ってき ていました(笑)。その影響が少しはあったのかもしれません。 高校で交換留学のポスターを見て、その時点では英語ができる わけではありませんでしたが、ただ行きたいなあ、やってみたい なあという気持ちだけは強く、留学を決意しました。

鈴 木: それは非常に重要なこと。音楽が好きだったこともよかったです ね。留学先の高校生とお互いにシェアするものがあったでしょ う。フロリダに行ったのはなぜですか?

菊池: たまたまです。決定した先がフロリダのニューポートリッチとい う、小さな町でした。タンパから1時間ぐらい北へ行った所です。 レストランに入ると、みんなが振り返るくらい、日本人はめずら しがられました。でも、居心地はよかったです。私は背が高いの で、日本の高校では少し大きすぎるくらいでしたが、向こうへ行 ったら、のびのびできました(笑)。

留学先高校ではシェイクスピアや古英語代表作べオルフを読み、マーチングバンド部で活躍

鈴 木: 留学先の高校はどんなバックグラウンドだったのですか。

菊池: ほとんどがヨーロッパ系アメリカ人でした。1割ぐらいがアフリカ 系アメリカ人で、0.5割ぐらいがヒスパニック系。アジア系は1人 か2人ぐらいでした。日本人のことなど知らなくて、「毎日寿司食 べるの?」とか、「空手できるの?」といった、ステレオタイプ な日本のイメージを伝えられ、逆に新鮮でした。

鈴 木: 僕なんか名字が「鈴木」だから、アルバイトしている時に、「お 前スズキモーターサイクルの息子か」って言われましたね (笑)。ずいぶん昔だけど。 留学先の高校ではたくさん宿題が出て鍛えられたでしょう?

菊池: はい、大変でした。授業にテープレコーダーを持っていって、家 で聞き直して復習して、宿題をやって。卒業したいという希望が あったからできたのだと思います。それがなかったら、もうちょ っと怠けていたかもしれない。シェークスピアとかベオルフとか を読むんです。日本の本を送ってもらったりしても、よくわから なくて。1年で4、5作は読みました。

鈴 木: 1年で4、5作?それは大変。ベオルフなんか古典で、古代英語 (Old English)で書かれている作品だし。一番ついていけない部 分ですよね。

菊池: はい。あとは、アメリカン・ヒストリー、ワールド・ヒストリー の授業が印象に残っています。マセマティックス(数学)は得意 でしたね。あとはやはり音楽です。卒業の前には、好きなトピッ クを選んで論文を書かなければいけませんでした。ベートーヴェ ンについて書きました。

鈴 木: とにかくいろんな授業を取ったわけだ。クラブはやはり吹奏楽部 ですか?

菊池: はい。マーチング・バンドで、フットボールシーズンが終ると、 コンサートに出たりもしました。そうするうちに、吹奏楽の先生 や私のホストファミリーのホス トマザーがいろんな地域のオー ディションやコンテストに連れ て行ってくれるようになりまし た。「この楽譜を勉強しなさ い」と言われたら、16歳の日本 の女の子ですから、ノーとは言 えない。「ハイ、ハイ」と一生 懸命練習して(笑)。そうして受けた中の1つがフロリダ州立大学 のオーディションだったんです。このような流れで進学する大学 まで決まったので、必要となるSATとTOEFLテストの点数を取 り、向こうの高校を卒業しました。

フロリダ州立大学、TOEFL点数アップしスカラーシップ獲得!

鈴 木: アメリカの大きな州立大学にはデパートメント・オブ・ミュージ ックがありますよね。単科の音楽大学ではなく、総合大学の中に 音楽学部や芸術学部があって、普通のカリキュラムのなかで、み んな履修できる。あの制度は音楽や芸術を愛好する層を広くする のに貢献していると常々感じています。学生がしょっちゅう学内 コンサートを開いていたりして。TOEFLテストもクリアできたん ですか?

菊池: いえ、そこでTOEFLテストの点数が届かなかったのです。「次の 機会に受けて規定の点数を取れたら」という条件がつきました。2 ヵ月間でスコアを伸ばせればスカラシップ(奨学金)をあげま す、と。

鈴 木: TOEFLテストの点数が足りない!日本人はここでダメだと思って しまう。だけど、アメリカは「これだけ足りないよ、勉強してス コアを上げなさい、チャンスをあげます」という考え方だから、 落胆することは全然ないんですよね。再受験の前は、どんな勉強 をしたのですか?

菊池: 分厚い問題集を買って、ひたすら勉強しました。

鈴 木: 1年滞在したんだからリスニングはよくできたのではないですか?

菊池: そうですね。時間の制限があるから読解の方が難しかった記憶が あります。

その3)に続きます。


鈴木の一口コメント

今回の菊池さんの話から、アメリカの大学が積極的な人を高く評価する ことがよく分かります。大学や大学院に応募して結果ダメであったとし ましょう。でもそれであきらめてはいけません。どこがダメなのか手紙 を書いて聞くと、その理由を言ってくれます。そこで足りないところを 補うので入学を許可してくれるよう、手紙(petition)を書きます。そ れが認められれば条件付きで入学を許可されることがあります。菊池さ んの場合、TOEFLテストのスコアが届かなかったようですが、そのスコ アを上げることを条件付に入学を許可されました。それどころか奨学金 までもらえたのですからすごい。交渉する能力はとても大切です。菊池 さんは、中学生、高校生の時からクラブ活動などを通してその能力をつ けていったのではないでしょうか。音楽を学びたいという情熱が英語の 力も引っ張っているような感じがします。相当がんばったのでしょう ね。 バックナンバーを読む トップへ戻る 上記は掲載時の情報です。予めご了承ください。 最新情報は関連のウェブページよりご確認ください。

サポートいただけるととても嬉しいです。幼稚園児から社会人まで英語が好きになるよう相談を受けています。いただいたサポートはその為に使わせていただきます。