【長編小説】漂白剤社会 | 第七話・月経
「少しだけ、少しだけだから」
担任の教師はそう言うと、多目的室の鍵をかけた。
その時、中学三年生の志津里は、完全にパニック状態だった。
「テストのことで話したいことがある」
先生は確かにそう言った。
だから一緒に多目的室に行った。それだけのことだったはずだ。
「少し休もうよ」
先生はそう言うと、わたしの腰に手をまわした。
わたしは、顔が引きつるのを必死に隠した。
「テストのことって何ですか?」
腰にある手を優しく払いのけた。
スカートがひらりとなびく。
微かに窓は開いていて、外はまだ明るいはずなのに室内は夜のように暗かった。
「とりあえず、こっちに座ろうよ」
先生は払いのけた手をもう一度、腰に回した。
「宮本さんって、キスしたことある?」
そう言うと、先生は肩を触り、執拗に腕を引っ張った。
「ほら、少しだけ、少しだけだから」
近づく先生の顔から、整髪料の臭いがした。
ここから逃げなければ。
逃げよう、逃げよう、そう思えば思う程、固まって動けなくなる。
わたしは出来るだけ、穏やかに、そして先生を怒らせないように逃げ
る方法を考えた。
すると突然、急にグイッと手を引っ張られて、わたしは、勢いで机の端に雪崩れ込んでしまった。
先生は、ここぞとばかりにわたしの胸を触った。
先生の手は汗ばみ、シャツの上からでもわかるほど手の気持ち悪さが伝わる。わたしは頭が真っ白になった。
先生の手は粘っこく、わたしの心にヘドロがつくような嫌な感覚だった。そして先生の口から、次々と卑猥な言葉が飛び出す。
わたしは吐き気と同時に、卑猥な言葉が流れくる自分の耳を、この場で切り落としたかった。
『嫌なら、どんな手段でも、逃げれば良かったのに』
そう被害者へ話す人は多い。でも、その時のわたしに何が出来ようか。
殴って逃げる?
そんな事をしようものなら『内申』が無くなるのは目に見えていた。
わたしの『人生』を握っているのは間違いなく先生だ。
先生とわたしは、決して対等な関係ではない。
そして被害を訴えたところで、社会的に信頼のある先生と未成年のわたし、どちらを社会は信じるだろうか。
そもそも反撃して、もし危害を加えられたら?
そう思えば、その場で被害者が出来ることは、とても限られている。
多くの被害者が思っていることは、もし運良く逃げられたなら、忘れたい。そんな事をされた自分さえも消え去りたいのだ。
被害者の多くは、自分自身を責めることが多い。
どうしてあの時、被害に遭ってしまったのか。
わたしにも落ち度があったんじゃないか。
わたしが逃げようと、あの手この手と考えている間も先生は体中を触った。
とうとうわたしは吐き気を抑えきれなくなり、えいっと勢いで立ち上がった。
もう殴られてもいい。ここで殺されてもいい。
諦めの気持ちだった。
「先生!もう帰ります!」
大きな声で言った。
そして笑った。
その時の笑顔は、わたしの力かぎりの抵抗だった。
先生は渋々とした態度で、少し怒ったようにも見えた。
「まぁ、いっか、宿題やってこいよ」
仕方ないな、と言い放ち、先生は多目的室のドアを開けた。
こうして私は、やっと恐怖から解放されたのだ。
わたしは、先生がいなくなった多目的室で、茫然と立ち尽くした。
室内ってこんなに静かだっけ。
静かな空間に沿うように、キーンという耳鳴りがした。
緊張した体から、ふっと力が抜けたとき、太ももに何かが伝った。
下を見ると、血が流れてた。
初めての月経だ。
血はどこから流れて来たのだろう。心か。身体か。あるいは両方か。
太ももをさすると、志津里の手は真っ赤になった。
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