人格とセックスをする
セックスの魅力は、人格とセックスをすることだと思っている。
ダッチワイフでは真の興奮は得られない。
セックスをする相手に人格があるからこそ、真の興奮と快感が得られる。
人格があって、それを征服したいという欲求や、それに承認されたいという欲求が、セックスの真実だと考える。
死姦というものもあるが、私はあれは特殊なものと考えていて、基本的には人間がセックスにおいて快感を得るのは、そこに人格があるからだと考える。
今後、セックス用ロボットが出てくるだろう。
そこにはAIが搭載され、人間と同じように話をするようになる。
するとそこには人格も備わる(プログラムされたものではあるが)ということだから、セックス用ロボットの需要は計り知れない。
ただ、生身の人間の人気ももちろん衰えない。
それは必ず一定数残る。
家で映画を見るスタイルが一般的になってきた昨今でも、映画館は廃れずに残っている。
映画館を愛す人もいるのだ。
セックスもきっと同じに違いない。
しかしロボットとセックスをすることが果たして健全であろうか。
私は少しばかり歪んでいると考える。
ロボットならばどんな要求にも答えてくれる。
AIだから拒否もするだろうが、しかしそれすらもプログラムの一種に違いない。
根本的には服従をする仕様であろう。
しかしそこに真の愛はない。
人間を人間たらしめるものは愛ではないかと考える。
愛という抽象さ、これが如何にも人間らしく、それはロボットには芽生えない。
プログラムで芽生えたように見せることは出来るけれども、それは真の愛ではないことを人は必ず理解できる。
そうした時、一旦人間から離れていても、結局は人間に回帰する。
人間は人間としか真の愛は育めないだろう。
だから私はセックスロボットが出てきても、皆さんの愛を信じる。
皆さんの純粋な人間愛を。
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ごめんなさいね〜サポートなんかしていただいちゃって〜。恐縮だわぁ〜。