短編小説 |RUMOUR3/6

MESSAGE

1924年、入道雲が立ち込める、夏の京都。京都大学の一室では重苦しい空気が漂っていた。

井坂涼准教授は、机の上に広げられた一通の手紙を何度も読み返していた。その手紙は、恩師である百田教授から届いたものだった。通常なら喜ばしいはずの恩師からの便りが、今回は不安と戸惑いを井坂の心に植え付けていた。

「井坂君、君の力を貸してほしい」

そう始まる手紙の内容は、百田教授の娘、フサからの不可解な手紙の解読を依頼するものだった。井坂は、その依頼の裏に隠された深刻さを感じ取っていた。

フサの手紙。それは、まるで悪夢の記録のようだった。

「山神様に呼ばれています」という一文から始まるその手紙には、フサの体が変化し始めたこと、そして病院の人々が皆「山神様の子供」になっていくという驚くべき内容が綴られていた。手紙の端には「N県立○○病院」と記されており、それが唯一の手がかりだった。

井坂は、窓の外に広がる夏空を見つめながら、深い溜息をついた。1924年、世界は第一次世界大戦の傷跡から立ち直りつつあり、日本も近代化の波に乗って変化の時代を迎えていた。しかし、その一方で、古くからの伝統や迷信がまだ根強く残る地方も多かった。「山神様」という言葉に、井坂は不吉な予感を覚えた。

手紙を再び読み返す。フサの文面には、徐々に増していく恐怖と混乱が滲み出ていた。「体が木の枝のように硬くなっていく」「夜になると、山からの囁きが聞こえる」といった描写は、単なる妄想とは思えない切実さを帯びていた。

井坂は、この謎を解明するためにN県への調査を決意した。しかし、その決断は同時に、自分の人生を大きく変えるかもしれないという不安な予感も伴っていた。

準備を整え、井坂は京都駅から列車に乗り込んだ。車窓に映る景色が、都会の喧騒から静かな田園風景へと変わっていく。その変化は、まるで井坂自身が未知の世界へと足を踏み入れていくかのようだった。

列車の中で、井坂はフサの情報を整理し始めた。フサは看護師として、N県の山奥の病院に赴任したという。その病院で何が起きているのか。「山神様」とは一体何なのか。そして、なぜ人々が変化しているのか。

疑問が次々と湧き上がる中、井坂の耳に不思議な噂が聞こえてきた。隣の席に座っていた老婆が、孫らしき少年に語りかけていた。

「昔からね、あの山には神様が住んでいるって言われてるんだよ。100年に一度、神様が人間を選んで山に連れていくんだって」

その言葉に、井坂は思わず身を乗り出した。老婆の話す「神様」と、フサの手紙に書かれていた「山神様」が、同じものを指しているのではないかと直感したのだ。

しかし、その瞬間、列車が急に揺れ、井坂はバランスを崩した。窓の外を見ると、空が急に暗くなり、遠くの山々が不気味な姿を現し始めていた。

その光景に、井坂は背筋が凍るような恐怖を感じた。まるで、山そのものが生きているかのように見えたのだ。そして、風のような、しかし風とは明らかに違う何かが、井坂の耳元でささやいた。

「来たれ、我が子よ」

井坂は慌てて耳を塞いだ。しかし、その声は耳を通してではなく、直接心に響いてくるようだった。

列車は、どんどん山奥へと進んでいく。窓の外の景色が次第に暗く、そして不気味になっていくのと同じように、井坂の心にも不安と恐怖が忍び寄っていった。

この調査が、単なる学術的な探求ではなく、何か遥かに危険なものになるのではないか。そんな予感が、井坂の心を締め付けていた。

そして、その予感は的中することになる。井坂がまだ知らないところで、「噂」は既に広がり始めていた。そして、その「噂」は、やがて現実となり、多くの人々の運命を変えていくことになるのだった。

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