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#エッセイ 記事まとめ

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noteに投稿されたエッセイをまとめていきます。
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#生き方

趣味と友達は多ければ多いほどいいらしい

15年以上ぶりに”能面のおじさん”と再会した。 ”能面のおじさん”は私の父の父の弟、つまり正確には大叔父である。 小学生の頃に一度、大叔父が趣味で彫った能面を見に展示会へ行った。 それ以来、同じ関東圏に住みながら今まで全然逢わずにきてしまった。 なぜそんな距離感の”能面のおじさん”と、今さら逢うことになったのか。 それは、中学で音楽の教師をやっている仲良しの先輩との会話がきっかけだった。 彼曰く、教科書に載っている日本の伝統芸能”歌舞伎・人形浄瑠璃・能”のうち、能だけは授

のびしろ

今日、一つ歳を重ねた。 「不惑」と呼ばれる歳になり、6年が経つ。 しかし不惑どころか、戸惑ってばかりの日々だ。考え方や感じ方などすぐ変わる。だから今の気持ちを遺しておこうと思って、noteを書いている。 私は39歳のときに生きていて一番辛いことがあり、そこからなんとか這い上がることで、かなり考え方が変わったし、自分は生まれ変わって第二の人生を送っていると思っていた。 だけどやっぱり当時の気持ちをそのまま持ち続けることはなく、考え方は変わってきている。 よく歳をとると丸くな

『明日、世界一周に行く』という人生

2020/9/24@八王子 『 人は幸福になるために生きているけど、幸福になるようにデザインされてない。』 って本で読んだ。 『 お金は鋳造された自由だ 』 とドストエフスキーは言った。 明日、世界一周に行くこの言葉が胸にあれば、生きていける。 人生の軸である。 歩くための背骨である。 " 明日、世界一周に行ける " 自分になるために、今日の自分がある。 自分になるために、今日の自分がある。 湯浅教の誕生である。 絶対的な教えがあれば、宗教は作れる。 教典は、『 幸

初めて自分らしく笑えた日。

「生まれた環境を言い訳にしない」 これは、僕がいつ何時でも忘れないように、 心の中で大切にしている信念。 でも昨日、ある飲み会がきっかけで、 僕の人生の中に、もう一個、信念ができた。 「本当の自分で生きる」 たけひろ シャルコーマリートゥース病。 はい?と思った方、その判断は間違ってない。 こんな病気、聞いたこともないだろう。 僕も初めて聞いた時、 外国の美人な女性を、頭に思い浮かべた。 そう、彼女の名前のような病気こそ、 僕が生まれつき抱えている難病である。

自分自身だけはじぶんのことを無条件で愛していてほしい。

突然ですが、 あなたは自分のことが好きですか? この記事を開いてくれた方はきっと 「『自分のこと好き!!』なんて言うほど自信無いよ」 って思ったり、 自信がないどころか、 「じぶんのことは”嫌い”と思っている」 …そんな方も少なくないと思います。 わたしもそうでした。 けれど、それはけっして悪いことではないのです。 そう思うのも、いまのじぶんの気持ちのうちのひとつです。 気持ちは、とってもわかります。 そんな方々とじぶんにむけて、 わたしのいまの思いを綴ってみよう

希望の残骸を、拾い集めて

(ああ、そういうことだったのか…) まどろみの中、わたしは理解した。 わたしは寝床にしていたソファーで、寝返りを打つ。 一度目が覚めてから、既に1時間が経過していた。 そろそろ、起きなくては…と思いながら、スマートフォンに手を伸ばす。 大好きなライターさんである”ちゃこさん”が、記事を更新していた。 わたしはまどろみながら、朝のご褒美を与えられた子供のように、記事を読む。 そうして、唐突に理解した。 ああ、そういうことだったのか。 * お友達の「嬉しい出来事」から語

繊細で傷つきやすいあなたに「ちょっと変わってる人になる」ススメ

最近、HSP(ハイパー・センシティブ・パーソン)という単語が流行っているらしい。 人一倍繊細で傷つきやすい人を指すとのこと。 実際にHSP的な傾向があって大変な人もいると思うけれど、若く多感な時期はだいたいみんな繊細で傷つきやすいものだろう。 大人になるほどに、おおかたの人は頑張ったり頑張らなかったりして鈍感になっていくのだけれど、それは傷つきやすい時期を経た後の話だ。 じゃあ、どうやって傷つきやすい時期を乗り越えたらよいのだろうか。(あるいは、どうやって傷つきやすい

