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203.人を愛して、自分を愛して、人生を愛しているんだよ!

1.優しい分別


先日、街を歩いていたら、子どもが紙屑を拾ってきて嬉しそうな顔をして傍にいた母親に渡した。

「ねぇねぇ、ゴミだよお母さん」と、偉いなあと思っていたら、

「だめ、だめ。そんな汚いものを持ってきて・・もう、嫌になっ

ちゃうわ・・早く捨てなさい」と、怒り出した。

もちろんその場にいた子どもは、いつまでも悲しそうに、泣きそうな顔をしている。その子はその紙屑をじっと見つめたかと思うと、近くにそのゴミを放り出して、さっさと歩いて行く母親の後を追いかけて行った。


なぜだろう・・そんなに怒らなくてもいいのに・・。

なぜだろう・・もっと褒めてあげればいいのに・・。

なぜだろう・・もっと優しくしてあげればいいのに。

最近はスーパーなどでも平気で子どもに大きな声で怒ったり、叱ったり、手を上げたりする親を随分と見かける。あの子は大好きなお母さんに褒めてもらいたかったんだろうと想う。

あの子もいずれあのお母さんと同じになってしまうのだろうか?

©NPО japan copyright association Hiroaki


先日、ある会社に出向いたとき、目の前で同じようなことがあった。それは新入社員だろうか?その会社から出たゴミだろう、一生懸命にかたずけて燃えるゴミ、燃えないゴミを分別していた。

それはかなりのゴミの量だった。

「御苦労さま。大変だね、全部一人でかたずけたの?偉いなぁ」

「いぇ。そんなことないですよ、綺麗にかたずけるっていうのは

楽しいし気分がいいですよ。」とても笑顔の似合う若者だった。

そこへ、突然、上司らしき人が来た。

「おいおい、何やってんだよ。そんなに丁寧にやる必要なんてな

ない。相手はゴミだぜ。あとはゴミ屋が勝手に持って行ってくれるんだから・・」と怒りながら言う。


なぜだろう・・そんなに怒らなくてもいいのに・・。

なぜだろう・・もっと褒めてあげればいいのに・・。

なぜだろう・・もっと優しくしてあげればいいのに。


彼の顔からは一切の笑顔が消えてしまった・・。

あの時の、母親に怒られたあの子とまったくの同じ顔をしていた。そして、その上司はプンプンとしながらその場を離れていった。


最近、このような出来事に多く出くわす。

どうして人は「偉いなぁ」「ごくろうさま」とか「ありがとう」っって言えなくなってしまったのだろう・・。

©NPО japan copyright association Hiroaki


また、こんな逆のケースもある。

この頃はゴミ問題に対して環境ボランティァと呼ばれる人が時代を反映してか随分と増えてきました。たしかにゴミ問題は重要なことで街の中ではもちろん、観光地やイベント会場などでもこの環境ボランティァの人たちが増えてきました。

しかし、どこに行っても関係者の皆さんの表情は険しい。

何故かといえばもちろん、むやみにゴミを捨てる人たちが多いから止むえないことかもしれないが怒っている人が多い。

「こら、こら。そんな所に捨てないでくれ」

「だめ、だめ。燃えるゴミと燃えないゴミぐらいの区別もできない

のか」と会場内で怒鳴っていた・・。

たしかにゴミをちゃんとした所に捨てなければならないが、もう少し優しく言ったらどうなのだろう・・。また、ちゃんと分別して捨てている人には「ありがとう」とか「ごくろうさま」とか「助かります」と言ってもバチはあたらないはず。しかしこのような優しさ、ねぎらいの言葉はない。

これではゴミ捨ての前段階の人としての優しさが足りない。これも悲しそうな眼をしていたあの子とまったく変わりはない。


私の親友に埼玉県の所沢に住む男がいる。この不況下の中で仕事が絶好調。どう絶好調なのかと言うと売上げが好調という意味。彼の仕事はゴミ屋さん。その彼の口癖を思い出す、それは。

