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59.弱き者を馬鹿にし、軽んじてはならない、弱き者の声なき声を、聞きなさい!わたしは人間だ!ここにいる人もみな、人間だ!

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ある少女の死

私は子どもの頃、病を抱えていたため他の子のように遊びまわることができませんでした。病名は腎臓病です。
その病気は、日々怠く、すぐに疲れやすく授業中でも眠くなります。
また、食事制限と運動制限がある中で他の生徒たちと過ごさねばなりませんでした。

見た目は怪我ではありませんので普通の子となんら変わりません。
そのため、随分といじめられました。

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©NPО japan copyright association Hiroaki

それは人と違う、人より劣るからです。

昼の食事は皆が給食でしたが、私はお弁当です。
これは徹底とした食事療法のためでした。ですから、他の人から見れば不思議そうな顔をして、お弁当を覗きます。しかし、それだけの違いで私のお弁当に箸を入れたり、おかずを勝手に食べて笑い、引出しの中に入れてあった弁当にゴミや虫を入れられました。

授業が始まると、勉学が遅れていた私を先生から指名されて答えを問われても、ほとんどが答えられないため、いつも笑われていました。

これは、先生の愛のムチなのでしょうか?

その先生は、毎回私に質問し、答えを黒板に書かせます。
しかし、何一つ回答できません。そのたびに教室内は笑いの渦となります。

運動を禁止させられていた私は、体育の時間はほとんどが見学でした。
しかし、私の事を思う先生なのか、泳ぎの出来ない私に泳げと命令しました。水着も何もないといったら、下着のままで泳がされました。
実際に泳いだことがありませんのでプール内を歩かされました。
元気な同級生たちは大声を出して笑い出しました。
おそらく水にかぶっていいたため、私が泣いていた事を知る人などいないでしょう。

これも、先生からの激励なのでしょうか?

休憩時間はいつも校庭に一人でいました。
どうせ教室内にいてもからかわれるからです。
だから特に友達などいません。

休憩から戻るとまた戦いが始まります。
それは私の机の周辺にはいつもいたずらが仕掛けてあるからです。
一番酷いのが、椅子の上に置く画鋲です。

これは私だけでなく、ほかの多くの子どもたちもいたずらされていました。画鋲のひとつでもお尻に刺されば痛いのですが、十個も二十個も置かれました。当時は固い木の椅子のため、ほとんどは子どもたちの椅子には座布団を敷かれていたためわかりません。ですから授業が始まると皆椅子に注意を払うようになりました。

そして、授業が始まり、教科書を開くと太いサインペンで「死ね!」とか悪口が書かれます。ノートや教科書は破かれ、どんどんとエスカレートします。

そばにいる子たちはただ皆で笑っているだけでした。
その子たちの顔を見ていると、とても楽しそうに見えました。

いじめはさらにエスカレートします。

まだ自分だけなら済むのですが、隣の女の子の机の中に動物の死骸や汚物を入れた者がいて教室が大騒ぎになりました。当然、先生も生徒に対して説教を始めました。そこで、数人の同級生は突然、私の名前をあげて、私が入れたと告げ口し、私がその犯人にされたことです。

私はそこで一躍悪役になりました・・・。

何を言っても誰も信じてくれませんでした。
担任の先生が私に罰を与え、校庭を走らせました。

私は真剣に死にたいと願いました・・。
誰も私の事を信じてくれるものがいないからです。
誰も私を救うものがいないからです。

父や母にも話が出来ません。

ようやく授業に出た事を喜んでくれた両親でしたから、散々病気で迷惑をかけたのですから、これ以上の心配と迷惑をかけたくなかったのです。

私はそのまま小学5年生となりました。
私は同級生たちと先生からのいじめの日々を送りました・・。

ある日、いじめに耐えきれなった同級生が同じ年に2人が自殺しました。学校内でもようやく問題として取り入れ始めたのです。
私たちは担任の先生に引率されて葬儀に出向くことになりました。
多くのクラスメイトたちは泣いていました。

