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38.あたしの、いのちが終わるとき、ただのお花一本だけを入れてほしいの!

「マリー・フラィエ」


私のお墓の前にたたずみ泣かないで
私はそこにはいません 眠っていません

私は吹きわたる千の風 このなかにいる
私は静かに舞い落ちる雪
私はやさしい雨のしずく
私はたわわな麦の畑々
私は朝の静けさのなかに
私は美しい鳥たちの優雅な上昇旋回のなかに
私は夜を照らす星光

私は咲き開く花々のなかに
私は静かな部屋の中にいます
私は鳥たちのなかにも
私は美しい物、ひとつひとつのなかにいます

私のお墓の前にたたづみ嘆かないで
私はそこにはいません 死んではいません

作者MARY E.FRYE(マリー・E・フライ)訳者 井上文勝

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※写真はマリー・フライエさん
「千の風」には原作者がいます。日本では新井満氏が作者不詳の詩ということで紹介して出版されましたが、本当の作者は存在しています。井上文勝さんの記事によるとマリーは他界する四年前、先のCBCのインタビューにこの詩について次のように答えています。

「私はこの詩が自分のものでなく、世界のものだと常に思っております。これは心からの愛によって安らぎのために書かれたものです。でも、もし、それで私がお金を受け取っていたなら、この詩の価値は落ちていたでしょう。もしかしたら、私は馬鹿だったのかも……。でも、それでいいのです」

多くの人たちがビジネスで利用しているありさまを見て、マリーは多くの友人、知人から作者であることを名乗るよう、またわずかでもお金を請求したらどうか、などといわれていたようですが、マリーはお金にはしたくありませんでした。それは、あまりにも悲しみが深かったからです。

マリーの千の風はインターネット上で世界中に流れ、私が作者だという偽物まで現れました。

『1000の風』で詩を読んだ日野市在住のA子さんは、こんなことをいいます。
「風って、何かあたたかさを感じませんか?
風は強い風もあれば弱い風もあり、肌に直接感じないような風もあります。
でも風は風圧という言葉があるようにだれもが感じるものです。
追い風もあれば、向い風もあったり。
なによりも風は空気があるということを感じさせてくれます。
少しくすぐったい風もありますが、風はなにかを語りかけてくれているようにも思っています。
それにやさしく感じませんか?」

最後に、わたしの立場は新井満さんでも、井上さんでもありませんが、私が運営している会の方からこんなお便りが届いていました。 

新潟県在住の女性からです。
マリーの心をここにも感じました。

『いま、冷たい風を日々感じています。
あたたかな日はあたたかな風を感じますが、いまのように冷たい風は身体全体に寒さを感じます。
でも、生きているんだなあという実感がとてもあります。
目は冷たい風であけにくく、頬は凍ってしまいそうに痛いけど、わたしは、いまこの寒さや冷たさの中で、生きているというあたたかさを感じているんです。
この新潟の冷たい風は、いつもわたしを幸せに生きろと声をかけてくれるように思えます。
数年前のことですが、わたしはとても愛するこどもを亡くしてしまいました。まだ小学三年生のとても可愛らしい娘です。
当時、離婚をし、娘とふたりぼっちで小さなアパートで再出発。
いつもわたしがくじけそうになると、娘はわたしの母のようになって、
「ダメよ!お母さん。しっかり生きなくっちゃ!」
と勇気づけてくれて、わたしがメソメソしているとニッコリと微笑みながら、「お母さん、泣かないでね。千恵がいつもそばにいるんだから…」とはげましてくれました。
娘の名前は「千恵」、千の恵みの子という意味です。
そんなとき、「千の風になって」の詩を本で知りました。
最近は歌ができて大ヒットしているようですが、わたしの心の中ではあまりあの曲は好きではありません。
なぜなら、千の風は救いの言葉だからです。
千恵はとても寒い日に天に昇りました。
あの日はとても寒く、頬にしみました。
ですから、この寒い冬が来るとまた千恵に逢えることができます。
この冷たい風は、
わたしに「生きて!生きて!生き抜いて!お母さん」
という声に似たものです。
だから、いまはこの冷たい風が大好きになりました。
冬の風は、冷たくだれからも嫌われる風でも、わたしの愛する人からの言葉。愛しい冷たい風です。
マーガレットのお話しを聞き、母を想う娘の気持ち、娘を想う母の気持ち。愛はひとつ、愛は同じとようやくこの詩の意味が納得できるようになりました。千恵はお墓になんて眠っていません。
今、ここに、冷たくあたたかな風の中にいました。
(後略)
追伸:わたしは冬がとても好きになりました…。』

