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英語で落語!?噺家林家染太さんに聞く!(その1)...英語にかかわる仕事をする人々(2008年3月掲載インタビュー記事)


はじめに

TOEFL メールマガジン(TOEFL Web Magazine)の筆者の連載コラムFor Lifelong Englishは、2007年より、以下の趣旨で各界の「英語にかかわる仕事をする人々」にインタビューしました。

「様々な世代の人々が様々な場で、生涯を通して何らかの形で英語にかか わって仕事をしています。英語は人それぞれ、その場その場で違いま す。このシリーズでは、英語を使って活躍する方にお話を聞き、その人 の生活にどう英語が根付いているかを皆さんにご紹介し、英語の魅力、 生涯にわたる楽しさをお伝えしていきます。英語はこんなに楽しいも の、英語は一生つきあえるもの。ぜひ英語を好きになってください。」

今回は3回にわたり2008年に行った英語で落語を広めている異色の新進気鋭の噺家、林家染太師匠(2024年5月現在林家染太師匠ホームページ参照)のインタビューの模様を、TOEFLメールマガジン66号2008年3月、掲載時のままお届けします。


林家染太師匠略歴

林家染太さん 愛媛県松山市出身。 本名、荻山志行 (おぎやましこう) 1975年10月5日、大学教授の父と薬剤 師の母のもとに長男として生まれる。 幼少の頃から人を笑わせる事が大好 き。 松山北高校では応援団で活動。 関西大学入学後、落語研究会に所属、 落語に魅了される。 在学中は学業と落語を両立し教員免許取得。また学費を稼ぐために 人力俥の俥夫(京都観光案内)から家庭教師まで、現在の芸事に繋が るアルバイトにも積極的に励む。英会話学校 「HOEインターナショナル」では英語落語を勉強し、在 学中にアメリカでの海外公演を果たす。(地元の新聞、テレビで絶 賛される) 2002年に噺家、林家染丸(上方落語協会 副会長)に弟子入り。 3年間の厳しい修行生活を経て、落語会、各イベント、テレビ、ラ ジオを中心に活躍中。 2005年夏、ニューヨーク公演を果たす。 2007年夏、カナダ・バンクーバーにて英語落語公演を成功させ る。

ホームページ『林家染太の俺色にソメタ!』(2024年5月現在のサイト参照) 爆笑ブログ更新中 です。 落語と聞いてどんなイメージが 湧くでしょうか。日本の古典文化 と感じますか?それとも身近なエ ンターテインメント?

今回のFor Lifelong Englishは、落語を英語で 発信するというユニークな噺家さ んのうわさを聞き、吉本興業&上 方落語協会に所属の林家染太さん にお話をうかがいました。 英語が特別得意であったわけでもなかった林家さんが、なぜ英語落語を 始めたのか。それにより何を得られたのか。発信する「こと」があって はじめて、伝達ツールとしての「英語」が必要となってくる、それをま さしく実践されている林家さんは、ますます大きな夢を持って笑いのあ る人生を進んでいかれることでしょう。 終始笑いの絶えないインタビ ューの中に、たくさんの前向きな気持ちが詰まっていました。 第一回目となる(その1)は、落語との出会いについてお話を伺いました。 ※笑いあふれる対談でしたので、笑いのあった箇所には を挿入して います。

落語との出会い

鈴 木: 上方落語会の吉本興行所属で現在大阪にお住まいとのことです が、お生まれも大阪ですか?

林 家: いえ、地元は愛媛県松山市、道後温泉の近所です。いい温泉につ かって、ぶくぶくと太り育ちました。

鈴 木: なぜ落語界に進もうと思われたのですか? もともと、漫才とかお笑いが好きだったんです。田舎の育ちです し、僕らの世代で落語は身近ではなかったのですが、中学一年生 の時に、友達に「落語って面白いらしいで」と、当時爆笑王と言 われた桂枝雀師匠の落語会に誘われて、ちょっと変わった中学生 だったので一緒に行ったんです。すごいカルチャーショック受け ましたね。僕の父親ぐらいの年代の人が、僕らをドッカドッカ爆 笑させるんですよ。

鈴 木: 少年、林家染太さんが、同じ日本文化にカルチャーショックを受 けたわけですね。 林家: はい。「こんなおもろいものがあるんかぁ」と思って。それから 図書館に通って、落語のテープやCDを借りたり、本を読んだりし ました。図書館にリクエストカードがあったので、それに書いて どんどんポストに入れていました。だから今、松山の図書館で落 語の本やCDがやけに多いのは、僕のせいやと思いますよ。

鈴 木: そのときから既に落語界に貢献してたんだ。

林家: 少しずつ落語を覚えては、ホームルームで披露していました。人 を笑わすとか、楽しませることが好きやったんですね。将来も人 に楽しんでもらう商売につきたいな、という思いがあり、高校時 代にはもう落語家さんになりたい、という漠然とした青写真は持 っていたのですが、いきなりプロになるのは怖かったので、とり あえず大阪に行こうと思いました。両親にも、いきなり芸人にな る、なんて言うたら、頭がおかしいちゃうか、と思われるので、 とりあえず大義名分を考えて、先生になると言って、関西大学の 文学部国文学科に入りました。先生になりたい言うて怒る親はい ませんので。

