見出し画像

34.私たちには自分で物語をつくり、自分で人生を選べる素晴らしさがあるんだよ!

「あなたがいなくても世界は変わらないが、あなたがいることで世界はどれほど救われるだろうか」


貧しい人々のために尽くす男がいました。彼の力で多くの人々が家を持ち、ベイリーパークという名前の住宅街が出来ました。彼の仕事は順調となり、多くの人々から信頼され、愛されていたのです。
しかし、ある日彼は預かっていた大切なお金8000万ドルを紛失してしまいました。そのお金がないと多くの人たちが困ってしまいます。これからそのお金を届けなければ横領の罪で逮捕されてしまいます。

彼は、慌てふためきました。顔は真っ青になり、絶望の中、家に戻りました・・。

子どもたちは、大好きなお父さんが帰ってきたので嬉しくてまとわりつきます。しかし、彼はその子どもたちを思わず、怒鳴りつけてしまいました。

そこにいるのは、今にも泣きそうな、悲しそうな顔の子どもたちでした。
彼は悪徳金融業者のもとへ出向き、8000ドルを貸してほしいと懇願します。しかし、担保もない、彼には貸すことは出来ないと軽くあしらわれ、「君の好きな貧乏人たちから金を恵んでもらったらどうだ」とからかわれてしまいました。行くあてもない彼は雪の降る寒い夜に、ひとり、橋から川を見つめていました。

「もう、生きる意味がない・・。私などこの世にいない方がいい・・」そして、身投げしようとしたそのとき、あるおかしな老人と出会います。
「まてまて、どうせ死ぬ気なら、その前に自分が存在しなかったら世界がどのように変っていたか、知り合いの人生が、どんなふうになっていたかを特別に見せてあげよう」といいました。
彼は老人のいった言葉の意味がわからないまま、半信半疑で家に戻ってみると、そこは本当に自分が生まれていなかった世界に変っていたのです・・・。

いつのまにか、町の名前は変わり、荒れ果て、多くの人々の心は荒み、誰も自分の事を覚えている人はいません。友人たちも、愛する妻も、最愛の子どもたちもそこにはおりませんでした・・。

当時、彼は多くの人々を支え、助けてきたものが、その世界ではこの世を去っていたり、病気で苦しんでいたり、町は廃屋とお墓しかありませんでした。やっと母と妻を見つけますが、二人とも自分の事を知りませんでした。

彼は驚きます・・・。

さらに、この世界でも不審者と思われ、警察に追われる羽目となってしまいました。そして、また、あのおかしな老人のいた橋まで逃げてきました。
「もうこんな世界は嫌だ、元に戻してほしい」と、彼は哀願します。

そのおかしな老人は、嬉しそうに彼を元の世界に戻すのでした。元の世界に戻ったことを知った彼は、大急ぎで家に帰り。家にはお金の取り立て人と検査官が来ていましたが、彼は子どもたちの存在を確かめ、抱きしめました。すると妻が帰り、町の人たちに事情を話したところ、彼のためならば、と多くの人が寄付をしてくれたのです。彼は、多くの人々に救われたクリスマスの日でした。(映画「素晴らしき哉、人生」より)

いかがでしょうか?「あなたがいなくても世界は変わらないが、あなたがいることで世界はどれほど変わるでしょうか、どれだけの人が救われていたのでしょうか?」

私たちの人生は、静かな水面のようなものです。そこに、ほんの小さな石を落としただけで、どこまでも ゆっくりと波紋が広がっていきますよね。たった一人の存在は、家族を含めて、その背後に20人から30人以上の人たちが関わり合いを持ち、支え合い、励まし合って生きています。そんなふうに1人の人間が投げた善意や愛が、どれほど他人の幸せに影響を与えているかが実感できるはずです。

