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生活をおもしろがることについて考えてみた。〜星野源、樹木希林、辻仁成の言葉に触れて〜

 20歳の頃、2年通った大学を辞め、北海道で数か月間住み込みのアルバイトをしていた時期があった。午前中の仕事が終わると、よく街の小さな図書館へ行き、作家名順に並ぶ書棚をあ〜わ行までくまなく眺め、気になった本を手当たり次第読んでいた。

 読んだ本や観た映画の内容は、時間が経つとすぐ忘れてしまうたちなので、当時何を読み、どう感じたか?今はほとんど思い出せない。だけど、誰かがおすすめの本を紹介してくれるブログやSNSなんてまだなかったあの頃、図書館へ通い、自分の嗅覚を頼りにいろんな本を手に取り、多種多様な作品に出会えたという経験は、何かこう、特別な記憶として身体に刻まれている。

 あの日から韓国へ移住するまでの15年間、私は仕事帰りや休日にたびたび書店へ立ち寄り、週末はいつも図書館に通っていた。読みたい本を探しに行くというよりも、「こんな本があったんだ」という偶然の出会いを楽しむために。

 韓国に来てからは日本語の本に飢え、仕方なく、ネットで日本から本を取り寄せたり、中古で買った本を家族に送ってもらったり、電子書籍を買ったりすることでなんとか凌いできた。

 でもやっぱり、何かが足りないのだ。わざわざ本のある場所に出向いていって、その時ピンときた本を選んで読む満足感。それには到底及ばず、日本の本が所狭しと並ぶ場所が、時々恋しくてたまらなくなるのだった。

 そんな私が韓国で時々通うようになったのが、国際交流基金ソウル日本文化センターの文化情報室だ。10年ほど前、韓国留学していた時は、当時住んでいた街・新村(シンチョン)にあったのだが、数年前にソウル駅付近に移転。ここには日本語の書籍(漫画、雑誌も含む)はもちろん、CD・DVDや日本の書籍の韓国語翻訳本も多数揃っている。

 コロナ流行後は一度も行けなくなってしまったものの、先日ふと郵便貸出があったことを思い出し、HPから貸出申請を行ってみた。ソウル以外の地域に在住している場合、図書・雑誌・漫画に限り郵便貸出のサービスが受けられるのだ(但し、会員登録済みの場合に限る。送料は全額利用者負担)。

 蔵書検索を繰り返すうちに、前から読みたいと思っていた星野源さんのエッセイ『そして生活はつづく』と、樹木希林さんが数々の取材で語った言葉を集めた『樹木希林120の遺言 死ぬときぐらい好きにさせてよ』を見つけ、予約した。

 待ちに待った本が家に届き、読み進めていると、今回私がなぜこの2冊に引き寄せられたのか?はっとする瞬間が何度もあった。

 例えば、星野源さんの表現者としての在り方は、前回の記事に書いた辻仁成さんと何か共通しているものを感じたり、星野源さんと樹木希林さんの本の中に、偶然にも「人間の最期」について書かれたページがあったり。

 北海道の図書館へ通っていた頃から、「表現とは」「人が生きるとは」についてずっと考えてきた私にとって、今回借りた本たちから教わったことがたくさんあったので、忘れてしまわぬよう、ここに書き残すことにしたのだった。

 さて、星野源さんといえば、シンガーソングライターであり俳優であり、エッセイストでもある。一方、辻仁成さんは作家であり、ミュージシャンであり、映画監督や演出家としても活動している。

 「“天は二物を与えず”って言うけど、そんなの嘘やん」と思えてしまうほど、このお二人は音楽、ドラマや映画、文芸というジャンルで、マルチな才能を発揮している方たちだ。

 そんな彼らは、自身の幅広い活動についてどう考えているのだろうか、と前から関心があったのだが、星野源さんのエッセイにはこんな風に書いてあった。

 昔から、何かと一つにしぼれない子供だった。(中略)
 やりたいものはやりたいし、欲しいものは全部欲しい。それが変なことだとは特に思っていなかった。だから、音楽と芝居をやり始めたときも、周りから止められてびっくりしたのである。
「どっちかに絞ったほうがいいよ。こういう世界で二足のわらじを履いちゃダメ」
 母親にも言われた。
「あんた不器用だしいつも片手間になるんだから。二兎を追うものは一兎も得ずって言うでしょ」
 まったくその通りだと思う。
 でも、いつもそこでふと考えてしまうのは、一足のわらじを履く人より、二足のわらじを履く人のほうがおもしろくないか?ということだった。(中略)
 もちろん役者の才能も文章の才能も特にないのはわかってたけど、わかってるからこそやれるようになりたいし、上手くできないことだからこそ憧れるわけで。最初からもし上手くできたらそれはそれでいいのかもしれないが、やれなかったことができるようになったらそれはすごいことだし、実はそっちのほうがおもしろいんじゃないかと思う。

