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192.人生において孤独は宝物よ。ひとりでいることは恐くはないし、ひとりでなきゃイヤなくらいよ。


 

わたしの夢は広いきれいな家に住むこと。

なぜって、猫やハトや飼い主のいない動物を助けることを考えているから。

 

あの日、わたしは古い自転車に乗って隣のまちまで買い物に出かけました。まずはわたしの飼っている捨て猫と捨て犬のための餌を買い、まっすぐに帰るつもりでした。

すると、衣料品店の前を通ったとき、突然セーターを買いたくなってしまったのです。

わたしの毎日の生活はあまり楽ではありません。わたしの可愛らしい動物たちの餌代だって大変な出費です。だからいつも生活の心配の連続です。これっぽっちのお金で明日はどう生きよう、どう過ごせばいいのと思い悩みます。心配で心配で心がふさぐと、ピアノを弾きながらわたしは神に祈ります。

でも、セーターを見たい、見るだけでいい、自分にそう言い聞かせながらその店に入ってしまいました。

柔らかな肌触り、素敵な淡い色、あたたかく、かわいらしい模様柄。お値段は40マルク(4000円)でした。

今のわたしにはとても大金でした。

でも、やっぱり欲しい…。

明日、わずかな貯金をおろしてもう一度来ればいい、そう考えました。

店員さんに明日また来ると伝えて、わたしは店を後にしました。

もう心はわくわく、ウキウキ。

これも、わたしの小さな夢のひとつです…。

そして店を出ると、真っ黒で薄汚れた服を着た小さな子どもが、わたしのそばに来て、わたしにおそるおそる手を差し出して、

「お金…。ちょうだい」というのです…。

わたしは物乞いの浮浪者はよく見ているし、そんなときは1マルク渡してきましたが、今日のわたしの気持ちはまったく違っていました。

わたしはその汚れた服を着たこどものうるんだ瞳をじっと見ながらあの日のことを想い出していました。

それは、わたしが一銭もお金が無くなり、食べるものもなくなり、とてもお腹が減ってしまい、知り合いのところへ出向いた時があるのです。

お腹が減ってしまったのでタダで食べさせて、などなかなか言えるものではありません。だから、少しでいいから、ほんとにわずかでいいからお金を貸してください、そう言おうと思ったのです。

しかし、当り前の話ですが、「そんなお金なんてない」とはっきり断られてしまいました。

わたしはそのまま走りながら泣きながら、薄暗い部屋にもどり、さらに泣きました。

今でもあのときの恥ずかしさとみじめさは一生忘れません…。

この時、わたしは砂糖水だけで過ごしました。

 

この汚れたこどもは、あのときのわたしです。

あのときのわたしよりも小さいこどもです。

あの日、あの時のわたしと同じ目をしていました。

わたしにとってその薄汚れた男の子は、薄汚れた捨て猫と同じような目で、あの日、あの時のわたしと同じ悲しみの目をしていたのです。

わたしはすぐに銀行に行き、20マルクを (2000円)をおろし、その子に渡すことにしました。

その子は信じられない、まるで奇跡が起きたかのような驚きと喜びと笑顔で地べたに座り込んでいる父親のところへ駆けていきました。父と子は、わたしに軽く会釈をした。その笑顔の中には何かひとしずく、輝きを感じました。

わたしは、2000円で、わたしの生涯の悲しみを、生涯忘れられなかった悲しみが、この奇跡で薄れていくのを感じていました。

翌日、わたしはあの衣料店にセーターを取りに街へ出ました。

わたしはなけなしのお金40マルク (4000円)を用意し、店員にお金を払おうとし尋ねました。

「おいくら」

「はい、20マルクです。」

え!昨日はたしか40マルクだったはず。

どうして?わたしは驚いた。

「本当に20マルクでいいんですね」

「はい…。」

わたしは二十マルクを渡して、さっさとセーターを買って店を飛び出しました。

もう嬉しくて嬉しくて、自転車のかごにセーターをのせて、わたしは自転車を走らせました。

彼女の名前はフジコ・ヘミング。この話は実話です。

暮らしの手帖社「フジコ・ヘミング14歳の夏休み絵日記」より


 フジコの母は苦しくても、どうしても芸大に行かせたかった。

在学中、NHK毎日コンクールで音楽賞に入賞、文化放送音楽賞を受賞。しかし、フジコの日本国内でのピアノの評価は低かったのです。

フジコはスエーデンの国籍を持っていたが、生まれてから一度も父の国に訪れたことがなかったことから国籍を抹消されていたため、バスポートを取ることができませんでした。

母は日本人だから、日本の国籍ならばと考えましたが、日本国籍取れません。

そんな時、フジ子のピアノを聴いてくれたドイツ大使が、赤十字の難民としてドイツに渡ればいいことをアドバイスしてもらい、1961年にベルリン国立音楽学校の留学生としてベルリンに出向くことになったのです。フジコは当時30歳。財産はドイツ政府の発行した難民パスポートだけでした。

