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31.人生で一番悲しいことは、それは、お別れなのでしょうか?教えてください!

「私は老人が嫌いでしたが、写真にうつる私は、いつのまにか老人になっていました…」

九〇才を迎えた老人は、足が弱くなり、家族の勧めで筋力アップのためにリハビリセンターに訪れ、年下の人たちや同じ世代の人たちと一緒にトレーニングを受けることになりました。
高齢者のためのリハビリですから、その場所には、いろいろなお年寄りの方々がたくさんいます。
しかし、彼はその仲間に入ろうとしません…。
不思議に思った介護福祉士がその老人に話しかけました。
「吉田さん、どうしたのですか…。皆さんと一緒に運動をしませんか…」
すると、九〇才の老人はこう答えました。
「ここにいる人たちは随分年寄りばかりだね…。あそこの人は車椅子だし、その隣の人はベッドに横たわったまま、それに点滴をうけていることもいる。随分、重症な人ばかりだね…」

「…どうですか、ご一緒に体を動かしませんか?」
老人は、遠慮しているのか、恥ずかしいのか、窓から見える庭を眺めているだけでした。
「さあ、みなさん、おやつの時間ですよ」
老人は、目の前に出されたお菓子にも手をつけません。
何よりも、もう家に帰りたがっているようでした。
「それでは、おやつの時間が終わりました。次は、みなさんと一緒にグー、チョキ、パーをしてみましょう…」
老人は、みなの姿をただ眺めているだけでした。

彼の本心は、自尊心が高く、頑固で他人の意見は耳に入らない性格で、家族が、リハビリを名目に老人ばかりのホームに捨てられた、という恐怖心を持っていました。ですから、人の意見を素直に聞き入れることができませんでした…。

そして、一日が終わり、家に帰りました。
家にいた家族たちは彼に今日の感想を聞こうと質問をしました。
「おじいちゃん、今日はどうでしたか?楽しかったですか?友達はできましたか?」と色々な質問をしました。
すると、「…年寄りばかりだった!ああはなりたくないな…」
と答えるのです。

そのリハビリセンターは彼が一番年長者で、七〇歳代から八〇歳代の人たちが一番多いのです。
「…なんだか子ども扱いされているような気がして、少しばかり気分が悪い。何よりもあんな連中と一緒にされたらかなわない…」
随分と不満な顔をしているので家族たちは少しばかり不安になりました。

その後、バックからプリントを出しました。
それは、初めての参加した日の記念ということでリハビリを受けている全員の記念写真でした。
老人は、改めてメガネをかけてその写真を見ました。
家族の人たちもその写真を見て
「…わあ…みんな楽しそうだね。笑顔が素敵だね…」
老人はさらに拡大レンズを取り出して一人ひとりの姿を見はじめました。
「…うーん、確かに楽しそうだ…。私は一人だけふて腐れているような顔をしている…」
「でも隣のお婆ちゃんも、お爺ちゃんもみな優しそうだね…」
老人は押し黙ってしまいました…。

次の日から、彼は勤めて笑顔を見せるようになり、リハビリに自主的に参加し、ゲームを楽しみ、筋力アップの運動に精を出すようになりました…。

老人は、介護福祉士の女性にこんな話をしました。

「私は、いつも人を見てきました。しかし、良く考えてみたら私自身を見る機会があまりありませんでした…。見ている自分、見られている自分、二つの自分がいることがわかりました…。私は老人なのに、老人ということを認めていませんでした。ですから、ここにいる老人たちを見て、ああいうふうになりたくない…。私はあの人たちとは違う…と信じていたのです。しかし、昨晩の記念写真の自分の姿を見て驚きました…。自分は老人になっていたのです。自分は老人だったのですね。嘘みたいな話ですが、私はこの写真を見るまで自分の姿を認めたくなかったようです。一緒にいる彼らの笑顔は最年長である私にエールを送ってくれていたのがわかりました…。一緒に生きて行こうね、そう聞こえました…。そして一番の年長者の私を尊敬のまなざしで見ていてくれたのです…。私はみんなのためにもっと長生きをしょうと思いました…。私に多くの支えてくれる友だちができました」

彼は、涙を流しながら語り続けました。

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「人生で一番悲しいこと、それは、お別れなのでしょうか?教えてください!」

昨日の朝、私の弟の長女の初めての子どもが、別の世界に逝きました。567のため面会もままなりません。家族が会えないなんて、絶対におかしな話です。お別れすることすら許されないのですから…。

母体に影響があるために、まだおなかの中から地上には出てこれません。これから手術を行い、明日か、明後日の対面となりますが、なによりもつらいのは、母親である長女です。

まだ、おなかの中には一昨日まで生きていた、わが子がいるのですから。

人は年老いても若くとも、この世を去るのは、その人の与えられた人間の寿命だとか、年を取れば往生したとかいう人がいますが、そんなに簡単なことでは慰めになるものではないと思います。若くとも、年老いても同じ命、何も変わることはありません。わずか9か月の命だったかもしれませんが、母親のおなかに存在したことは事実です。

伝わらないかもしれませんが、とても小さないのちに、ありがとう、と声をかけました…。

人生でこんな悲しいことはありませんね。

人の幸せは、生きている以外に何があるのでしょう?それ以外、何を求めて、何を欲しがるのでしょう?新しいいのちとの出会いはますます薄くなり、年を重ねれば重ねるほど、お別ればかりが続きます。

毎日、毎日、死亡報道がまるで天気予報のように垂れ流されています。知っている人のいのちも、知らない人のいのちも、そこには膨大な悲しみとお別れが続いるのですから、いのちはそんな簡単な数字ではありません。

567も、人のこころににとどめを与えます。

とてもおかしな世の中ですね。

人の幸せは、大切な人と生きることです。ほかに何があるのでしよう?何よりも、何よりも幸せは、かけがえのない人が元気でいてくれることです。「さよなら」ではなくて、「ありがとう」は大切な人に伝える言葉です。

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追記:大切な、大切なおかあさまの手術が無事に終わってよかったですね!まだまだ大切にしてあげてください。

coccouでした。ごきげんよう!


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