    ———星野源著『そして生活は続く』の「部屋探しはつづく」より

 続いて、辻仁成さんの日記(2021年6月1日に更新記事)には、こんなことが書かれていた。

 ぼくは表現者なので、辻仁成という作品が完成するのはぼくが死ぬ時なので、そこまで固定作品(楽曲とか映画とか小説とか)と流動作品(生きてるぼくのことね、笑)の二つを回し続けていきたい。
 固定作品もとっても重要だが、流動作品である生身のぼくがどう生きるか、というのも、ぼくの「芸術活動」の一貫なのである。(中略)
 ライブだったり、料理だったり、子育てだったり、哲学だったり、全部、ぼくの「アート」なのだよ。つまり、そういう気持ちで生きている。
ぼく自体がいつか作品になれればいいなぁ、と思っている。
マジです。

————design stories  自分流塾「人生は楽しめ。ぼくは今日も一人作戦会議開催中。議長辻仁成が語る」より

 このお二人に共通しているのは、自分のやりたいことに忠実で、やりたいことがたくさんあったとしても、それらを全て諦めていないということだろうか。自分で自分を型にはめないというか。誰に何を言われようとも、内にあるものをいろんな形で表現しようとし、そんな自分をおもしろがっているように見える。

 しかし、時にうまくいかなくて落ち込んだり、立ち止まったり、困難に見舞われたりもする。そんなアクシデントすら、またおもしろがって表現の種に変えてしまう。生きること、即ちそれが作品になっていくのだ。

 星野源さんは「表現すること」について、こんな風にも書いていた。

 たとえば私がいま何をしていても気持ちよく、健康で、お金もあって、不自由なことなど一つもない暮らしをしているのならば、表現なんてしなくても全然いい。
 生きづらさを緩和するために表現をするのだし、マイナスがあるからプラスが生まれるわけだし、陰があるから光が美しく見えるのである。不満がなくなり、全てのことに満足したら何もしなくなってしまうだろうなといつも思う。
 だから、逆に不満や不調をなるべくたくさん、自分の心や体が崩壊しないギリギリのラインで保持しておきたい。眼鏡やコンタクトをつけるストレスでさえも、私の仕事の活力になり得るのだ。

  ――――――星野源著『そして生活はつづく』の「眼鏡はつづく」より

 生きづらさが表現への原動力になるとは、確かに。星野源さん、辻仁成さん、樹木希林さんを始め、芸事に関わる多くの人に共通する話として、例えば子ども時代にいじめを経験していたり、学校や職場という集団に馴染めなかったり、風変わりな子として周囲に理解され難かったり。幼い頃から「生きづらさ」を感じて生きてきた人が多いように思う。

 自分自身を振り返ってみても、「詩が書きたい」とか、黙っていても頭の中にたくさん言葉が降りてくる時というのは、人生の困難に直面した後だったり、その最中であったりしたかもしれない。

 中高生の頃、朝早くから夜遅くまで、授業以外は毎日ずっと吹奏楽の練習に明け暮れていた私は、当時クラスに自分の居場所がないと感じていたし、心から話ができる友達がいないと思っていたし、自分の内にあるものを表現できるのは音楽だけだと信じて止まなかった。

 音楽家になる道を諦めざるを得ず、「じゃあ何を目標に生きていけばいいの?」と路頭に迷ってしまった大学生の頃は、文学や映画の世界に魅せられ、「私もいつかフィクションの世界で、人が生きる姿を描いてみたい」と思うようにもなった。

 当時、まだ20代初めだと言うのに朝起きた瞬間から全身がひどく痛く、顎のズレと顔の痙攣に悩まされ、いつも憂鬱で暗いトンネルの中にいるような気分だった。もしあの時、私が元気いっぱいで夢や希望にあふれ、やりたい勉強があり、やりたい仕事が明確な学生だったら、「表現したい」なんて思わなかったかもしれないなと、星野源さんの言葉を読んで思ったのだった。

