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97.人から与えてもらった、幸せのすべては戴きものではなく、預かりものだという。

幸せ論


「しあわせ論」


先日、私はある町で講座を開催した。

いつもはビジネス関連やベンチャー企業、まちおこしといったテーマが主流なのだが、今回のテーマは「しあわせ」である。

随分と珍しいテーマだが、著書「ホスピタリティ・ライツ」を読んだ税理士協会の先生方からの要望であった。

「ホスピタリティ」は私の好きな分野で、今まで様々な企業や団体で実践的に行ってきた経緯もあるので、今回は、《おもてなしの心》と《しあわせ》を合体して試みた。


約3時間の長い講座であり、参加者の方々にどうお伝えしたら喜んでもらえるのかと、直前まで悩んでいたが、最終的には参加者の表情を見て内容を変更しようと考えた。

参加者のほとんどが女性で、職業は会計業務の人たちが中心だった。その方たちを見て私は、当初考えていた内容をその場で大修正することにした。


参加者全員の表情を見ていたら、税理士協会のテーマ「しあわせ」の意味が少しわかったような気がしたのと、聴講者が集った会場内の雰囲気がとても良かったからだ。

そこで、わたしは自分の体験談を話すことにした。なぜなら、むずかしい理論や空論を話してもつまらないし、何よりも喜んでもらいたいと思ったからだ。


最初の話は、「プロや専門家になってはいけない」「いつまでも素人の目線のままでいてほしい」「日々の生活の中の一部が仕事である」「おもてなしの心」「すべてを否定しない、すべてはYESである」「その人の背後にあるものを感じてみよう」「つまらない仕事はない、すべての仕事は必要とされているもの」「愛されることより愛すること」「思われるよりも思うこと」、「ジョンとヨーコのYESストーリー」。

それらに加えて、「夜と霧」のフランクルの「それでも私は人生にYESという」、オー・ヘンリーの「最後の一葉」、そして私の体験と「内観法」を伝えた。

最後は盛大な拍手と参加者の涙で感動のフィナーレを迎えられ、こんなことは稀だが、壇上の私自身の眼からも涙が零れていた・・。


そう、「しあわせ」は「しあわせ」を与える者に訪れる。


このように人生のすべてが作用、反作用の世界。すべては原因と結果の法則である。


私は不幸だったのだろうか・・・と、ふと考えてみた。

このしあわせ講座は、私のための講座ではなかったか?


頂戴したものがあまりにも多く、こちらが感動し、感謝して終わった。
このしあわせ講座で伝えたかった話が時間的に出来なかったが、本当はこんな話題も考えていた。

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「幸田露伴」出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

三つの福「惜福・分福・埴福」


それは明治の文豪、幸田露伴と仏教家の松原泰道師のお話だった。

幸田露伴は「三福」という考え方を唱えた人だ。


三福とは、「惜福・分福・埴福」の3つのことをいい、「惜福(せきふく)」は、幸福を惜しみ、「大切にしよう、大事にしよう、粗末にしない」と誓うこと。


「分福(ぶんぷく)」は、幸福を人に分け与えることで、自分一人の幸福などありえないということ。相手が幸福だからこそ自分も幸福になり、幸福を惜しむ気持ちは誰にでもあるが、独り占めは感心できないこと。


「埴福(しょくふく)」は、幸福を植えること。将来に亘って幸せであり続けるように、今から幸せの種を撒き、正しい努力をすること。


これまでの人生で私は、調子に乗ったり、天狗になったり、散財してしまったり、自分中心に生きてきた。その生き方は、すべてこの「三福」の教えの逆でもあったのだ。

当時、ふらふらしていた私は必然的にこの露伴の言葉と出会い、改心した記憶がある。


露伴はまず「幸福はどうしたら引き寄せられるのか?」について、「どんな出来事でも他人のせいにせず、自分で引き受けることだ」と説いていた。その上でこの「三福」の実践をすすめていた。露伴はさらに自分の著書「努力論」で、次のようなことも述べていた。


幸福に遭う人を観ると、多くは「惜福」の工夫のある人であって、然らざる否運の人を観ると、十の八、九までは少しも惜福の工夫のない人である。福を取り尽くしてしまわぬが惜福であり、また使い尽くしてしまわぬが惜福である。


惜福の工夫を積んでいる人が、不思議にまた福に遇うものであり、惜福の工夫に欠けている人が不思議に福に遇わぬものであることは、面白い世間の現象である。

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※幸田露伴は「知の巨人」ともいわれた幸田露伴が24歳で著した代表作「五重塔」。それぞれ仏師、刀鍛冶を描いた「風流仏」「一口剣(いっこうけん)」に続く芸道小説で、自然主義文学誕生前の文壇をわかした。


幸田 露伴(こうだ ろはん、1867年8月22日(慶応3年7月23日) - 1947年(昭和22年)7月30日)は、日本の小説家。成行(なりゆき)。別号に蝸牛庵(かぎゅうあん[1])、笹のつゆ、雷音洞主、脱天子など多数。江戸(現東京都)下谷生れ。帝国学士院会員。帝国芸術院会員。第1回文化勲章受章。娘の幸田文も随筆家・小説家。高木卓の伯父。
『風流仏』で評価され、『五重塔』『運命』などの文語体作品で文壇での地位を確立。尾崎紅葉とともに紅露時代と呼ばれる時代を築いた。擬古典主義の代表的作家で、また漢文学・日本古典や諸宗教にも通じ、多くの随筆や史伝のほか、『芭蕉七部集評釈』などの古典研究などを残した。旧来「露伴、漱石、鷗外」と並び称され[2]、日本の近代文学を代表する作家の一人である。

七福(しちふく)の教え


このように露伴は惜福には工夫(意識した努力が伴う)が必要だと述べた。


そして、仏教界の長老で101歳の松原泰道氏は、この幸田露伴の教えに四つを加えて、「七福(しちふく)」を語った。


その七福とは、露伴の「惜福」を「積福」と広げ、さらに「知足福」「逆縁福」「点灯福」「保福」の四つを加えて「七福」とした。

この「七福」の特徴に「逆縁福」というものがあり、逆境もまた大きな心であり、長い目で見れば、それが福となるという意味である。

「点灯福」は、昔、光の見えないあんまの女性が小さな自分の家の外に電灯をつけて、ぬかるみの暗い道を明るく照らし、そこを通る人々から感謝されたという話で、人の心に灯をともす《福》という意味だそうだ。

「保福」は、今まで多くの人達から与えてもらった幸せのすべては戴きものではなく、預かりものだという考えである。預かった幸せは自分のもとで保管し、やがてまた他の人に預けるという意味。

©Social YES Research Institute / coucou

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自分は、わが師ですね!


作家の吉川英治に「自分以外は皆我が師である」という有名な言葉があるが、松原泰道氏はその言葉を受けて、「自分もまた我が師である」といった。

世の中には、不幸だと嘆く人もいれば、いつも幸せだと思う人がいる。

本当はとても幸せなのに、不幸だと思う人がいる。

本当はとても恵まれているのに、恵まれていないと感じる人がいる。

無理やり自分は幸せなんだ、そう言い聞かせて生きている人もいる。

しかし大切なことは、自分の生活の中で幸福に気づき、幸福を感じる。自分の持っている幸福を知り、認め、幸せだという実感を得る。自分は幸福になれる、幸福だということを信じる。このような習慣がその人の幸せにつながる、という。


そう、自分は、わが師ですね。



みなさんは今、幸せを感じていますか?



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