やはり、人生はそれでも「YES」ですね。

次は、さらに映画「素晴らしき、哉、人生」を要約してみました。読んでください。

画像1

「素晴らしき哉、人生」

画像3

私たちには自分の物語を自分でつくり、自分で人生を選べるところに素晴らしさがあります。こんな、素晴らしき哉、人生を知っていましたか?
貧しい人々に住宅を与える仕事に力を注ぐ、誠実な男、ジョージ・ベイリーという平凡な男がいました。
そんな彼を快く思わない悪徳不動産ポッターの企みで、ジョージはクリスマスの夜、8千ドルという大金を失ってしまうのです。
彼は絶望し自殺を決心します。そんな彼の前に、突然、二級天使クラレンスが現れました。
誠実で善良なジョージをこのまま見逃してはならない、と神様が送った使者クラレンスは、年老いて200歳になっても、まだ羽がもらえない不細工な2級天使です。彼の仕事は人を救うこと。しかし成績が悪いために1級天使になれない、2級天使なのです。

そのクラレンスは、もしジョージがいなくなったら、彼の住んでいるこの町はどうなるかを彼に教えます。
天使クラレンスはジョージを過去の旅に連れていき、何でもない日常のいとなみがどれほど大切で大きな意味を持つかを教えるのです。

天使クラレンスは、彼の仕事がどれだけ多くの人々に役立っているか、これまで彼のしてきた、ちょっとした親切や思いやりある行いが、どれほど多くの人の人生を変えたのか、そして、これからもジョージのつまらない、単調だという仕事や愛が、さざ波のように世の中に広がれば、どれだけ世の中がよくなるかを教え、ジョージに希望を与え、自殺をと留めさせました。

知っている方もおられるかもしれませんが、この話は巨匠フランク・キャプラ監督の映画『素晴らしき哉、人生』の内容です。主演は、当時の人気俳優ジェームズ・スチアートです。

この物語には、次のようなドラマ(裏の物語)がありました。

1945年、第二次大戦が終り、復員したジェームズ・スチアートは3年ぶりに帰郷しました。ジェームズにとっても渾沌とした時代で、映画からも引退状態で希望を失っていた時のことです。
当然、所属していたMGMとの契約は切れているし、再出発の見込みはまるで立ちません。そんな時、映画監督のフランクから長年温めている映画があるから出ないかと誘われます。
しかし、出演料は保証できない。さらに映画の内容をジェームズに説明したが、
「こんな夢物語なんて誰もふり向いてはくれないよな。それにパッとしない・・・・・。」話の途中にフランクは説明を止めてしまいます。
一瞬、お互いに沈黙が続きましたが、ジェームズは、この内容に共感を覚え、この仕事をその場で引き受け、さらに監督を励ましたのです。

どうして引き受けたのかって、それは平凡な男ジョージ・ベイリーとジェームズの人生がまるで同じだったからでした。
映画の中には、こんな場面もあります。無実の罪をきせられ途方にくれ、絶望したジョージが小さな道沿いのレストランにポツンと座っているシーンでした。
ジョージは、友達たちが自分のことを心配してくれて、自分のために祈ってくれているなんて夢にも知らないのです。
このシーンでジョージの深い絶望を表現するため、彼が椅子に崩れ落ちるところをロングショットで撮りました。そのシーンでジェームズは、目をあげ神に哀願します。
「神様・・・神様・・・俺はふだんは不信心者だが、もし、あんたがそこにいて、俺の声が聞こえているなら、俺はどうしたらいいか教えて欲しい、神様・・・」
 この場面は台本にはありませんでしたが、リアリティがあり、監督が一番気にいった場面でした。すでに、この場面はロングショットで撮影済みでしたが、フランクは何がなんでもこの場面をクローズアップしたいと思ったのです。しかし、シャッターチャンスとは、同じように演出できても、そっくりに再現することは不可能な時代でした。
しかし、監督は何週にもかけて現像所にこもり、フィルムの該当箇所を何度も何度も引き伸ばし、気の遠くなるような作業をくり返します。これも当時では、普通はあり得ないことだといわれていることです。それには、膨大な費用がかかることと、一コマ一コマを何千回も引き伸ばさねばならないからです。だが、監督は、ジェームスの迫真の演技を見て、そうする必要性と、それだけの価値があると考えたのでした。
このセリフの場面についてジェームズは、後にこんなふうに語っていました。

