193.「幸福の石」と「不幸の石」、あなたはどちらの数が多いですか?
はじまりの詩(うた)
彼は打ち拉がれていました。
新年が明けたばかりだというのに、ただ拉がれているのです。
街は新年の飾り付けが輝き、道行く人々は喜びに満ち溢れ、若い男女達は楽しそうに歓談していました。
年が変わるだけなのに何が目出たいのでしょう?
私にはあまり、理解できないのです・・。
家に居てもつまらないし、街に出たからといっても孤独感に苛まれてしいます・・。
しかし、孤独感からか、私の脳裏には今までの人生が蘇ってきました。
このまま私の人生は終わってしまうのでしょうか?あと何年間、こうして退屈な新年を迎え続けるのでしょう。
私は私の人生の終わりに何を考え、何をすればよいのでしょう。
考えるだけでも嫌になります。
仕方なく、私はぶらぶらと歩いていました。
すると、道端で九十歳の後半ぐらいのお爺さんが石ころを並べていました。
その石は丸く小さな石でした。私がそれを不思議そうにじっと眺めていると彼が話しかけてきました。
「あんたの顔には死相が出ているぞ!そのような辛気臭い表情をしておって、何を考えているんじゃい!」
「お爺さんはそこで何をしているんですか?」
「見ればわかるだろう。小石を並べているんじゃ」
私はその並べられている石を見つめた、しかし、意味はわからない。
「お爺さん、その石には何の意味があるんですか?」
「知りたいか?ならば教えてあげても良い。」
お爺さんは目の前に置かれている小石に指を指して語り始めました。
「左に並んでいるのは『不幸の石』、右に並んでいるのは『幸福の石』じゃ。不幸と幸福に分けて並んでいる。『不幸の石』は病気で逝ってしまった妻の石、事故で逝った娘の石、事業で苦しみ悲しんだ石、借金だらけで悩んでいた時の石、友人を傷つけ、友人を失った時の石、分かれ分かれになってしまった家族の石・・・。まだまだあるぞ。右に並べてある石は『幸福の石』じゃ。」
お爺さんはその石のひとつひとつを丁寧に説明し始めました。
「あんたぁ!面白いじゃろう!あんたも並べてみんかい」
私はお爺さんの言われるまま小石を貰い並べてみました。
「ほほう、あんたも『不幸な石』が多いのう、三十個ぐらいだの、わしと同じくらいだの。だがのう、良く見ると『不幸な石』が積み重なると美しい、きれいだ、きれいにみえるのう・・・」
確かに美しい。
「では、わしの『幸福の石』の隣に、あんたの『幸福の石』を積んでごらんなさい。じゃが、あんたにはその幸福(しあわせ)の石の意味がわかるかい。だから山積になっているわしの『幸福の石』をひとつだけ教えよう。この一番上に積んである石はな、わしが幼い頃、母に置いてきぼりにされ一日中泣き続けた時の石じゃ。誰もいない部屋の中で、大声で泣き叫び、涙が枯れた時のものじゃ。九十歳を超えた今でも生涯忘れられない悲しみじゃ・・・。母は生活苦からわしを置き去りにした・・」
「・・・・・。」
私は不思議に感じた、『幸福の石』の場所なのに、生涯忘れられない悲しみの話だったからです。
「幼いわしでもこのおかしな状況を感じていた・・。泣き疲れ、涙も出なくなりかけた。わずか一日の出来事じゃった。わしにはとても長く感じた。あたりは薄暗くなり、そこに母が帰ってきた。母は泣きながら、すぐさま幼いわしを抱きしめて、わしをおんぶして外に出かけた。そして卵を四つばかり買い求め、ゆで卵を作り、わしに食べさせてくれた。わしは、悲しかったことも何もかも忘れ、夢中でその卵を食べた。わしは嬉しかった九十年以上も前のことだか人生でこれほど嬉しかったことはない、生涯忘れられない最高の幸せだ。わしは幼きながら、大きくなったら母を守ろうと誓った時だった・・・。わしは今でも毎日卵を食べるたびに、この世を早く去ってしまった不幸な母を思い出している」
「・・・・」
私はこの時に声になりませんでした・・。
幸せって何だろう・・・。
私の人生は『不幸の石』ばかりで『幸福の石』など積み上げるものなどない、そう思っていました。
このお爺さんには本当の幸せの意味がわかっている。本当は不幸だと思う中に幸せが隠れ潜んでいるということを。
お爺さんは、その卵から母を守る決心をして、母と二人で生きることになりました。自らが傍にいることで母を支え、十歳を超えた時から約八年間、母が亡くなるまで働き続けました。しかし、戦争が始まり分かれ分かれとなり軍隊で母の死を知らされたのです。
こうして、守るべきものを失ったのです・・・・。
「わしの人生のすべてはあの時にある、生涯忘れられない幸せがそこにある。他人には他愛のない事だが、わしにとっては生涯の支えになっている最大の幸せのひとつじゃ」
「さあ、あんたも、ゆっくり『幸福の石』を積み上げてごらんなさい。幸せの数だけ積み上げてごらんなさい。わしのいう幸せの小石を幸せの数だけ積み上げる。そして、その『幸福の石』の山を『不幸の石』の山と比べてみるがいい」
私はひとつひとつ『幸福の石』を積み上げていった・・・。
すると、崩れるほどの幸せの小石で一杯になった。いつのまにかお爺さんの幸せの石の数を超えてしまいました・・・。
私はこれほど幸せだったのでしょうか・・・。
『不幸の石』も『幸福の石』も二つの石の山がとても美しく見えました。
その二つの山から美しい音楽を奏でるように、愛おしく思えました。
この世には『幸福の石』しか存在していなかった・・・。
私はこの『不幸の石』を愛してみようと誓いました・・・。
coucouです。みなさん、ごきげんよう!
さて、みなさんは「幸福の石」と「不幸の石」のどちらが多いですか?私は圧倒的に「不幸の石」ばかりでした。
でもね、あのとき、そのとき不幸だと思い込んでいたことが、振り返ってみると不幸ではなくて、とてもありがたいことだったと感じるのです。
例えば、大好きな人と別れました。しかし、振り返ってみて、もしその大好きな人と別れていなかったら今の自分はなかったかもしれないのです。
あれだけ嫌な思いをしたはずなのに、改めて振り返って見たら、あの嫌な思いがなければ今の自分の考え方にはなっていなかったかもしれません。
あの時に大病し、長年苦しく辛かったからこそ、今の辛さなど大したことはないと思えたり、その場の不幸のすべてに何かしら幸せのための意味が隠されていたことがわかるようになりました。
人生って、ほとんどがこのようなものなのかもしれませんね。
とても不思議です。
今日も、最後まで読んでくれて
みんな~
ありがとう~
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