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知っていること≒信頼すること、か

人の遍歴や過程を知っていることとが人を信頼することとおよそ同義となるのか

人の遍歴や過程を知らずに人のある一部の行動を見た時、自分の過程で固めてきた基準からすると信頼に当たらないと感じること/相手に感じられることがある

遍歴や過程を知っている人からすると、それが全く信頼を損なう内容であるようには思わないし、そもそも行動が読めるし行動の意図も理解ができるのでそれにより信頼を裏切られたと感じることは少ない

自分のおおよその生き様を見ている友人に、例えば仕事の弱音を吐いたとして、きっと友人は「いつもは頑張っているのに相当辛いのだろう、心配だ」と思うと思うが、今日初めて会った人に同じことを話したとして、彼/彼女は「愚痴を言われるのがストレスだ、真面目に仕事を頑張れないやつなのか、弱い人間だ」と思うかもしれない。

私は人との距離を測ることが苦手なのかもしれないと思った。

こちらとしては、直感で親近感を覚えたり、その人がどんなことをする人でも背景を含めて受け入れようという覚悟が比較的すぐに整うことが稀にある。

こちらはそうした心持ちを整えている他方で、相手から理解、覚悟されている自分の範囲がわからない、あるいは同じだと思ってしまうことがある。

その時、上記のトラブルが起きる。

そう考えると、初心者向けの自分と上級者向けの自分を使い分ける必要があるし、相手がどの程度自分を知っているかを押し測る力が必要で、なんと、なにも話せないような気持ちになってくる。

長く付き合っていくといずれ、わかる時が来る、初めはどう思われてもいい、とするのか、あるいは(その調整を怠ると長く付き合えるひとが居なくなるので)バッファを持って引きつつ話すのか、悩ましい。




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