思い出の海は、ガラケーの中に
誰もが「粗いサムネイル画像だな」と感じるだろう。
否定しようがない。画素数わずか320万・画像サイズ240×320のSH901isで撮影した、13年も昔の写真なのだから。
数多の機種を渡り歩き、かろうじて今でもiPhone12 miniに残るこの一枚は、大学1年生の夏に行った海と青春への縁でもある。
「朝焼けを見に行こう」
写真同好会の夏合宿の最終日、夜明け前。他学科に所属する同級生が、眠りに就く俺を揺り起こした。文句の一つも言いたいところだが、善意の誘いを気安く断れるほど、俺はまだ彼と打ち解けていなかった。
着替えを済ませ、慌てて向かった民宿の玄関先には、男女合わせて4人の新入生が集っていた。合宿中に少しずつ親交を深めつつあった彼らは皆、首や肩からカメラを下げている。デジタルorフィルムの一眼レフ、或いはトイカメラ。一方、俺はガラケーだけを携えて皆と合流した。フィルムカメラを所持していたものの、合宿中に手持ちのフィルムを使い切ったためである。
夜明け前の護岸沿いを、微妙な距離感の5人が歩く。ぺたぺたとビーチサンダルを鳴かせながら。
会話の内容も相手の声色も思い出せないが、感じていた事柄だけはどうにか呼び起こせる。「いかにも大学生らしいイベントだ」──これは、喜びと自惚れ。「思い切って異性を下の名前で呼ぶべきか、それとも苗字呼びを貫くべきか」「後輩だけで勝手に出歩いてもいいのか」「そもそも朝焼けなんて見られるのか」──こちらは、心配性の子どもらしい不安。
少なくとも、3番目の心配については杞憂に終わった。
東の空に浮かんだ太陽が、緋色と黄金色のグラデーションで天を彩り、同時に海へと反射していく。
先輩たちも、他の新入生たちも知らない、俺たちだけの景色。
皆が揃ってカメラを手にした。一体感に満たされた俺は、抑えきれぬ胸の高鳴りとともに、ガラケーのレンズを太陽と海にかざした。
……それから13年。夏合宿に関する様々な記憶と記録は、俺の中からほぼ失われている。
LINEが存在していなかった当時、サークルに関わる諸々の連絡はメーリングリストで行われていたが、履歴は全て削除済み。先輩が作った「合宿のしおり」も、合宿中にフィルムで撮影したはずの写真も、何処かへ紛失した。挙げ句の果てには、旅行先の地名さえ覚えていない。印象深い出来事だったはずなのに。
この体験で育んだはずの人間関係も、思うように進展しなかった。
俺を誘ってくれた男子は、やがてそりが合わずに疎遠となった。親しく会話を交わしたはずの女子は、夏休み明けに何も告げずサークルを去った。理由はそれぞれ異なるが、友情の輪は完全に途切れてしまった。隔年おきに同窓会で顔を合わせる者が、かろうじて2人居るくらいか。
少なくとも、改めて5人が一堂に会する日は二度と訪れない。「同じ景色を見た者同士の結束」は、甘い幻想と化してしまった。
だが、この出来事は決して幻想ではない。それに、この風景は俺だけのものではない。
俺が懐かしんでいる遠き日の海の思い出は、皆の中でも生き続けているだろうか。
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