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学校で仕事ができるようになるまでの道のり。①

どうも、うぇい。です。

うちの高校魅力化コーディネーターとしての仕事に関しては、現時点でこんな感じ・ってのはお伝えさせてもらってるんだけどね。

そこでもお伝えしたんだけど、1年目は信頼を積んだ1年。
2年目でようやくコーディネーターとしてスタートラインに立っている、そんな年。

この1年目~2年目の移り変わりに関して語ってみようと思う。

1年目を振り返る

うちは与謝野町の地域おこし協力隊として着任して高校魅力化コーディネーターを始めたんだけどね。

募集はこんな感じでした

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まぁ、この募集を見て申し込んだのではなく、与謝野町の友人から「こんなのあるけど興味ある?」って話をもらって、即答した感じでして、そこから担当の方にご連絡して、後から募集要項見るっていう、そういう流れでした。

思ってたんと違う。

これは地域おこし協力隊あるあるみたいだけど、着任してから「思ってたんと違う」っていうのはよくある話らしい。うちも軽く例に漏れず、な状況やったと思う。

うちとしては「よっしゃ!町の子供たちに選ばれる学校づくり頑張るぞ!!!」で意気込んでたわけですよ。
ある程度、現場でも話が通ってて、「ようこそ!(*´ω`*)」みたいな感じで受け入れられてスタートするもんなんだと思ってたわけ。
この辺は、教育業界初だったからこそ持ててた感覚だったんだ、と今になって思う。

でも、いざ着任してみても、なんだかやることはあるようでない感じ。
学校での着任式でも、うちの想像では
「京都府初の取組で、今年から着任してもらう高校魅力化コーディネーターの長谷川さんです!👏!!」
みたいな感じで紹介されると思ってた。(今思えば図々しい)
でも、実際は、その年着任した先生と共にさらっと
「与謝野町の職員の長谷川さんです」
っていう一言だけだった。

「あれ?そんなあっさりした感じ?それじゃ誰もよくわからないんじゃない?」

そんなちょっとした違和感を感じた、1年目のスタート。

これは後から分かったことだけど、この時、現場としては「高校魅力化コーディネーター?何する人なん?」状態だった。
そう。
管理職から「町からコーディネーターが配属されることになったから」、と、そんな感じでさらっとしか通達がなく、現場は全然ウェルカムモードではなかった。それに気づいたのは配属されてから随分経ってからだけどね。

あ!

とはいえ、ものすごい邪険にされたとかではなく、敵意を出されていたわけでもなく、どちらかというと「よくわからん」っていう、そんな空気間の方が強かったね。
(これも後に知ることになりけど、とはいえ、一部の方からは「教員でもない人を職員室に入れるなんて!」ということで反対される方もおられた)

つまり。

うちは当時の認識は
「試合にエントリーは終わってて、現場に行ったらアップして試合に臨めるもんだと思ってた」
だったけど、
実際は
「試合のエントリーはできてなくて、試合が出来ない。現場に行っても門前払いされて会場にすら入れない。エントリーするためにまた次の大会まで待ちの状況」
って感じだった。

そりゃ仕事ないわな(苦笑)

とはいえ、管理職はコーディネーターの導入をOKするくらいなので、うちに対しては好意的で、仕事に関しても、配属してからやってほしいこと・というのは用意はしてくれてたんよ。
それが広報活動ね。
今思えば管理職はいいポジション与えてくれてたな・って思う。

これも配属してから理解したけど、うちはあくまでも「与謝野町の職員」であって「学校職員」ではない。だからそこは結構線引きされてて、「目に見えない立ち入れない領域」が存在してて。わかりやすいところでいうと、職員会議に参加できない、とか、授業を持たせてもらえない、とか。
この辺は学校にもよるんだけど、うちの学校はそんな感じで、内部にいるけど、一定の距離感というのは保たれていた。

だから、生徒に接触する機会が全くなかったのよねー。

まぁ、これは2つ理由があって。
1つは👆ね。
もう1つは、うちが4月配属だったってこと。

学校ってさ、2月3月の時点で大体次の年どうする・が、ほぼ決まっちゃってるんだよ。

だから、4月配属した時点でうちが付け入る隙はなかったんだよねぇ。

ってなわけで、うちが生徒に絡める機会ってほぼ皆無。

子供の教育に関わりたくて「この仕事だ!」と思ってやる気だったうちにとってはこれが一番きつかった。肝心の子供と接触する機会がない・ということが。

だから、この広報活動がかなりいいポジションだったのよ。
カメラを免罪符に授業を覗きにいけたし、部活動にもお邪魔できたし、試合も観に行けたし。

仕事よりなによりまず第一にやらないといけなかったこと。

〇 生徒とも関われない
〇 どこの馬の骨ともわからない、ということで教育に携わる仕事らしい仕事もない
〇 うちの紹介もさらっとしかされなかった(なぜ配属されているか生徒はわかっていない)

こんな状態のスタートだったから、うちの一番最初にやらないといけないことは

長谷川という人間が学校にいるということを生徒たちに知ってもらう

ということやった。
まずは顔から覚えてもらわねば!って感じだった。
だから
朝の挨拶活動を初めて、
可能な限り小さいことでも授業や行事ごとには写真を撮りに行って、
部活動にもちょこちょこ顔を出して、
各部活動の試合で行けるやつは行って、
思いつくことは全部やった。

京都府初の高校魅力化コーディネーターはそんなところからスタートをしたのでした。

(続)

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