気持ちに寄り添う人でありたい

常々思っていることがあって、それは、私は「気持ち」に寄り添える人でいたいということだ。 これまで25年生きてきて、世の中で起こっている色々なことを、少ないながらも見て、知ってきた。その中で、今自分にできること、みんなの力で変えていけることがたくさんあることを知った。でもそれと同時に、どうしたって解決できないことがあることも知った。 世の中から犯罪をゼロにするのは恐らく不可能だし、いじめや虐待に苦しむ人全員の痛みに気付いて救い出すのもなかなか難しい。これだけ広い、想像もでき

勇気を出してワンピースを買おうとしたら、「変態じゃん」と言われた話

「似合うと思います」 攻める水滴、跳ねる音。 洋服屋で、お世辞でも言われない。 なんでもいいから聴きたかった。揺れる、鮮鮮とした鼓膜。花束を抱えた、帰り道のよう。透き通った栞を見ていると、度々わたしたちは生きていた日を忘れてしまいそうになる。甘皮を丁寧に伝う、指先から注ぐ空模様を飲み干す——。毎日のように欲しいものへ手を伸ばす自分は、残酷なほど生きていると言えるだろう。 「今日も行くんですね」 ひとりで向かうと決めていた。 愛情のようなふくらみを持つ、ぬるい風に包

NiziUを踊る夫から学んだこと。

私の夫は陽気な人だ。 どれだけ陽気かと言うと、毎朝ねぼけまなこな私に向け、NiziUの縄跳びダンスを披露してくれる。 出会った頃からだいぶ陽気で、 『美女と野獣』の映画を観た時には、広めの階段に出くわすたびに一人で「♫beauty and the beast〜」と美女と野獣の名曲を歌って踊り出し、 『グレイテスト・ショーマン』を観た後は、いい感じのポールや柱を見つけるたびにヒュージャックマンを披露してくれた。 (どうやらミュージカルに影響しやすいらしい) もちろん、私

20年愛用している、WATERMAN(ウォーターマン)のボールペン ~物書きとして、私のお守りみたいなもの

 ペン1本で生きていく。  そんな決意をかためたのは、30代のときでした。  文章を書く仕事は、大学時代からしていました。在学中からフリーライターとして、月刊誌に連載記事を書いていたのです。卒業と同時にその出版社に入社して編集者となり、編集長をしたのちに、20代の後半で独立しました(そのときは既婚でした)。  それから間もなく離婚して、バツイチ独身のフリーライター・エディターとして30代を迎えました。  20代のときは、もちろん仕事は一生懸命していたけれど、結婚後や離婚後の

ツイートがバズったわたしは、口紅を買えていない

仕事を辞めた翌日、わたしは生きていた。 「当然である」と、言えるだろうか。わたしは自分のことを"よくやっている方"だと思っている。意味もなく宙を見上げ、水滴を仕舞う。人生を都合のいい妄想へ預けなければ、硝子のように心が割れてしまいそうだ。 「大丈夫ですか?」 歩きながら眠っていた。目が血走り、足が痙攣する。どこかから声が聞こえた気がしたが、辺りを見渡しても人は少なかった。ロクにごはんも食べていない。生命の境界線を、平均台を渡るようにしてふらふらと進む。 常に不安と手を

セクハラを会社で報告したら、つながった勇気のこと

「言わなければよかった」 "大丈夫"の境目がわからない。 つらく、苦しいことを体と心の中で馴染ませ、ごまかしている。いつまで経っても報連相がうまくできないわたしは、涙と手を繋ぎながら話している。誰かに寄り掛かってばかりだから、自分を"負担"と捉えてしまうのかもしれない。 頼ってもいいのかな。 頼ったら、迷惑なのかな。 聞きたくなかった言葉ほど、ぬるい風にのって律儀に届く。昔勤めていた会社で、わたしは疲弊していた。仕事に埋もれ、責任やプレッシャーにも押し潰されそうになっ

ゲイになったら、職場で自分が消えた

「おはようございます」 聞こえていないのかな。 不安になってもう一度挨拶を試みるが、やはり、届いていなそうである。というよりも、体を動かしても視界に入れてもらえていない、そんな気がする。 わたしは昔から声が小さい。 ガラス細工か、絹糸のようなものと自分に対しては言えない。ただ、「そうだったらいいのにな」と妄想をしたことは何度もある。天然を願い、涙が落ちたその場から、生まれ変わりたいと想う。 「男なら泣くな」「もっと男らしくしろ」と言われても、上手にはできなかった。む