narumi aoki

photograph/marketing research 慶應義塾大学商学部→某マー…

narumi aoki

photograph/marketing research 慶應義塾大学商学部→某マーケティングリサーチ会社にてマーケコンサル→某デザイン系制作会社にて諸々→フリーで写真を撮るなど

マガジン

  • 日記など

    自分のことを開示しています

  • memo

    読む度心が締め付けられる、或いは笑ってしまう、何にしろ何度も思い出してしまうなど、自分以外の方の文章のメモ。

  • 夢を記録するのは体に良くない

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クッキーを受け取る気持ち

今、こんなに自由な時間があるにも関わらず、結論も出なければ考え足ることもない。こうだな、これが心地よいな、こうしていこう、と思い、数分後には正反対のことを思う。中学生の恋心を連想する。何が正しい訳でもないし、どれだけ考えても決まることなど無いのだと思う。 ただ、どんな時でも自分の中で確固たる気持ちがあり、それが、自分を大切に思ってくれる人間は大切であるということ。 近日のある日、本当は早起きをしようと思っていたが、結局昼まで寝てしまい、起きてから両親と出かけた。 本当は

    • 言語と写真について  

      他人の撮った写真を見て、他人の書いた言語を読むことで、それらの役割が混沌としてくる。知るほどに自由が効かなくなる。そもそも、役割なんかというものは常に明確である必要はない。そして途中段階のことを文章としてしまうことは怖い。それにしても、自分の性質上、数秒前の自分の認識の輪郭は取れている方が良いと思った。下記の文章は仮の個人的な定義であり、かつ常に移り変わるものである。早急に移り変わってしまうことを願っている。 ◎言語としての写真 思考を記録するために視覚化という手段を用い

      • (詩-1) 早朝

        • 石川瑠華ちゃんのZINEの感想/過去を保存する癖について

          石川瑠華ちゃんの文章を読んだ。 女優である彼女は、本が好きで、自身のZINE(小冊子)を作っている。 彼女の言葉はとても繊細で、粗かった。 正しい言葉にしようとするのが酷な程に入り組んでいて、けれどどうしても考えなければならないこと、逃げられないものを一つ一つ見つめていた。これをすることはとても時間がかかるし、とてつもなく苦くて孤独であることを私は知っている。そして、目を凝らさなければ気づかないようなことに、強く囚われてしまう種の人間がこの世界にあまり多くないことも知ってい

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          時効につき公開した内省的な日記

          自分用の日記!!! を、時効につき、公開した(20230711) .... 物心がついてから怒ったことが一度もないと言っても過言ではない、過言ではあるけれどほとんどない私だけれど、つい最近底知れない怒りあるいは悲しみに襲われる出来事があった。 近日までは自分と真正面から対面して腰を据えて戦い将来のことや自分のすべきことについて考えることに精魂を注いでいたが、その出来事によって私の波長は乱れ、過ぎ去った後も定期的に感情が昂る。 セルフコントロールがまだまだ未熟だと思い知

          時効につき公開した内省的な日記

          流行を古典化すること

          流行しているものに関して、注意を払いすぎてしまう場面がある。 この現象は、単に流行っているものや、それらばかりを好む衆を小馬鹿にすることで自分はそうでないのだと思いたいような意識だとばかり思っていたが、近日よりしっくりくる解釈を発見した。 結論を急ぐと、『新しいモノ自体にも、それを見る自分の考察にも風化が必要』ということだ。 流行しているものは、流行しているという前提がある以上、この魅力に見えるものが色眼鏡による一時的なものであると看破することは難しい。 流行している

          流行を古典化すること

          眠っていた下書き

          一年半程前に長年お世話になった大好きな会社を休職しはじめた頃に書き、眠っていた下書きの解放。 読み返してみて、自分でも何を思って書いていたのか思い出せなかったりしたけれど、まあまあ元気そうだな、とか思いました。 人生はいつも言葉の主導権を握るところから始まるし、人生を取り戻すことと言葉を取り戻すことはほとんど同じことだと思う。 よく、休職していた人が会社に戻って「(働いているという)健全な状態」になることを「社会復帰」というけれど、今回、会社をすこし離れることで「(人と

          眠っていた下書き

          優しさの搾取について

          近日、表題について考えることがあった。 優しさの搾取というと字面があまりにもスピリチュアルまたは病んでるようで気が引けるが、これ以上にあてはまる言葉を思いつかなかった。 私の友人知人は皆、知性に富んでいると日々思う。各々の理性に反する粗野な感情が生まれた時もそれを表に出すことをしない。 おそらく、少なからずそこには優しさと自分に対するプライドがある。自分の中の理性で測り良くないと感じるが、感情的には溢れてしまう怒りや悲しみや欲望による発言や行動を抑えることができる。

