賢いギャル/個人的な最近の迷走について

結局賢いギャルが最強なのではと


-ただただ真面目に箱に入って生きてきた人は、ギャル(俗に言うギャルと近いが、ここでは概念としてのギャル。下記※を意図)の面白さとか強さとかを知らずに馬鹿だと言うだけで知ろうともしない、ギャルからすると「おもんない」

 -その一方で、勉強ができない(文字通り勉強ができない、偏差値が〜とかというわけではなく、やろうと思ってもできない、やろうとなった時の頑張り方がわからない、したことが無いので本気で勉強したら何を得られるかわからない、など)と、他の何かを死ぬほど真剣に頑張っても、なんやかんやで賢い人間に備わっている知識や感覚をセンスで捉えることができないシーンに打ち当たるのがとてつもなく情けない。(自分でそれに気付けたらまだマシで、無知の知)

つまり、めちゃくちゃ賢いにも関わらず、賢い人が王道に”ペイする”選択をしている他方で、そうではない事に精根注ぎ、元が賢いが故にそれに関してもなんかやっぱりスゴイ、みたいなギャルが一番カッコ良くないか、と思って目指してきたわけです。


思っていたけども


ただ、今、人生の大きな過渡期にあって
25年間、多くの人や物と関わる中で積み重なっていたサグラダ・ファミリアがガタガタに破壊されているのです。大規模な自然災害。

賢いギャルが云々と言う話だけでは無く、
「新しい友達と仲良くできることは良いことだ」とか「人に迷惑をかけてはいけない」とか「予定がバッティングしたら、基本は先に誘われた方に行く」とか「人の気持ちを考えた我慢はロマンだ」とか「愛は金を凌駕する」とか「大学のサークルを卒業するライブはとてもエモかった」とか「屋根があれば生きていける位の方が逞しくて良い」とか「集中していることがある時は他のことが破滅的に疎かになるが、集中力がすごいとも言えるので正直しょうがない」とか

なんかそんな様なこと。

絶対的にこれは自分にとって確定だ、これからも揺るがない、他を調整していこう、と思っていたそれらに疑念を投げかけ、それから音沙汰が無くなってしまった。




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