 話は戻って、自分の内面を表現していくという行為は、何も歌を作ったり舞台に立ったり、文章を書いたり、絵を描いたりするアーティストだけに与えられた特権ではないし、「命尽きるその日まで、自分の人生をおもしろおかしく生きる」ということも、立派な表現活動だなと最近思うようになった。

 こう考えるようになったのは、樹木希林さんが遺した言葉の影響がとても大きい。

“楽しむのではなくて、面白がることよ。楽しむというのは客観的でしょう。中に入って面白がるの。面白がらなきゃ、やっていけないもの、この世の中。”

何か自分で行き詰まった時に、そこの行き詰まった場所だけ見ないで、ちょっと後ろ側から見てみるという、そのゆとりさえあれば、そんなに人生捨てたもんじゃないなというふうに今頃になって思ってますので。
 どうぞ、物事を面白く受け取って愉快に生きて。お互いにっていうとおこがましいけど、そんなふうに思っています。あんまり頑張らないで、でもへこたれないで。”

“私が今思うのは、よく六十五まで来たなと。役者に合ってない合ってないってずっと思いながら、センスだとか才能だとかないなぁって思いながら、さて、これで終われるのかなぁと。ただ、やっぱりね、いつまで経っても、人間として、何て言うか、豊かな人間に、どの方向へ行ったらなれるのかなぁって、役者としての仕事より、そっちのほうに興味が行ってるんですよ。

  ————『樹木希林120の遺言 死ぬときぐらい好きにさせてよ』より

 樹木さん自身は「表現」という言い方をしていないけれど、暮らし方、家族との関わり方、芸事への向き合い方、人前での言葉の発し方など、その生き様すべてに「おもしろがって生きようとする姿勢」がにじみ出ていたように思う。

 自分の人生をおもしろがることについては、星野源さんのエッセイの中にも、こんなエピソードが綴られていた。

 つまらない毎日の生活をおもしろがること。これがこのエッセイのテーマだ。(中略)
 全ての人に平等に課せられているものは、いずれ訪れる「死」と、それまで延々とつづく「生活」だけなのである。
 でも私は、生活というものがすごく苦手だ。

 この先の話を要約すると、彼は昔から劣等感の塊のような自分から逃げたいと思い、映画や芝居、音楽やマンガに夢中になり、その中のいくつかを職業にしたそうなのだ。

 しかし、仕事から現実の世界に引き戻される時、とてつもない虚無感に襲われることに気づく。そこで、虚しさを感じる暇がないくらい仕事を増やしたら、ある日過労で倒れてしまった。その時、母親からこう言われ、ハッとしたという。

掃除とか洗濯とかそういう毎日の地味な生活を大事にしないでしょあんた。だからそういうことになるの」

 この時「私は生活が嫌いだったのだ」と自覚した彼は、「生活を置いてきぼりにすることは、もう一人の自分を置いてきぼりにすることと同じだ」ということに気づき、生活を大事にしたいと考えるようになったそうだ。

 しかし、ただ無理矢理生活に向き合うだけじゃすぐに飽きて同じ失敗をしかねない。むやみに頑張るのではなく、毎日の地味な部分をしっかりと見つめつつ、その中におもしろさを見出すことができれば、楽しい上にちゃんと生活をすることができるはずだ。そしたらあの「とてつもない虚無感」もなくなるかもしれないし、感じたことを表すのも上手になるかもしれない

 「生活をおもしろがる」ことで自分の表現の幅が広がるということは、その後の星野源さんの活躍を見ていると明白だろう。

 辻仁成さんの日記にも、同じことの繰り返しのように見える毎日をおもしろがる辻さんの様子が綴られている。買い物に行く、料理をする、息子や街の人と語らう、コーヒーを淹れる、ギターを弾く、散歩やランニングをする。こう書くと何てことのないように見える日常も、作家の彼の手にかかると、特別な人生の1ページに見えてくるのだ。

 こんな風に、自分の最期の瞬間がやって来るその日まで、日々の生活をおもしろがって生きる。そんな姿に、その人だけの個性や魅力———「表現」がにじみ出る気がするのである。

 60を越えてガンと診断され、10数年にわたり治療を受けながら暮らしてきた樹木希林さんは、人生最期に表現したい自分の在り方について、こんな言葉を述べている。

 “ゆくゆくは子供と一緒に住みます。面倒はみませんけど、面倒はみてもらいます。
 自分のためには一人のほうがむしろ気楽なんですよ。でも、うちの娘なり、婿なり、その子供たちが、私の死に際を実感として感じられる。ずっと離れて暮らしていると、あまり感じられないのですね。「人は死ぬ」と実感できれば、しっかり生きられると思う。
 終了するまでに美しくなりたい、という理想はあるのですよ。ある種の執着を一切捨てた中で、地上にすぽーんといて、肩の力がすっと抜けて。存在そのものが、人が見た時にはっと息を飲むような人間になりたい。形に出てくるものではなくて、心の器量ね。”

