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【エッセイ】なんとなくいい、もの。

私は言語化することが苦手だ。

なにかの感想を求められた時、
うまく言葉で表現できないことが多々ある。

話しているうちに、
何が言いたいのか分からなくなってしまう。

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よく晴れた夏の日だった。
私は美術館へ足を運び、
とある画家の「絵画展」を見に行った。

そこには、彩り豊かな絵や、
モノクロで時代を感じさせる写真など、
そこかしこに張り巡らされていた。

その画家のことは、
何も知らず見に行った。

私が絵を見に行くときは、
なにも調べずに行くのだ。

「絵画展」は1時間半ほどで見回った。
その後、美術館近くで食事をとり帰宅した。

そこで食べた「親子丼」が、
とても美味しかった。

翌日、友人に「絵画展」へ行ったことを話した。

私が話したのは下記の通りだ。
「絵はすごく綺麗で雰囲気があって、画家が生前のモノクロ写真もあったよ。おすすめ!」

表現が稚拙で、酷く簡素だ。
これでは絵の魅力を1%も伝えられていない。

全く酷い表現をした絵画の話。
そのあとに、その美術館近くの店で食べた
「親子丼」の話もした。

「親子丼」の話は、
店の場所やその店の雰囲気、見た目、味など
より具体的に伝えることができた。

私は友人に対し、
絵画を一枚ずつ丁寧に時間をかけて見回り、
心の奥底から感動した1時間半より、

柔らかい鳥とふわふわ卵を食した30分ほうが、
論理的に具体性をもって、とてもうまく伝えられた。

それから数か月が過ぎると、
「絵画展」で見た絵の具体性については、
ほとんど忘れてしまった。

「親子丼」の黄色に艶がかかった見た目や鳥のジューシーで肉汁が溢れるような味は、
いまだに覚えている。

「絵画展」と「親子丼」
同じ三文字だけれども、
それは別の世界で創造されたもののよう。

--
しかし、その「絵画展」で見た、
色彩豊かな絵の「イメージ」は、
いまだに脳裏に刻まれている。

それは私には、
うまく表現ができないモノだった。

造詣が深ければ、
正確な言葉で表現できたのかもしれない。

その時の私に造詣なんてものは無く、
絵画は全てにおいて、
「なんとなくよかった」のだ。

--
いつかどこかで、
「話しかた」の練習をしようと思う。

それとは別に、
「うまく言葉に表せないこと」
という精神性の塊のようなものが、
この世に存在していると感じる。

それは、
話しかたの練習
モノに対しての造詣
会話術
そのような形式では扱えないこと。

うまく言葉で表せないモノほど、
「大切ななにか」と感じている。

「見て」「聞いて」「口にして」「感じて」
『なんとなくいい』というものは、
これからも大切にしたい。

つづく。


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