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韓国で、母親5年目。

 先日、4歳の息子が保育園を卒園しました。入園したのは、流行り病で世界が大混乱していた2020年5月。その年の初めに大きな病気が見つかり、3月に入院•手術した相方を支えながら、活発な1歳半の息子を家庭保育することに限界を感じていた私は、5月のある日、近所の保育園にアポなしで突撃訪問したのでした。

 その時、保育園はちょうど給食の時間でしたが、「どうぞどうぞ」と優しく招き入れてくれた先生がいました。その方の印象がとても良く、彼女が1歳クラスの担任だと聞いた瞬間、私は「ここに通わせたい」と心に決めました。運良く1人だけ空きがあったので、その日のうちに即入園。韓国ドラマさながらの急展開に、わが家の危機を2か月手伝いに来てくれていた母も、横で目を丸くしていました。翌日母が日本へ帰国し、力強い助っ人を失った私は、早速息子を保育園に預け、心の支えを得たのでした。

 入園から3か月後、園長が突然別の人に変わるという韓国あるあるの事件(?!)が起こり、それに伴い先生たちも少しずつ入れ替わっていきました。1歳クラスの担任だった先生も、昨年秋に体調を崩し、突然退職。外国人母の慣れない子育てをいつも気にかけ、応援してくれていたその先生は、勤務最後の日、別れを惜しむ私をぎゅっと抱き締めてくれました。息子にとっては人生最初に出会った「先生」でしたが、私にとっては一生忘れられない「恩人」になりました。

 さて、そんな思い出深い保育園をいよいよ旅立つ日。夕方まで園に残っていたのは息子と、同じクラスのAくんだけでした。Aくんは、入園した1歳半の頃から毎日ずっと一緒に遊んできた仲。彼のお母さんはこの3年間「今度お茶しましょう」と何度も言ってくれていたのに、一度も実現できないまま卒園の日を迎えてしまいました。

「私、乳ガンで手術することになっちゃって、もうすぐ入院するんです。みんな、慰めてくれませんか?」

 いつだったかAくんのママが、同じクラスのママたちに向けて、団体カカオトーク(SNSアプリ)でこんな告白をした日のことは、今でも忘れられません。

 無事に手術を終えて退院した頃、保育園にAくんを迎えにきた彼女は、ロングヘアーのウィッグがとても良く似合っていました。保育園の先生たちからの称賛に、笑顔で応えていたAくんのママ。彼女はいつどこで会っても、ニコニコと笑っている人でした。

 その後、何度か入退院を繰り返しながらも治療をすべて終え、仕事を再開したと聞きました。近くに住みながら、何の助けになることもできなかった自分がはがゆく、残念でならなかったからこそ、お茶の約束は近いうちに必ず実現させたい。そう思っています。

 Aくんと遊んでいた息子が玄関に出てきて、担任の先生に最後の挨拶をした瞬間。私は込み上げるものを抑えることができませんでした。息子にとって第2の家だった保育園は、この3年、私にとっても心の大きな拠り所だったのです。先生たちは、私たちの姿が見えなくなるまで、ずっと手を振ってくれていました。ありがたい、ありがたい保育園生活でした。

 そんな卒園の余韻に浸る間もなく、翌日には息子を連れて、幼稚園の説明会に参加しました。そこで、ひょんなことからヨーロッパ出身のママと出会い、話がはずみました。別れ際、彼女の方から「連絡先交換しましょう」と言ってくれたので、電話番号を教え合うことに。その日の午後には、「今度お茶しましょうね」と韓国語でメッセージが届きました。彼女の積極的な一声のおかげで、ここ数年閉じこもりがちだった私の世界が少しずつ広がり始めている。そんな予感がして、とても嬉しくなりました。

 息子の子育てを通して出会えた、保育園の先生たちやママたち。流行り病や仕事の関係で、これまではなかなか身動きがとれなかったけれど、せっかく縁があって知り合えたのだから。Aくんのママのように、ヨーロッパ出身のママのように、私ももっと心を開き、自分から声をかけていろんな人たちと交流していきたい。遅ればせながらやっとそんな風に思えるようになった、母親5年目の春が始まろうとしています。


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