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趣味と友達は多ければ多いほどいいらしい

15年以上ぶりに”能面のおじさん”と再会した。
”能面のおじさん”は私の父の父の弟、つまり正確には大叔父である。
小学生の頃に一度、大叔父が趣味で彫った能面を見に展示会へ行った。
それ以来、同じ関東圏に住みながら今まで全然逢わずにきてしまった。

なぜそんな距離感の”能面のおじさん”と、今さら逢うことになったのか。
それは、中学で音楽の教師をやっている仲良しの先輩との会話がきっかけだった。

彼曰く、教科書に載っている日本の伝統芸能”歌舞伎・人形浄瑠璃・能”のうち、能だけは授業で一度も取り上げられたことがないのだという。
すべてが必須項目なわけではないため、能がやれなくても困りはしないが、やはりやれた方がいいに越したことはないと思っている。
ただ、教えるには自分にもそれなりの知識が必要だし、いろんな人に相談してみてはいるものの、如何せん能に詳しい人がいない。
自分なりに調べることはできても、音楽の授業で伝統芸能に割ける時間はせいぜい2~3時間分程度で、その中でどうやったら生徒に興味を持ってもらえるのか、悩んでいるのだそうだ。

いや~、まずその気持ちが大変素晴らしい。

いくら同じ音大卒といえど、声楽科出身かつ教職すら取っていない私に話したってどうにもならないことは、先輩にはわかっていたはずだ。
だけど、運がよかった。
彼の話を聞いて感心した私はふと思い出したわけだ、”能面のおじさん”のことを。

「そういえば親戚に能面を彫ってるおじさんがいて…」
「え?!能面彫るって何?牧師(※母の弟、つまり叔父)もいるし、スゴいな親戚」

「小学生のときに一度作品展へ行ったら、そのあと能面を彫っている工房?みたいなところを見学させてもらって、お寿司をご馳走になったなぁ…おいしかったなぁ…」
最後のぼやきをスルーして、先輩は食いついてきた。
「なんとか能面のおじさんに話を聞いてみたい」

という流れで、私は連絡先すら知らない”能面のおじさん”に逢うべく、その場で父にすぐLINEをし、仲介してもらったのである。


”能面のおじさん”は快諾してくれた。
すぐに日程が決まり、当日は魚がおいしいと評判の老舗海鮮屋で待ち合わせだった。
大叔父、父、先輩、私という奇妙な4人が揃い、それぞれ定食を頼む。

「で、何が知りたいんだっけ?」
と、さっそく大叔父に促され、先輩は持参した教科書を広げて相談をしていた。
「ここまで勉強熱心な先生は初めてだ」
先輩が一通り話終わると、大叔父は感心していた。

「能は奥が深いですよ。大人が行ってもほとんどが寝てるんじゃないかと思いますね。正直、俺もそうだった。事前に話の内容を調べて何回も通ううちに、だんだんわかるようになってきた。そんなもんですよ」
”能面のおじさん”は考えながら、能面に興味を持ったきっかけをポツポツと語り始めた。


彼の曽祖父が能楽師だったので、祖父の家には能面がいっぱい飾られた部屋があったそうだ。
悪さをすると必ずその中に閉じ込められた大叔父は、怖い思いをしながらも他に何もやることがないからと、その部屋にあった能に関する資料を読み漁ったという。
「まぁ出ようと思ったら部屋から出れたんだけど、そしたらまた怒られるからね」と、茶目っ気をちらつかせる大叔父。
8人兄弟の末っ子だった彼は、絵に描いたようなわんぱく小僧だったと想像できる。
トラウマになりそうな子供の頃の体験が今に繋がっているんだから、人生は面白い。

「ある時、怖い顔した般若が女性だと知って、それが不思議でしょうがなくてね。何が子供の興味を引くかっていうのは、わからないもんですよ」
「だからなんであれ、触れる機会があることが大切ですね。知らなければ知らないままで終わってしまうから」

子供には本物を見せてあげた方がいいと、大叔父は自分の彫った作品を気前よく貸し出してくれるとも言った。
「子供はね、ちゃんと覚えてるもんなんですよ」

確かにそれはその通りで、私も大叔父の展示会で覚えた能面の名前や、付け焼刃でしかないはずの知識を未だに覚えている。
中でも「能面彫りは、小面(若い女性のお面)に始まって小面に終わる」という大叔父の言葉が印象的で、ずっと記憶に残っていた。
最初に習うのは、基本的な構造の小面だが、シンプルであるが故に誤魔化しが効かないという意味では、実は一番難しいのだという。
釣りも「フナに始まってフナに終わる」と聞くし、どの世界でも基礎が実は一番難しいというのは、共通のことなのかもしれない。

さて、大叔父の「俺は魚にはうるさくてね…ぎゅっと押してみて水が滲むようだったらもう食わない」の発言に緊張が走るシーンもあったが、その海鮮屋の刺身が旨かったお陰で会は終始和やかに進んだ。

まだ時間があるならお茶でも行こうと誘われ、星野珈琲へハシゴする我々。
そこで大叔父は1.5倍のブラックコーヒーを注文し、挙句に同じサイズをお代わりしていた。どんだけ胃が元気なんや。
今後のためにとLINEを交換したら、翁の能面のアイコンの下に「趣味は能面彫り、ゴルフ、クレー射撃です」と書かれていて、思わずツッコまずにはいられなかった。
話を聞いてみると80歳を超えた今も多趣味で、能面彫りだけでなく、ゴルフ、釣り、クレー射撃を嗜んでいるという。
暗いうちに目が覚めたらベッドサイドの本を読み、毎日洋画を1本見て、1日8000歩は歩く、背筋のピンと伸びたスーパーおじいさんだ。

あとでネットで名前を調べたら、本人の話よりもずっと波乱万丈な経歴が掲載されていた。
元航海士で世界中を飛び回り、結婚して子供ができたことをきっかけに船を降りてからは解体業の社長を務め上げ、定年後は今までの仕事を活かして、カンボジアへ地雷撤去のボランティアに行っていたらしい。

そんな大叔父の言う「趣味と友達は多ければ多いほうがいいですよ、特にこの歳になるとね」は、説得力しかない。
その一言は、好奇心が旺盛で一つのものに絞れないという私の悩みを吹き飛ばしてくれるようだった。
趣味は友達を増やしてくれること、教養は人生を豊かにしてくれることを、”能面のおじさん”はそのまま体現していたからだ。

後日、大叔父からレターパックが届いた。
能の公演の招待券とチラシ…のはずだが、それにしてはずっしり重い。
中には、能のチラシの後ろにしれっとクレー射撃の資格取得のための教科書が2冊入っていた。
そういや興味津々で話を聞いていたら「やるんなら銃を譲るよ」って言われた気がするけど、あれ本気だったのか?!
大叔父のお茶目な笑顔が脳裏に浮かんだ。


#エッセイ #能面 #趣味 #生き方  

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