※この記事は私の「頭の整理」の為でもある
私は以前「幸せ」に関する記事を2本アップした。
これらの記事では抽象的な言い回しをした。
そして、私の考えは以下であった。
・「幸せ」という言葉が氾濫しすぎている
・「幸せ」は人から学ぶような事ではない
・「幸せ」は押し付けるようなものではない
・「幸せ」は人それぞれ
おそらく私なんかよりも、「幸せ」についてご存じの人は無数にいると思う。
今回は、前回の抽象的な言葉ではなく、
「幸せ」の具体的な意味を追求していきたいと思う。そして「幸せ」の本質とは。
ChatGPTを使い論理的に確認していく。
◆「幸せ」の定義
まずは一般的な「幸せ」について聞いてみる。
プロンプト
#幸せの定義を教えてください
ほとんどの人にとって「幸せ」とは
こういうものなのだろう。
私も例に漏れず、このような事には「幸せ」という感情となる。
しかしこの「幸せ」という感情よりも、本質的な何か、つまりもっと深く知りたいと思っている。
◆「幸せ」は主観的な思想
「幸せ」という言葉は、
人間が作り出したもの。
ChatGPTで出されたような「感覚」を、
「幸せ」と人間が定義付けた。
この人間が作り出した「幸せ」という言葉の表面的な感覚ではなく、「幸せ」の本質的なモノを知りたい。
#プロンプト
幸せは個々が感じるものだと思います。
なぜみんな幸せとはこういうものだ、と他人に言い合っているのですか?
幸せが人それぞれ感じる事であれば、
幸せについて言い合うことなんてないと思う。
・「幸せ」は主観的であり、個々が感じるものであること。
・「幸せ」について語り合うことは、社会的や精神的にも多くのメリットがある。
ということは、「幸せ」は、個々の思想に基づいており本質的なものではない。
◆「思想」とは
「幸せ」は思想的なものという事がわかった。
ではこの「思想」とはなんなのか?
プロンプト
#思想とは何でしょうか。
「幸せ」とは、思想である。
「思想」とは、個人が持つ独自の考え方や信念。
ここまでは、一般的な「幸せ」の話。
「幸せ」とは、個々が持つ思想のこと、
というのは繰り返し確認した。
ではここから、私が知りたい「幸せ」の本質を掘っていく。
◆「思想」と哲学」の違い
本質という言葉で思い当たったのが
「哲学」という事。
ではこれまで確認した「思想」と
これから確認する「哲学」の違いを確認する。
#プロンプト
「思想」と「哲学」の違いはなんですか
「幸せ」という抽象的な問いを探求
これは哲学という事がわかる。
そして哲学とは、根本的な問いに対する理解を深める行動、という事も分かった。
では「幸せ」を、
これまでの思想ではなく哲学的に考える。
そしてそれは「幸せ」の本質へとつながる。
◆「幸せ」の本質とは
ここまで来てようやく、私の知りたかった事となる。つまり「幸せ」の本質的な意味
#プロンプト
幸せの本質とは何ですか?
幸せという言葉の定義は、皆が思想的な意味合いでよく使います。
そうではなく、幸せの本質が知りたいのです。
哲学的な事だと思われますが、分かりやすく出力してください。
・思想的な「幸せ」とは、主観的であり個々が感じるもの。
それは、心理的、物質的、社会的なものである。
これは世間一般で考えられている「幸せ」
・本質的な「幸せ」とは、内面的な満足感、良妊な人間関係、自己実現、そして基本的な物質的ニーズの充足である。
あれ、「思想的な幸せ」と「本質的な幸せ」が「同じような意味」に見える。
これはいったい何なのか。
さらに、哲学者により「幸せ」の定義が異なる。
ここをもう少し掘ってみる。
#プロンプト
哲学者によって幸せの定義が違います。
ということは、幸せについてはそれぞれの哲学者の思想で語っているのでしょうか?
◆まとめ
哲学者により「幸せ」の定義がバラバラ。
そしてそれは哲学者の思想的な話ということ。
古代の哲学者たちがそうであったように、
「幸せ」は個々の思想という事が分かった。
・「幸せ」は個々の思想
・「幸せ」を共感しあうことは重要
・「幸せ」の本質は、思想的な意味合いと変わらない。
以上から、世間一般で嫌と言うほど言われている「幸せ」という事は、表面的なものであれ陳腐なものであれ決して間違いでなく、その言葉を交わし合う行為は必要という事が分かった。
それと同時に本質的な「幸せ」が、
世間一般の「幸せ」とほぼ同義なのも分かった。
◆あとがき
長い記事となったが、私は「幸せ」というのがどういうものかが大まかにわかった。
整理するととてもスッキリする。
いつかどこかで、
哲学者の本は読む必要があると思う。
今読んでもおそらく半分も理解できない。
そして、この「幸せ」というものについて、
疑問がまだある。
・幸せが全てポジティブな事なのか、
・幸せと幸福の違いetc.
それらについては、
また何かの機会で書こうと思う。
「分からない」ことを考え、
自分なりの結論を見つける。
それが、私にとって「幸せ」の一つなのだ。
つづく。
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