          優しさの搾取について

          友人への説明責任の話/國松中也賞おめでとう

          実に一歩進んで、二歩下がる。 もちろんとんでもなく前に進んではいる部分はあるが、自分の長所と見ていた点への苦手意識が今はある。 なんとも、こまめに言葉にして自分の真意を確かめるような人との対話が減ったからなのか、ふと思っても無いことを口走ってしまうこと、また、人をおそらく必要以上に怖がってしまうことなど。 現に、少し前の自分から更新の無い友人知人との接点は、更新情報の説明責任があるにも関わらず、それをする荷が今の自分にはなんとも重く、従って(自分の意識としては一時的に)

          友人への説明責任の話/國松中也賞おめでとう

          言葉に邪魔されながら言葉に力を借りる

          自分の中に、複数の人格があるのでは無いかと感じる瞬間がある 実際には、その複数の人格がそれぞれ独立していて干渉しないような所謂「多重人格」ではない。全て自分である自覚もあるし、それぞれを横断して存在する価値観もあり、かつ、バッチリ干渉し合っている。 ただ、自分が何かの事象に関わった時、”環境に合わせている”というよりは、”心底納得する、共感する”、ところから”こちらが自分なのではないか”という地点まで一気に染まっていくことがある。 周囲からは、「共感力」が高いと表現され

          言葉に邪魔されながら言葉に力を借りる

          知っていること≒信頼すること、か

          人の遍歴や過程を知っていることとが人を信頼することとおよそ同義となるのか 人の遍歴や過程を知らずに人のある一部の行動を見た時、自分の過程で固めてきた基準からすると信頼に当たらないと感じること/相手に感じられることがある 遍歴や過程を知っている人からすると、それが全く信頼を損なう内容であるようには思わないし、そもそも行動が読めるし行動の意図も理解ができるのでそれにより信頼を裏切られたと感じることは少ない 自分のおおよその生き様を見ている友人に、例えば仕事の弱音を吐いたとし

          知っていること≒信頼すること、か

          賢いギャル/個人的な最近の迷走について

          結局賢いギャルが最強なのではと -ただただ真面目に箱に入って生きてきた人は、ギャル(俗に言うギャルと近いが、ここでは概念としてのギャル。下記※を意図)の面白さとか強さとかを知らずに馬鹿だと言うだけで知ろうともしない、ギャルからすると「おもんない」 -その一方で、勉強ができない(文字通り勉強ができない、偏差値が〜とかというわけではなく、やろうと思ってもできない、やろうとなった時の頑張り方がわからない、したことが無いので本気で勉強したら何を得られるかわからない、など)と、他の

          賢いギャル/個人的な最近の迷走について

          夏が来い

          毎年4月になると春をすっ飛ばして夏を感じる きっと誰よりも先に夏を感じている というか、春まで進んできたので精一杯なので、もう夏が来いとまで思いはじめる 何故か、夏にはどの季節よりも思い出が詰まってるような気がする この表現は確かフジイコウタから継承した 人任せ、受動的な表現に聞こえるけれど、これは決して怠惰ではなく、ここまで大分頑張ってきたからこその「来い」だと思っている 大学を卒業し社会人1年目を終える頃まで、人と比べる暇もないくらいに毎日自分の”最強に幸せ”

          夏が来い

          人間改造bar/拾い物専門ガーデン

          人間改造bar ここは彼らが行きつけの店らしい 会って間もない2人に連れられ、店に入った すぐに店員にポカリを渡された 初めて見る店内を見回しながら、一口飲む 店の奥には客人が他に3名ほどいるが、それ以上に圧迫感があった 店内には、得体の知れない’何か’が入った瓶や水槽が並べられ、また、いくつかは飽きられたインテリアの様に床に転がっている ふた口目を口にしようとした時、店員と目が合った −−−−今、絶対に笑った だめだ、おかしい、全てを把握した ここは何かを

          人間改造bar/拾い物専門ガーデン

          生きて帰って来ようと思った

          ここにいる、1/2のメンバーが前半と後半に分かれる。 私は前半。コンセ、木幡、國松は後半、あるいは、今回出番はナシ。 手紙を書いて、マスクの口の部分にいれこむ。これをお守りとして、死なないように、とのこと。 3人への手紙をマスクに仕込み握りしめる。 見送りに来たコンセは、私のそのマスクを破った。たしか、うっせえわのリズムに合わせて、破った。 こんなものに頼らないで、生きて帰ってきて、と。 絶対に生きて帰ってこようと思った。 場所は、たしか、代々木か四谷だった。

          生きて帰って来ようと思った

          大人になった人は他人に無干渉であるか

          大学半ば頃から今日の今日まで長らくの間、「大概の事象、選択は本人の意思に委ねられるべき」と、潜在意識的に「人に対して無干渉である義務」を遂行していた ただ、つい最近、私が人に対して無干渉を装うことを人に指摘された 無干渉を装うこと、というよりは、実際に相手に対して無干渉なのが 私の真意であると伝わっていた(おそらく、意図的に真意であるように見せていたのだが) 私は相手やその他周囲に関心がなく、故に信用して良いのかわからない、と 自分は絶対に、素直な感情を失った大人にな

          大人になった人は他人に無干渉であるか