「セリフを言っているうちに、どこにも行き場のない人間の孤独と、これ以上のない絶望を感じた。すると涙がこみあげてきて止まらなくなってしまった。これは予定してはいなかったが、神が天にいて、追いつめられた人間を救ってくれるのだという思いがつきあげてきて、泣き出してしまいました。」

ジェームズは、まるで今の置かれている立場と同じ自分、ジョージの思いや言葉は、まるで自分の言葉としてオーバーラップしたのです。

しかし、現実は映画のようには上手くいきませんでした。
撮影と編集に、準備期間を入れると1年あまり。1946年12月に、ようやく映画の封切りとなりました。しかし、期待とは裏腹に、1947年の末には、フィルムがお蔵入りとなってしまいました。この映画を見た当時の人々やマスコミは、「人生はそんなに甘いものではない!綺麗ごとだ、絵空物語だ!」と酷評したのです。

「やっぱり、神などいやしない・・・・・」膨大な借金と信用を失ったフランクとジェームス。ギャラすらもらえぬジェームスと二人に残されたものは、深い深い絶望と、苦労に苦労を重ねて作り上げたフィルムのみでした。


「さて、どうすればいい。神よ教えてくれ、どうしたらいい」

まるで、『素晴らしき哉、人生』そのものです。絶望と希望は、表と裏の関係のようです。
不幸な人には、幸福を得る権利が生まれ、幸福な人は、いつでも不幸を得る権利を生むことができるのでしょうか。
絶望のあとは、嵐のあとは、夜のあとには必ず、明るさが訪れかもしれない。
だが、映画は消え去るのを拒否したのです。映画を見た一部の人々から、段々と評判が広まり、やがてテレビで放映されることとなり、映画は新たに何百万人という人々のハートを捕えました。
それから40年後の1987年、この『素晴らしき哉、人生』は、アメリカの文化現象、もうひとつのバイブルといわれるようになりました。(現在も毎年クリスマスになると放送されているようです)
私もクリスマスが来るたびに、この映画を思い出します。

画像2

coucouです。今回は少し長いお話ですが、私の大好きな映画「素晴らしき、哉、人生」の物語です。私は子供のころにテレビで見て、思わず泣いてしまいました。しかし、これは映画の中のひとつの物語だと感じていました。やがて私は大人になり、主人公のジョージと同じ苦しみを味わうことになりました。

しかし、私には私に助言を与えてくれる2級天使のクラレンスは現れてくれませんでした。絶望の淵に私はこの映画を再び思い出し、ビデオ屋に飛び込み、もう一度その映画を見ました。

すると、不思議なことに、この映画のクラレンスがまるで私に語り掛けてくれるような錯覚を起こし、私は声を出しながら泣き続けてしまいました。映像の中のクラレンスが私に話しかけます。

「もう少し生きなさい」「あなたがいなくても世界は変わらないが、あなたがいることで世界はどれほど変わるでしょうか、どれだけの人が救われていたのでしょうか?」というのです。

私は神さまなど信じませんが、このクラレンスの言葉を信じることにしました…。そして、もう少し、もう少しだけ生きてみたいと願いました。

フォークシンガーのボブディランは、この映画を見て、
「わたしたちは自分の物語を自分でつくり、自分で人生を選べるところに素晴らしさがある・・・・・」という言葉を残しました。

ごきげんよう!つまらない長い話、聞いてくれてありがとう!


この記事が参加している募集

#スキしてみて

526,651件

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?