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15.やさしさって、人を救う場合だってあるのですね。

めぐちゃん
 
人に優しくする、とても簡単なようでなかなかむずかしいことです。それだけ人に接することが大変な時代なのでしょうか。
人に優しくすることは悪いことではないのに、よけいなお節介と取る人もいます。
「わたしはあんたに優しくされる覚えなどない…」
「あなたの優しさにはきっと裏があるに違いない…」

今の時代、このように考える人も多いのには驚きを隠せません。別にその人を同情したり低くみているわけではないのですが、このように優しさを否定する人もいるようです。子どもたちの関係の中でもこの優しさを誤解している子もいます。それは特定の子に優しくすると他の友だちに誤解を与えてしまい、いじめられる場合があったり、先生が生徒に優しくすると特その子だけをひいきしているとか言われてしまい、なかなか優しさを出せなくなってしまっているのです。
とてもおかしい時代になりましたね。
また、私は誰からも優しくされないと不満を言う人も多いです。これぐらい優しさはむずかしいことです。だから冷たい世の中だと感じてしまうのかもしれません。
でも「優しさ」は人を救う場合だってあるのです。

最近は地方に講演で行く機会が多くなりました。要請があればどこへでもと考えていますが、遠方は一人ではなかなか寂しいものです。それに日帰りでほとんどの時間は電車の中です。風景だけではつまらないので、たいがいは寝ているか本読んでいます。
そんな暇をしているとき新幹線の隣の列に座る親子がおりました。丁度30歳ぐらいの若い母親と幼稚園に入り立てぐらいの人形を抱えた小さな女の子でした。すると突然、この女の子が話しかけてきたのです。

「ねぇねぇおじさん、つまんなそう。ねぇねぇ一人ぼっちなの、可哀そう…めぐちゃんがね、お話してあげるね。」
となりの母親がとても済まなそうな顔をして注意しました。
本当の所、私も困ってしまいました。普通だったら見も知らぬ他人、相手にするのも面倒だし、それに神経を使うのも嫌なのですが…。
「ねぇねぇおじさん、めぐちゃんはね、とても優しいの。このお人形さんはね、めぐちゃんなの。このめぐちゃんをね、届けに行くの。」
「へー。そのお人形さんをどこまで届けるの?」
「あのね、内緒だよ、パパに届けるの。パパはね、お仕事でひとりぽっちで可哀想なの、だから。」
「へー、めぐちゃんは優しいんだね、偉いんだね。きっとパパは喜ぶよ。」
「うん。」
となりの母親はなにも言わず、私に済まなさそうな顔をして、ただ自分の娘の話を優しく聞いていました。
しかし何か変です。後で気づいたのですが、この親子の服装は黒い喪服でした・・。

「めぐちゃんは寂しくなかったの?」
「うん。めぐはね、寂しくないよ、寂しいのはおじさんやパパみたいに仕事ばかりしている人だよ。めぐちゃんは毎日遊んでいるから寂しくないよ。」

あっという間に時間も過ぎ、わたしは目的地の駅に着きかかる。別れ際、めぐちゃんがキャラメルをくれた。
「ありがと。気をつけてね。」
私に、軽く会釈を交わす母親でした。
娘さんとの会話に母親は、そっと耳を傾けるだけで何も会話はありませんでしたが、心なしか涙目をしていました。

「ママを頼むね、めぐちゃん。」なぜか私は別れ際そう話しかけました。
「ありがと、ママはめぐちゃんがいるから安心、安心だよ。心配ないの。」
新幹線から降りたわたしを、めぐちやんは見えなくなるまで手を振りながら見送ってくれました。私はここでふと考えてしまいました。それは、めぐちゃんは誰に手を振っているのでしょう…。
私は少し考えてしまいました・・・。

もしかするとあの親子を傷つけてしまったんではないでしょうか、あまりにも配慮や優しさが足りなかったのかも、もしかすると家族の誰かの不幸なのか、それとも…。

講演会一時間前、わたしはめぐちゃんからもらったキャラメルをそっとひと粒食べた。するとあのめぐちゃんの笑顔が浮かんだ。あの子の優しさはあの笑顔にありました。

まだまだ人には優しさが受け継がれているんだな…。私はこの子に救われた気がする。めぐちゃんの優しさに。

coucouです。ごきげんよう!みんなありがとう!

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