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162.私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。

新実南吉のかなしみ

令和2年から続く567は令和3年においても拡大し、現在は落ち着いてきているようですが、まだまだ不安をあおり続けています。これらは「人的な災害」とも呼ばれているもので政府の無策からここまでの感染拡大となりました。

この「人的災害(判断ミス)」は一方的なマスメデイアにより、真実や正しさが歪曲されてしまいまるで修正ができない状況に陥りました。
それにより、医療はもちろん経済も大幅な減収となり、さらなる大不況の訪れの前ぶれになるのかもしれません。どちらにしろ、567も経済状況も大きな変化はなくY頼みといった珍現象が起きていると考えられます。

世の中は不安と悲しみに溢れ、567よりも恐怖心という感染症が蔓延しはじめたようです。

わずか4歳のときに母を亡くし、自らは不治の病に冒され、それでも病と闘いながら生涯子どもたちの為に執筆活動を続けた新実南吉の言葉を思い出します。南吉の生きた時代の死因の第1位は結核でした。


20世紀初頭、当時は世界中に 蔓延し「不治の病」として恐れられていたものです。第二次世界大戦中の昭和18年(1943年)に南吉は29歳の若さで結核でこの世を去りました。


567のYが出来たとしても簡単に不安が消え去るものではありませんが、南吉の時代の疫病(死への恐怖)から逃れられない苦悩、しかし、南吉の言葉は、それでもそれに立ち向かう勇気や希望が伝わるような気がします。

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「でんでんむしのかなしみ」作 新美南吉 絵 かみやしん 対象年齢中学年 カテゴリ絵本 > 単行本 ページ数A4変型判・上製30頁発行年月1999年7月ISBN978-4-477-01023-6


でんでん虫のかなしみ

いっぴきのでんでん虫がありました。

ある日そのでんでん虫は たいへんなことに気がつきました。
「わたしはいままで うっかりしていたけれど わたしのせなかのからの中にはかなしみが いっぱいつまっているではないか」

このかなしみは どうしたらよいでしょう。
でんでん虫は おともだちの でんでん虫のところにやっていきました。
「わたしは もう生きていられません」と そのでんでん虫はおともだちに いいました。
「なんですか」とおともだちの でんでん虫はききました。
「わたしはなんという ふしあわせなものでしょう。わたしの背中のからの中には かなしみがいっぱいつまっているのです」
とはじめのでんでん虫がはなしました。

「あなたばかりではありません。わたしの背中にもかなしみはいっぱいです。」
それじゃしかたないとおもって、はじめの でんでん虫は、べつのおともだちのところへいきました。

するとそのおともだちも いいました。
「あなたばかりじゃありません。わたしの背中にもかなしみはいっぱいです」
そこで、はじめのでんでん虫はまたべつのおともだちのところへいきました。
こうして、おともだちをじゅんじゅんにたずねていきましたが、どのともだちもおなじことをいうのでありました。
とうとうはじめのでんでん虫は気がつきました。

「かなしみはだれでももっているのだ。わたしばかりではないのだ。わたしは わたしのかなしみをこらえていかなきゃならない」

そして、このでんでん虫はもう、なげくのをやめたのであります。

(※一部漢字に修正「虫」「背中」「気」)新美南吉の残した童話より。

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新美南吉 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

第26回IBBYニューデリー大会(1998年)基調講演
子供の本を通しての平和「子供時代の読書の思い出」美智子
この話は、上皇后美智子様が紹介されたことでも知られています。

このお話は、上皇后美智子様は講演の最後を、子供達が人生の複雑さに耐え、それぞれに与えられた人生を受け入れて生き、この地球で、平和の道具となっていくために、子供達と本(言葉)を結ぶ仕事を続けて欲しいという内容で締めくくっています。

美智子さまとかなしみ


美智子さまの講演「子供時代の読書の思い出」『でんでんむしのかなしみ』について一部引用します。
「(略)…四歳から七歳くらいまでの間であったと思います。その頃,私はまだ大きな悲しみというものを知りませんでした。だからでしょう。最後になげくのをやめた,と知った時,簡単にああよかった,と思いました。それだけのことで,特にこのことにつき,じっと思いをめぐらせたということでもなかったのです。
 しかし,この話は,その後何度となく,思いがけない時に私の記憶に甦って来ました。殻一杯になる程の悲しみということと,ある日突然そのことに気付き,もう生きていけないと思ったでんでん虫の不安とが,私の記憶に刻みこまれていたのでしょう。少し大きくなると,はじめて聞いた時のように,「ああよかった」だけでは済まされなくなりました。生きていくということは,楽なことではないのだという,何とはない不安を感じることもありました。それでも,私は,この話が決して嫌いではありませんでした。」

「自分とは比較にならぬ多くの苦しみ,悲しみを経ている子供達の存在を思いますと,私は,自分の恵まれ,保護されていた子供時代に,なお悲しみはあったということを控えるべきかもしれません。しかしどのような生にも悲しみはあり,一人一人の子供の涙には,それなりの重さがあります。私が,自分の小さな悲しみの中で,本の中に喜びを見出せたことは恩恵でした。
本の中で人生の悲しみを知ることは,自分の人生に幾ばくかの厚みを加え,他者への思いを深めますが,本の中で,過去現在の作家の創作の源となった喜びに触れることは,読む者に生きる喜びを与え,失意の時に生きようとする希望を取り戻させ,再び飛翔する翼をととのえさせます。
悲しみの多いこの世を子供が生き続けるためには,悲しみに耐える心が養われると共に,喜びを敏感に感じとる心,又,喜びに向かって伸びようとする心が養われることが大切だと思います。
そして最後にもう一つ,本への感謝をこめてつけ加えます。読書は,人生の全てが,決して単純でないことを教えてくれました。私たちは,複雑さに耐えて生きていかなければならないということ。人と人との関係においても。国と国との関係においても。」

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新実南吉のかなしみと美智子さまのかなしみは互いに交差し、その言葉は現在の567にあてはめて考えて見ると、精神的に追い詰められている人々の抱える深い悲しみを「でんでんむしのかなしみ」が遠い時代から話しかけているような気がします。


プロフィール
新美南吉(にいみなんきち)
1913年(大正2)7月30日~1943年(昭和18)3月22日
愛知県知多郡半田町(現在の半田市)出身
児童文学者
東京外国語学校英語部文科卒業
本名:新美正八(にいみしょうはち)
代表作:「ごんぎつね」「手袋を買いに」「おじいさんのランプ」「牛をつないだ椿の木」「花のき村と盗人たち」「久助君の話」「でんでんむしのかなしみ」他


生涯について

新美南吉は大正2年7月、愛知県知多郡半田町(現在の半田市)に生まれました。幼くして母を亡くし、養子に出されるなど寂しい子ども時代を送り、長じてからは健康に恵まれず、初めての童話集を出した翌年に29歳でこの世を去りました。
しかし、その一方で文学の師である北原白秋、先輩詩人の巽聖歌・与田凖一、恩師の遠藤慎一・佐治克己、愛した女性の木本咸子・山田梅子・中山ちゑ、そして小学校や女学校での教え子達など数多くの出会いに恵まれもしました。
 南吉がその短い生涯に数多くの名作を書き残すことができた背景には、こうした人々の支えがありました。




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本のURL
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