幸せについて語る〜後編〜
「幸せ」について書いていたら、長くなりすぎたので2回に分割。
そういえば「幸せ」は分割できるのか。
分割したら「幸せ」ではなくなるのかな。
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本屋に行けば「幸せ」がたくさん転がっている。
それは物理的に「幸せ」と言う単語が、目に入ってくると言う意味。
「幸せ」というタイトルが無数にあり、
たくさんたくさん「幸せ」を感じることができる。
「幸せ」を感じたいのなら本屋に行こう。
本屋に来るお客さんは「幸せ」なのか、
それとも「不幸」だから来ているのか。
どちらなのかは一生わからない。
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私が「幸せ」と口に出す事はない。
正反対の「不幸」と口に出す事もない。
それは「幸せ」が、
あまりにも人工的で
あまりにもややこしくて
あまりにも不気味な言葉だから。
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新月になろうとしている三日月が、
その真っ暗な外界を、細く長く照らし続けている。
埋立地に、無数のタワーマンションが立ち並ぶ。
とても優雅で凛とそびえ立ち、数多の資本を感じることができる。
そこには25年前に開通された、
少し錆びれかかっている高速道路も横たわる。
複数台の長距離トラックとともに、赤いフェラーリとメルセデス・ベンツが、暗闇の中でビュンと風を切って通り過ぎる。
タワーマンションの広い玄関には、背の高い中肉の高級そうなスーツを纏った男と、酒が入って目がトロンとした派手な化粧の細身の女が、腕を組んで入っていく。
玄関のオートロックがパタンと閉まると、外界では不気味にシンと静まる。
そこは真っ暗で、音のない空間となる。
その空間で目を閉じると、何時間も何百時間も浸ることができる。
全身の感覚がなくなっていく。
長距離トラックの風切り音がビュンと鳴り響く。
それに合わせて周りの物音が雑に戻ってくる。
ここは現実なのだ。
顔を上げ、ふと空を見上げる。
空には少しだけ雲がかかっている。
黄色味を帯びた三日月は、
先ほどより0.1mmだけ横に動き、
赤くなったような輝きを見せる。
それが私にとっての「幸せ」のイメージ
つづく。
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