しかし、私は涙が出ることもなく、ただ怒りだけでした。

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偽善者たち

それは、自殺した両親に話しかけている、担任の先生の姿を見たからです。(偽善者…私の怒りは頂点に達しました…)

ハンカチで涙を拭う両親と担任の先生でしたが、
「殺したのは先生じゃあないですか!」

私は泣きながら、手足が震えるまま葬儀の席上で怒鳴りました…。
周りは皆不思議そうな顔をしていました。
死んだ彼女は幼い頃から心臓病を患い、私と同じ見学組の一人でした。
私と同じに医師からは運動を禁止させられていた女の子でした。

それを、走ってはいけない、彼女を走らせ、怒鳴り、いじめた先生だからです。私はその後の先生の復讐が怖かったのですが、衝動に任せて言ってしまいました。

先生にはすぐさま「馬鹿言うじゃない!」と一括されましたが、私の精一杯の抵抗でした。

その時、周りの生徒たちは、糸が切れたかのように一斉に、私と一緒に「そうだ、そうだ、酷い、謝れ!」と言ってくれました。私以外にも同じような気持ちを持っていた者たちがいたのです。

その後、担任の先生は学校を去りました。

怒りと悲しみの葬儀でしたが、この時、私は嬉しくて、嬉しくて、まだまだ生きてみようと思いました。
彼女は私の席の隣の子で、犯人にされた時、それでも私を信じてくれた見学組の女の子でした。もう無くしてしまいましたが、四葉のクローバーが好きで、私にプレゼントしてくれた時の事は忘れる事ができません。

これは、私の生涯忘れられない想い出のひとつです。

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ある老人の言葉

当時も、今もまったく変わらないのがこのいじめです。
どうして、このいじめが無くならないのでしょうか?
人と何かが違うもの、人より遅い、劣る者、変わった人、暗い人、おとなしい人、我慢する人、優しい人、体形、顔、話し方等、様々なものがあります。

そうなのです。

人は違って当たり前なのに、人と違う事がいじめの対象になってしまうのです。

子どものいじめが社会問題になっていますが、いじめは子どもたちだけの世界の話ではありません。いじめる側もいじめられる側もそのまま大人になります、そのまま年老いていきます。それだけで終わらないのがいじめの世界の特徴ではないでしょうか?

ある日、脳梗塞を起こした92歳の老人がいました。

救急車で運ばれ、何とか死を免れ入院生活が続きました。心臓病、心臓弁膜症と脳梗塞の三つ巴の病気です。大きな大学病院ですから、傍目で見れば安心感が漂い、サービスも良く見えます。
彼の性格はおとなしく、特に我儘などいわず医師の注意を聞き、指示通りに従う素直な人です。
薬は、心臓の薬と、弁膜症のため体内に水が溜りやすく利尿剤を服用していました。

そのため、尿の回数が多くそのたびに看護師さんにベルを鳴らしてお願いします。

昼間の病院には看護師さんの数も多くサービスは行き渡っていますが、夜になると看護師さんは少なくなります。1病棟に3人から4人で数10人の患者を担当します。
ですから、夜中の患者のベルの数は多く、本当は静かな病院内のはずですが、ジリジリとベルが鳴りやみません。看護師さんたちは夜中にかかわらず走りまくります。
老人は夜中でも尿が近くなるとベルを鳴らします。昼の看護師からの指示もあり言われた通りに呼ぶようにしています。

ある日、何度も鳴らしているにかかわらず一向に看護師さんが来なくなりました。そのため何度も鳴らすようになりました。
やっと看護師さんが来たのですが、
「何度も何度も呼ぶな!」と看護師に怒鳴られました。

その看護師は他の患者に対しても同じ、汚い言葉で怒鳴り続けます。
多くの患者はそのことに不満を持ち、他の看護師や医師に相談しますが聞いてくれません。その理由は、夜の当直の看護師に遠慮しているのか、老人患者の戯言と思っているのか聞く耳がありませんでした。