そして、マリーが自ら死を予感していたのでしょうか、彼女はこの世を去る前に一つの詩を友人に残していた言葉を残ました。

その言葉は、

〈ただ一本の花〉

この地で あたしの命が終わるとき
選ばれた花々の束よりも
ともだちのお庭からのただ一本の花が
ほしいのです

あたしの心臓が止まって 命が失われたとき
お世辞や美語の数々よりも
やさしさのひとことが
ほしいのです

あたしの棺を囲んで流す涙より
さよならを告げる ともだちの
親しい微笑みが
ほしいのです

ですから
黄色かピンクか赤の花を 持ってきて
それも
あたしが死んだあとにたくさんではなく
いまもその一本を
ほしいのです

詩 マリー・E・フライ 訳 井上文勝


ありがとうの風
そこで泣かないでください  
わたしはそこにはいません。
悲しんだり、寂しがったりしていません。

わたしは幾千の風のなかで
静かに、静かに舞い散る雪と
とても優しい雨の滴と
たわわに広がる麦畑と          
朝の静けさの中にいます。
                    
わたしは幾千の風のなかで
美しく飛び回る優雅な鳥立たちのなかに
美しく夜空を照らす星の光のなかに

わたしは幾千の風のなかで
美しく先開く花々のなかに
あなたの静かな部屋の中にもいます。
美しい飛び回る鳥たちのなかにも
美しいものすべてのなかにいます。

だから、
そこで泣かないでください  
わたしはそこにはいません。
悲しんだり、寂しがったりしていません。

だから、
そこで泣かないでください  
わたしはそこにはいません。
悲しんだり、寂しがったりしていません。

わたしは死んでなんかいません。
わたしはいつも、あなたのそばにいます。

作者MARY E.FRYE(マリー・E・フライ)創訳 coucou

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■人生を肯定する14のエピソード「ジョンレノンは「YES」になぜ涙したのか?」(三語館発行)本書は、親しくさせていただいている著作権協会さんの2作品です。みなさんに、おすすめ~

本書は有名無名を問わず、逆境に陥りながらも、勇気をもって立ち上がった人たちの姿勢を、エピソードを中心にして感動的に綴っています。世に稀なる、徹底的な肯定人生論です。

不況、パンデミック、政治不信、天変地異……。世の中はますます息苦しくなっているような気もします。
しかし、本書で取り上げた人物たちはみな、幸せも不幸せも併せ飲んだうえで、自分の人生に満足しています。
彼らの生き方そのものと、自分の人生に対して「YES」と言える(肯定できる)勇気・強さの両方に、触れてみてください。

3番目のエピソード「あとに残された人へ、千の風-作者マリーの願い」より。

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「選ばれし人」千の風ーマリーの心の風の声(花伝社)より。要約文

マリー・エリザベス・フライエは、生まれてすぐ両親をなくしました。わずか3歳で孤児となり、12歳で養女として育てられました。マリーの生まれたはるか遠いオハイオ州にある両親のお墓を思いながら育ちました。彼女は独学で読み書きを学び、詩が好きだった。マリーは大人になって、反ユダヤの嵐の中、マーガレットというユダヤ人の女の子をかくまった。マーガレットはいつも悲しんでいた。それはドイツに残ってた病身の母のことを心配しつづけていたからだ。幼いころに両親を失い孤児となったマリーにしてみればマーガレットの気持ちは痛いほどわかり、ただ、ただ愛情を注ぎ続けた。

ある日、マリーが買い物した食品を紙袋から出しテーブルの上に並べたとき、マーガレットは「ああ、これはママが大好きだったの!」といってマー突然泣き出してしまいました。マーガレットはパニックに陥ったかのように、母親を思い出し混乱してしまったのでしょう。なだめるマリーに対してマーガレットは「あたしにとって何がいちばん苦しいのか知っている?それはママのお墓に立ってさよならを言えなかったことなの」

マリーの胸にはその言葉が深く刺さり、同時にオハイオ州にある自分の両親のお墓が目に浮かびました。泣きじゃくるマーガレットの姿を見て、買ってきた食品の紙袋をその場で破いて、そこに何かを書きなぐりその紙切れをマーガレットに手渡しました。

マリーは、「ちょっとした詩を書いたの。生と死について私が感じることなの。もし、この言葉でちょっとでもあなたの救いになってくれたら…」

そして「千の風」の詩が生まれました。

その紙切れを読み終えたマーガレットの目から涙が消え、「これをいつまでも大切にするわ…むと答えました。その後、マーガレットの両親に友人によってポストカードとして印刷され、それが世界中に広がっていったのです。

「私はこの詩が自分のものでなく、世界のものだと常に思っております。今でもそう思っております。これは心からの愛によって安らぎのために書かれたものです。でも、もし、それで私がお金を受け取っていたなら、この詩の価値は落ちていたでしょう。もしかしたら、私は馬鹿だったかも…。でも、それでいいのです。」

多くの人々はこのマリーの詩をビジネスで利用しました。しかし、マリーの心からの願いは、「私はお墓にはいません、そこにはいません、だから泣かないでください、私はそこにはいません。私は死んでないのです」ということをたくさんの人に伝えたかったことでした。

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ごきげんよう、coucouです!

みんな応援ありがとうございました。ようやくnoteは一か月が終わり、2か月目に突入しました。今回のマリーさんのお話は10000文字でも足りないため、2つに分けました。今回の38.「あたしの、いのちが終わるとき、ただのお花を1本だけを入れてほしいの!」の続編39.「だから、泣かないでください、わたしは、ここにいますから」を合わせてみていただけると嬉しい!

素敵な一日を!

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