WOWOW『フジコ・ヘミング特集』の最新予告編より

 

「人生は思うように行かないことが多いじゃあない?未来にはきっと素敵なことが待っていると思っていたのに、現実は悔しい思いや、つらい思いをたくさん味わう。わたしは、そんな人たちを勇気づけられるようなピアノを弾ければいいと思っているのよ」

 

その後3年、ベルリンの留学が終わり、ピアニスト、パウル・バドウラ・スコダで学ぶためにウィーンに移住する。そこで、名指揮者と呼ばれるブルーノ・マデルナに才能を認められ、彼のソリストとして契約しました。また、その才能に注目したレナード・バースタインが彼女を支持します。バーンスタインはカラヤンと人気を二分する巨匠でした。

 

フジコはいつのまにか、この頃、35歳になっていました。

1976年、バーンスタイン、ニキータ・マガロフ、チェルカスキー、マデルナの推薦により初めてのリサイタルが決定しました。

まさにフジコの夢が実現する寸前でしたが、この時に耳の聴力を失ってしまいます。

当時のフジコには医者に通うお金もなかったのです。

 

神なんていない、奇跡なんてない…。
 
奇跡は起こらない…。

もちろんリサイタルデビューは中止になりました。フジコはチャンスを失い大きな挫折をします。その後、耳の治療に専念しはじめました。しかし、それでも回復したのは左の耳だけでした、全部は聞こえません、医者は40%だという。

フジコはいつのまにか、40歳になっていました。

 

「立派な家やうなるほどのお金があったって、家やお金が幸せをくれるわけじゃあないわ。生きている目的は、いい男にめぐり合うことでも、たくさんのモノを手に入れることでもない。今あるもので幸せを感じられること。運命を受け入れて、与えられたものに満足できること。それが幸福というものじゃあないかしら。他人と比べて、自分に足りないものばかりを探し出すようなことは、わざわざ自分を不幸にしているようなものよ。」

 

そして、もう、多くの聴衆の前で再び演奏することはありませんでした……。

1995年、母の死後、傷心のまま日本に帰国します。しかし、あいかわらず生活するあてありません。そこで日本でピアノを教えることで生活のリズムをつくり始めました。

フジ子いつのまにか、60歳になってしまいました。

1999年NHKのドキュメント番組、ETV特集『フジコ〜あるピアニストの軌跡〜』が放送され、突然のフジ子ブームが起こりました。

その後、発売されたデビューCD「奇跡のカンバネラ」は発売後3ヵ月で30万枚のセールスを記録し、日本のクラシック界では異例のヒットとなりました。さらに、第14回日本ゴールドディスクの大賞の「クラシック・アルバム・オブ・ザ・イャー」他各賞を受賞しまし。

1995年10月15日の東京オペラシティ大ホールでリサイタルを果たし、音楽活動を再開します。2001年6月7日にはカーネギーホールでリサイタルを披露しました。

 

「人生において孤独は宝物よ。ひとりでいることは恐くはないし、ひとりでなきゃイヤなくらいよ。そばに猫がいて、大好きな木々のざわめきを感じるから。毎日ひたすら本を読むの。日本の本もドイツの本もたくさん読んだわ。そんな孤独の時間を持つと、疲れがすべて取れていく。これ以上楽しいことはないわ。」

フジ子・ヘミング67歳の出発でした。
(2020年で88歳となりました)

 

人生ってあなたが思うほど悪くない……。

coucouです。みなさん、ごきげんよう!

今回は私の大好きなアーティスト、フジコ・ヘミングです。

彼女の指先からピアノを奏でる音に私は魂を揺さぶられてしまいます。
私はほとんどのCDを購入していますが、そのCDを買うたびに同じ曲であってもどこかしら違う、それぞれの音があることがわかりました。

ある意味、彼女の音はすべてフジコのオリジナルだとあえて解釈しています。特に、指先から奏でる音の強弱などを他の音楽家と聴き比べると恐ろしいほど違います。

そこに彼女の音に対する哀しみであったり、あるときは怒りであったり、あるときは幸福の絶頂時を感じてしまうのです。

また、彼女の音楽は聴くたびに何かしらメッセージのような何かを与えられている気がするのです。

そして、彼女の波乱万丈の人生が私を救ってくれるのです。なんといっても67歳からの出発です。普通であれば高齢者ですが、彼女の果てしない情熱はまさに若者といえるぐらいの逞しさとアグレッシブルさを備え、年齢を超越した人生の第2章、第3章だからです。

令和3年度で89歳ですから、本年度は90歳です。しかし、彼女の眼の奥底の光は何も失われていません。私もいつまでも目の輝きを失わずに年老いたい、そう考えるようになりました。

まさに「challenge my life」ですね。
私も猫がそばにいてくれるだけで、あとは何もいらないかもしれません。

今日も、最後まで読んでくれて

みんな~

ありがとう~

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