ある時、老人は淡が詰まり、呼吸困難になりながらベルを何度も何度も鳴らしました。しかし、誰も来ません。何とか、自力で淡を出すことができ、ようやく到着した看護師に文句をいいますが真面に取り扱ってはくれません。最終的には、家族の同意もなく、両手には手袋をハメさせられ、身体は固定されてしまいました。その理由は老人が暴れ出したからと言うのです。
(本来は家族の同意がなければ拘束はできません。)

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わたしは人間だ!子にいる人もみな、人間だ!


彼は怒りが頂点に達していました。家族が見舞いに来た朝に、身体の固定が外され、
「この病院は駄目だ!出ていきたい…出してくれ」と叫びます。
家族にしてみれば老人の興奮は異様に思え、何もわかりません。病院側では看護師が対応しているのですが、まったく話にならず、医師数人、相談係と複数が集まり問題になりました。

そこで、その老人が語りはじめました。

「私は人間だ!ここにいる患者もみんな人間だ!この病院は人間扱いをしていない…。現代の医療の在り方が狂っている…。私は死んでも構わないからすぐさま病院から出して欲しい、こんな所で死ぬわけには行かない、この病院には心がない…。」

最初は何を言っているのか家族にも、誰にもわかりませんでした。
ただ、いますぐこの病院から出してくれと言い続けていたのです。

そして、彼は「最後に、もし、このまま最後に死ぬのなら子どもたちと逢いたかった…」からだ、と言いました。家族たちには、聞き取れない言葉でしたが、この言葉の意味はわかりました。

「…」

しかし、病院側は現在の状況では退院させる訳にはいかないという姿勢でした。老人は怒りながら、
「あなたたちには心がないのか!老人たちを馬鹿にしているのか?老人にも生きる権利がある。なぜ患者を怒鳴りつけるのか?馬鹿にするのか?私たちは人間だ!話し方も、言い方も幼い子供に言って聞かせるような言葉使い、聞いてもわからないだろうと馬鹿にした態度や扱い、人には思う心があるはずだ!ものを言えない、身体も動かせない弱い患者たちは、皆我慢している。人を傷つけるのがこの病院なのか…」

「…」

「私はあまりにも苦しくて、死ぬかと思った…。だから看護師に『家族に来るように』電話を入れて欲しいと哀願した。しかし、『病院の規則ですからできません』『担当医師の許可がなければできません』の一点張りだった。ならば、『公衆電話から電話したい』と言ったら、『患者が勝手に電話することは許可がないとできません』と言う。私は死ぬかと思ったから、死ぬ前に電話を入れて欲しかった…。そして、身体を縛られたのだ…」

病院側はこのような経過に対して家族に、ただただ平謝りでした。
病院にとって患者は商品です。患者が来なければ成り立たないのですから、葬儀屋と同じです。人が死んで成り立つのですから。

しかし、その商品には命と心があります。

確かに夜間の看護師さんは大変なものですが、昼間と違い様相が分かりにくいのが夜間看護です。しかし、怒鳴り、意地悪してはならない事です。

医師も、看護師たちもその老人の話に真剣に耳を傾けていました…。
医療も教育も、政治も、宗教も人を扱う世界なのですが、この問題に取り組むときが来たと思うのですが・・・。

この老人は私の父です。

死ぬ前に子どもたちに逢いたかった、という願いの言葉でした・・。

わたしたち兄弟はその言葉を聞いて、ただ泣いていました…。それは父の最後の我儘に思えたことと、『死ぬ前に逢いたかった…」という言葉があまりにも胸に伝わったからでした。

そして、父の言い分は何も間違いがないからです。

「弱き者を馬鹿にし、軽んじてはならない、弱き者の声なき声を、聞きなさい!」


これは、私の父の遺言です。

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coucouです。ごきげんよう!


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