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小説『パチンコ』と私の物語①

 韓国人男性との結婚を機に韓国へ移り住むことになった私は、こちらの国で「結婚移民者」と呼ばれるようになった。それまで「移民」と聞けば、過去に日本からブラジルやハワイに移り住んだ人たちのことを思い浮かべていたが、そんな私が実際に移民者となったのだ。

 ソウルの語学堂へ留学経験があったため、生活に必要な韓国語はすでに身につけていた。それでも、移住後「生まれ育った国とは勝手が違うのだ」「日本では一人でできていたことが、今ここではできないんだ」と実感するたびに、何とも言えない寂しさや無力感に襲われることがあった。まるで自分が、この国では全く役に立てない無能な人間であると言われているかのように。それは移住3年目の今でも、あまり変わっていない。

 この3年間、妊娠・出産・育児を経験したことも大きいと思うが、留学や仕事のために数年間暮らすのと、この土地に根を下ろして生きていくということには、雲泥の差があるのだということも知った。私にとって今や日本は「いつか帰る場所」ではないのだ。韓国での生活が日常となり、こちらがホームなのだと実感するにつれ、日本は「ちょっとお邪魔します」という気持ちで訪れる、「近くて遠い故郷」になってしまったのだった。

 私が何度「お母さんって呼んでみて」と言っても、もうすぐ2歳になる息子は「オンマ」としか言わない。あと数年も経つと確実に、今よりもっと韓国語が流暢になるだろう。この先、もし彼が日本語の習得を拒んだら、私はわが子と韓国語でしかコミュニケーションがとれなくなってしまう。私には今、それがとても悲しいことのように思える。

 日韓の血を受け継いだ息子は、「自分は韓国人だ」「いや日本人でもある」という風に、私や夫とは異なるアイデンティティを持って生きていくことになるはずだ。それが彼にとって良いことなのか、そうでないのか?親としてしてあげられることは何なのか?

 ただ1つはっきりと言えるのは、私が今こうして感じている葛藤の多くが、結婚移民者として韓国にやって来たその日から、始まっているということだった。

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 そんなことをぼんやりと考えるようになっていたこの夏、ある小説の存在を知った。本好きで、同じ年で、日本人配偶者を持つ韓国人女性が、別れ際に教えてくれたのだ。「最近読んだ“パチンコ”っていう小説、とてもおもしろかったですよ」と。

 帰宅して早速調べてみると、日本では2020年7月末に文藝春秋から翻訳出版されたばかりだった。「四世代にわたる在日コリアン一家の苦闘を描いて全世界で共感を呼んだ大作」というこの一文を見ただけで、読みたくなる理由が山ほど浮かんだ。

 ソウルで生まれ、1976年に家族でニューヨークに移住した韓国系アメリカ人作家、ミン・ジン・リーが着想から約30年の時を経て、2017年に出版したというこの小説。私はすぐに日本から取り寄せることにした。

 小説の始まりは1910年、日本が韓国を植民地支配した年の、釜山沖にある影島(ヨンド)が舞台だ。漁師をしながら下宿を営む韓国人夫婦のもとに、たった1人残された障害のある息子フニ。彼と結婚した妻ヤンジンは、やっとの思いで授かった娘ソンジャと共に、夫亡き後も下宿を切り盛りして暮らしていた。

 しかし、16になったソンジャが年上の妻帯者ハンスと恋におち、お腹に子どもを宿してしまう。そんな彼女と結婚し、お腹の子の父親になることを申し出たのが平壌出身の若き牧師イサクだった。彼と共に大阪の鶴橋へ向かったその日から、ソンジャの波乱万丈な第2の人生が始まっていく…。

 物語は上巻下巻にわたり、釜山から大阪の鶴橋、横浜、長野、ニューヨークへと舞台を移していく。ソンジャの2人の息子たち、さらに孫息子も登場し、バブル最盛期の1989年まで物語は描かれていく。

 私はこの小説の序盤、漁師夫婦の息子フニが結婚して一人娘のソンジャを授かり、フニが息をひきとるまでが描かれた数ページを読んで、すでに圧倒されていた。まるでその時代を生きていた人が書いているかのような緻密な情景描写は、文字を追うだけで、一つひとつの場面が映像のように目に浮かんでくるのだった。

 また、各登場人物の視線の動きやたたずまいを細かに表現することで、彼らの感情の揺れや性格などを十分に表現しきっていることにも驚いた。淡々と書いているわけではないが、余計な感情表現をねじ込むことなく、どこか客観的に在日コリアン一家を描こうとしている点が、私にはとても読みやすく、新鮮に映った。

 それはもちろん、作家の表現力のたまものだと思うが、英語で書かれたこの作品を豊かな日本語で表現し直した、翻訳家の力にも感服した。昔から、どこか違和感のある日本語を読むのが苦痛で、翻訳本を避けてきたのだが、この本に出会ってそんな偏見を捨ててしまおうと心に決めたのだった。

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 ▲表紙には、韓国の国立民族博物館に所蔵されていたという朝鮮半島の昔の刺繍が使われている。詳しくは、本の話note「ベテラン翻訳編集者がやっと出会った、超ド級の物語【編集者通信】」を参照

 著者のミン・ジン・リーは下巻の最後に、日本の読者へのメッセージを寄せている。そのメッセージによると「もし出版社に売ることができなかったら、あまり知られていない学術出版社にコンタクトして、後世のために無料で提供しよう」と考えていたそうなのだ。

 「英語で在日コリア系コミュニティの世界を書いた小説はこれが初めてなのだから、きっと誰かが読みたいと思うはずです。なぜそれを確信していたかというと、『在日』として知られるコリア系日本人の話題について、半生かけてずっと学んだり、調べたりしてきたからです」とも述べている。

 そして、終わりにこう書かれていた。「この夫婦(注釈:主人公ソンジャとその夫イサク)は、馴染みがない国に移って自分の子供たちのために人生を築き上げ、彼らの子供たちもまたそれぞれに家族を作り上げていきます。『パチンコ』は、娘たちや息子たちの物語でもあります。ですから、私たちについての物語でもあるのです」。

 最後の一文を読んで、私は急に自分の物語を語ってみたくなった。これまでどこかに書いたり、誰かに筋道立てて話したことのない昔話を。私が今「結婚移民者」として韓国にいるのは、在日コリアンの血を受け継いだ、2人の人との出会いが大きなきっかけだったということを。(つづく)

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