死というものを日常にしてあげたいなと。子供たちに、孫たちに。そうすれば怖くなくなる、そうすれば人を大事にする。

 —————『樹木希林120の遺言 死ぬときぐらい好きにさせてよ』より


 このように樹木さんが「死に際を実感として感じられる」という体験を家族にさせてあげたいと語っていた一方で、奇遇なことに星野源さんは、そのような場面を実際に体験した時のことをエッセイに綴っていた。

 下記の引用は、八百屋を営んでいた87歳の祖父が亡くなった時のことを書いた「おじいちゃんはつづく」のエピソードである。

 それまで身近な人の死というものは当然、つらく落ち込むものだと思っていたのに、体に触れた瞬間、異常に前向きになっている自分がいて、とにかく生きたいとむやみに思った。思いすぎてちょっと笑っちゃったのだ。
 親戚のみんなも心なしかニコニコしている。家全体に健康的なムードが流れていて、すごくおもしろかった。
 しっかり生きた人の死に触れるということは、こんなにも元気づけられるものなのか。私は、おじいちゃんの足に足袋を履かせながら、とても感心したのだ。
           ――――――星野源著『そして生活はつづく』より

 お二人の文章を読み、生活をおもしろがって自分の人生をしっかり生きた人の最期は、周りの人に生きる勇気を与えることができるんだ、と思ったし、それって人間にできる究極の「表現」じゃないのか、とも感じたのだった。

 最後に、今回もう1冊、たまたま目に留まり借りた本『ベスト・エッセイ』の中で、樹木希林さんにまつわる話を見つけた。それは、私が密かに「樹木さんの代表作ってこれじゃないのかな」と思っている映画『あん』(河瀨直美監督)の原作を書いた、ドリアン助川さんの文章だった。

 希林さんはよく、「人間の裏まで見る悪い性格なの」とご自身を評されていた。だが、これほど細やかに、斬新なユーモアをもって人々を包み込んだ女優を私は知らない。いや、女優という枠を越えて、希林さんは私たちの心を温め続けてくれた人の世の華であった。

———日本文藝家教会編『ベスト・エッセイ』収録、ドリアン助川「私たちの心包んだ人の世の華」より

 借りた時は、まさか『ベスト・エッセイ』の中に樹木希林さんの話が登場するなんて思いもしなかったので、ドリアン助川さんのエッセイを見つけて本当に驚いたし、嬉しかった。

 人との出会いと同じく、本との出会いにもタイミングがあり、縁があるようだ。求めていてもいなくても、今の自分に必要な本は、必要な時に、向こうからやって来てくれるような気がしてならない。

 「海外暮らしで日本語の本に飢えていたから、国際交流基金で本を借りてみた」と書いてしまえば数行で済んでしまう話だったれど、私も自分の身に起きた小さな偶然や、ささいな発見を見過ごさず書き残そうとしたら、1つの文章———今の私にできる表現が生まれた。

 この文章にぴったり合うイラストや写真を見つけられなかったので、自分で描いてみたりもした。下手でも何でも、「無いなら自分で作ってみる」というのは、すごく楽しい。(注:樹木さんの絵は、舌を出している写真を見て描いたのだけど模写力及ばず…涙)

 そうか、つまり「生活をおもしろがる」っていうことは、誰かにやってもらったり誰かに与えてもらうのを待つ姿勢ではなく、どうやればうまく、おいしく、楽しくできるかを自分で考え、挑戦したり、工夫したり、改善したりすることなんだな。

 うまくまとめきれないけれど、自分の内にあるものを何らかの形で表現したいと考えている人は特に、「つまらない」とか「当たり前」って思いがちな自分の生活をおもしろがることから始めてみると、いろんなことに気づけるんじゃないだろうか。

 まずは今日の夕飯づくりから、トイレ掃除から、洗濯物たたみから。何か1つでも、いつもよりおもしろがってやっちゃいましょうよ。一緒に。「やっぱ面倒くさいな!」ってなるかもしれないけど、嫌々やるより、きっと、ずっと楽しいはず…!

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