鈴 木: 国文学科、いい専攻ですね。落語をするにしては、狙っていまし たね。

林家: はい。江戸時代のお笑いみたいなことをやりたかったので。で も、ほとんど授業は自主休講いたしまして、落語研究会、落研に 入って寄席ばっかり通っていました。

鈴 木: それは、生きた国文学ですよね。井原西鶴だって夏目漱石だっ て、落語を聞いてないわけないですよ。

林家: そりゃそうでしょうね。大きく影響を受けていると思います。 大学三回生の時、両親にちゃんと授 業を受けていないことを気づかれ、 問い詰められて、「実は、落語家に なりたくて」と言うた瞬間に、「も う家に帰って来なくていい」と言わ れました。父親は愛媛大学の工学部生産機械科の教授で厳しい人 やったので、その時からすべてのライフラインが止まりました ね。 それからはもう、必死にいろんなアルバイトをしました。家庭教
師、マクドナルドの店員、それから京都東山で人力車引っ張った りもしました。南禅寺とか平安神宮とか。

鈴 木: ああ、ありますね、そこでまた色々学んだのですね。

林家: そうなんです。よう外国人の方が来はるので、英語しゃべれませ んから”This is Nanzenji”, “This temple is too old.”, ”Heian shrine is too old.”とか、片言の英語で説明していました。京都は 坂が多いし、また乗りたがる人は、なぜかごっつい人が多いんで すよ。

鈴 木: 1人ならいいけど、2人乗ったりしてね。

林家: そう、2人乗りなんですよ、イタリア人2人300キロとかね。もう 押せないんですよ。ちょっと降りてくれ言うて一緒に押してもら ったりとか。

鈴 木: それでネタができますね。

林家: そうですね、実際に落語の中でも、人力車は出てくるんです。明 治時代の初めですね。だから落語の勉強になるかなと思って。

鈴 木: 人力車ってガソリンいらずで、歩くだけでいいですし、エコロジ ーでこんなにいいものはないですよ。若い人は、みんな人力車引 っ張ればいい。バスもタクシーもいらない。 すると、両親には認められないままだったのですか?

林家: いえ。僕はこの世界に入るとき、親と喧嘩して入るのは嫌やった んです。親にも納得してもらおうと思っていました。あるとき両 親から、「あなたの熱意は分かった。ほな、誠意を見せなさい。 とりあえず大学の卒業証書と、国語科の教員免許を持って来なさ い」と言われて、初めて必死に勉強しました。 教育実習で高校生の前で授業をしたんですけど、漢字が読めない んですね、僕は。それで、『雑木林』という漢字ぱっと見たと き、『ざつぼくりん』と読んだんですよ。ものすごい生徒がくす くす笑ってて。担当教員が笑って「『ぞうきばやし』や」て言う て。ほとんどもう漫談のような授業をやっていました。

鈴 木:でも「雑草」は「ざっそう」で「ぞうそう」とはいいませんからね。でも「雑煮」「ざつに」じゃなくて「ぞうに」でしょ。むかしアメリカ人に日本語教えるときに苦労したものです。「ざつ」に読みました!で逃げときゃよかったのかな?

林家: そのときは、もう落語家になると思うてましたんで「最後の授業 は落語します」言うて、教卓に登って、英語落語したら一番ウケ ました。国語の最後に英語落語。担当の先生は、「訳わからん」 言うてました。

鈴 木: どんな感じでやったのですか?

林家: 「Eye Doctor」というお話で、ちょっと目の調子が悪くて、お医 者さんに行くという話なんですけど、そのお医者さんがちょっと 変わっているという・・・

“Hello, hello, isn’t eye doctor here? Isn’t eye doctor here?”

“Oh, yes, oh, yes, what can I do for you?”

“Yes, I have something wrong with my eyes! I cannot read a newspaper!”

“Oh, that is too bad. O.K., just a moment, Doctor! Doctor! We have a patient here!”

と、こんな感じでやっていくんです。

鈴 木: それ自分で考えたんですか?

林家: いいえ、もともと「犬の目」という古典落語があって、それを英 訳したものです。

鈴 木: なるほど。それでやっと教員の免許が取れたのですね。

林家: はい。5年かかったのですが卒業証書も無事手にして、やっと親に 出しました。

鈴 木: けじめはつけたのですね、ちゃんと。

林家:ほんま、英語で色んな失敗ありますよ。この間カナダへ行った時は、バンクーバー空港で税関 を通る時に、”What is your business ? What is your occupation?”て商売を聞かれたときに、落語家って 何て言えばいいのか困るんですよ。とりあえずコメディアンだろうと”I am comedian”て言ったら、発音悪く て通じなくて、”You are  CANADIAN?”て言われましたよ。”No,No,No,No,No, COMEDIAN.”

鈴木:なーるほど、税関も大変だ。

林家:前も飛行機乗った時に、”coffee or tea?”て聞かれて、僕は日本でいうアメリカンコーヒー、ブラックが好きなんで、”Excuse me, I am AMERICAN.”って言っちゃったんですよ。そしたら、ものすごう笑われて。どう見ても日本人やのにっ て。

鈴木:(笑い)

鈴木の一口コメント

英語で「落語」をすることは大変なチャレンジです。まず、「落語」と いうことばじたいをうまく表現できる英語のことばがありません。英語 圏のcomedyとは大分違いますからrakugoということばをそのまま英語 に投入するしかないでしょう。相撲文化が理解されてsumoということ ばが英語になりましたが、「落語」が理解されたらrakugoという語が英 語に定着するでしょう。外国の税関で “I am a rakugo comedian.”と言 えばすぐ分かってもらえるようにさせたいものです。染太さんはそこに 挑戦しています。彼の持ち前の明るさと行動力をもってすれば多くの落 語ファンが海外にもできるでしょう。かくいう私も少年時代からの落語 ファンであり、アメリカン・コメディーのファンです。染太さんの人力 車の話は、1970年代のスーパー・コメデイアン、Bill Cosbyの”Driving in San Francisco”を髣髴させてくれました。

林家染太さんのインタビューの続きは(その2)に。






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