「俺の仕事は他人から見れば汚い仕事よ。だけどな、仕事なんだよ。好きとか嫌いとかじゃあねぇ。ゴミを処分して、お金をいただいて片付ける。環境なんて綺麗な言葉をみな使ってるけど、ゴミは一言で言えば分別(ふんべつ)という、分別っていうのは分別(ぶんべつ)なんだよ。」

「分別(ふんべつ)とは種類によって、分けること、区別をつけること。」

「分別(ぶんべつ)とは心が外界を思いはかること、理性で物事の善悪・道理を区別してわきまえること、思慮、考えること。」

「ゴミに優しくなれない奴は人にも優しくなれねぇんだよ。逆にな人に優しくなれない奴はゴミにも優しくなれないんだよ。ゴミはこうして優しく片付け「ありがとう」って感謝してあげることだ、そう感謝のできない連中は人間として失格なんだぜ。分別をつけるって言うのはこういう意味があることを知る人が少ない、いや少なすぎるんだよな・・」

これが彼のよく言う口癖だ。

「ゴミはなぁ、お金。金っていうのは紙幣のことだけじゃあない、その紙幣を使ってゴミに変わっているだけで、つまりお金の残骸だ。残骸だって、捨てるものだって感謝は必要。だってみんな残骸になる前の紙には感謝しているじゃあないか・・残骸にだっ感謝してやったっていいんじやあねぇか・・。これからどんなゴミにだって少しぐらい、「ごくろうさん」「おつかれさん」って、役に立ててくれてありがとって言ってあげてもいいんじゃあねえの・・・」


彼の話を聞いていてこの会社の儲かっている秘訣を知った。

儲かっている人のほとんどが彼のいう「優しさという分別」をもって

いることを・・・。


2.人生の100年計画「天高く馬肥ゆる秋」


人生100年と聞くと、まさかと信じられないと言う人は多い。

しかし、現在100歳以上の高齢者と呼ばれる人が日本には3万6436人もいると言われています。

米国のバスター・マーティンさんは100歳でも現役の労働者。

「人生に仕事がなかったらこんなに退屈なものはない、仕事を引退などして家に収まってしまうようならば後残されるものは退屈なままこの世を去るだけ。こんな哀れな、悲しい人生はない。」

彼はこう英国のマスコミに答えた。

マーティンさんはロンドン南部の配管設備工の会社で働いている。子ども17人、70人のひ孫がいる。97歳のとき周りに心配され一時期引退を考えたが、あまりに退屈で再出発を考えた。

現在も100歳の現役労働者だ。

Offbeat-AFP>

マーティンさんは心が若い。心の持ち方が他の老人とは違います。それはいつまでも働きたい、仕事をしたいという気持ちが強いのです。

普通の人は「もう歳だから・・」「身体が言うことを利かないから・・」「もう自分には無理だから・・」とか「年寄りは静かに暮していればいい」とか。

世間でも、「もう歳なんだからみっともない」「静かにじっとしてればいい」「その歳で・・」「その年齢でよくもまあ・・」と言われてしまいます。国だって高齢者の保護などど高齢者を差別し、最終的には排除しようとしています。

マーティンさんはそんな世間の言葉に耳を貸すこともなく、ただ日々「休日はゆっくり休み、いつもどおり朝起きてねいつもどおり過ごせることが幸せだ」といいます。

「年寄りだからこそ若い人に負けない。まだまだ色々なことができる。能力だってまだまだ負けない。わたしは問う、若い人たちよ、わたしほど人生を楽しく生きているだろうか。わたしほど仕事を楽しんでいるだろうか。わたしほど仕事に、生きることにこれほど感謝できているだろうか。若い人よ、わたしの歳にこれだけ充実した人生を送ることができるだろうか。」

この言葉は世界中の高齢者と呼ばれている人たちに語りかけるかのようにマーティンさんは労働者のひとりとしてチャレンジしているのかもしれない。

子どもたちだって子供扱いは嫌がる、年寄りだって年寄り扱いは嫌なものだ。年寄りは年寄りと考えてはならない。行きたい所にはどんどん行って、やりたいことはどんどんやってやれ。

もう、自分は年寄りだからなんて考えてはならない。他人の言葉、他人の眼なども関係ない。本当に好きなことをすればいい。

人生は誰もが一度きりだという、一度きりなら今が本当のチャンスと呼べるかもしれない。70代、80代は一度しかない、そして90代も100代も一度しかない。まさに天高く馬肥ゆる秋と言えるかもしれません。

「37.若い人たちよ、わたしほど人生を楽しく、幸せに生きているだろうか?」の再録。画像が少しばかりボケていますが、元気で明るいマーティンさんの写真を見つけましたので!

3.人生の100年計画「天からの贈り物」


東京は銀座に100歳の現役ママがいる。

おそらく日本中でただひとりかもしれない。

100歳にもなってひとりで元気に暮らしながら商売を現役で開業。テレビやマスコミでもかなり取り上げられていてかなりの方は知っているかと思います。

45歳のとき五反田で喫茶店「ギルビー」を開店、50年以上1日も休むことがなかったといいます。当時はまったくの素人経営。「ギルビー」という名前はお酒のジンの名で亡くなられたご主人がつけたもの。やがて喫茶店「ギルビー」はお酒のお店「ギルビー」となり現在に至る。

彼女の名は有馬秀子さん、100歳、現役ママ。銀座のど真ん中で商売し、バブル期も現在の大不況化の中でも商売繁盛。ほとんどのお客さんはこのママを目当てに来る。

「あたしはただせえいっぱいにいきているだけ。ただただ一生けんめい。世間では年寄りは忘れっぽいというけれど、忘れるってことは素晴らしゅうことでございます。これまでのことより、これからのこと。忘れることは素晴らしいこと。いまさら時代に合わせても仕方ありませんし、あたしはあたしらしく生きていけばよろしゅかと思います。あたしはずうっと自然体で生きてまいりましたのよ。もともとは素人ですから自分流に生きてまいりましたのよ。」

「お仕事をさせてもらえることはとても幸せなこと。いつまでも仕事によって多くのことを教わり、学ばせていただいています。」

「おいしいものをいただくより、おいしくいただくこと。」

「ガンで死ぬのも、風邪で死ぬのも同じこと。ただ日々に感謝して生きているだけです。」

「今宵も、ひたすら一生けんめい」有馬秀子著ソニー・マガジンズより

coucouです。みなさま、ごきげんよう!


どうでしよう。「これまでのことより、これからのこと」。素敵な言葉です。有馬さんのお話を聞いていたら、103歳を超えた元発明学会の豊沢豊雄会長がこんな言葉をかけてくれたことを想い出しました。

それは、

「人生はいろいろじゃがのう。わしは反省はするが後悔はせん。わしの人生は反省だらけじゃった。もちろん失敗も多い、恥ずかしかったこともある、だから一生懸命反省したんじゃよ。しかし後悔はというとない。ないと言い切ったらおかしなもんじゃがのう、それはもう過ぎたことなんじゃ。大切なことはのう、これからなんじゃ・・。」

「歳を重ねると若い頃のような無茶はできんし、体力はもちろん

落ちるもんちょる。しかし新しい感性が生まれてくる。それは五感ではなく第六感というもんじゃ。これはの、若い頃に感じられなかったもので、物事の美しさや人間の美しさ、自然の美しさ、なによりそれが天からの贈り物がもらえることじゃ。

ものごとの終わりは「終わりが良ければすべて良し」ということがわかった。だから終わりまで働き続けるのが人生なんじゃ、そう思っちょるんじゃ」

仕事を愛するということはイコール人生を愛し、人を愛することかもしれません。そして最後は自分の人生に感謝し、自分の人生を愛することに繋がります。

仕事とは「仕える事」と書くように自分の与えられた人生に仕えることといえるのかもしれません。


さて、春、夏が過ぎ実りの秋、収穫の秋、天高く馬肥ゆる人生の秋に感謝してみませんか。

おっと、今は冬。

冬にも感謝してみようね!



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