見出し画像

人生は自由であり、希望に満ち溢れている。

夜に降る雨の匂いを胸いっぱいに吸い込む。

針のように細かい雨が痛いほど僕の体をたたきつける。肩は少し冷たい。傘の上にパラパラと落ちる音を聞きながら信号待ちをしていた。降り続ける雨に街の輝きは失い、息をひそめて佇んでいるかのような息苦しさを感じる。雨が降らなければ自然環境が壊れるが、降りすぎると街が壊れるとはこのことだ。重たく薄暗い雲が東京の空を支えている。夜が明ける直前のひんやりとした渇いた、グレーがかった空気の中にいるみたいになる。天気というのは人間の情緒を反映するメタファーである。

しかし雨の日のドライブは嫌いではない。バイクであれば、ずぶ濡れになりながら雨空を恨めしく仰ぐかもしれないが、車の場合はなんのこれしきである。フロントガラスに垂れる雨粒はスーッと落ちていく。車内はゆっくりとした時間が流れる。『ドライブ・マイ・カー』のみさきのように運転はうまくないが、よくドライブをするし、運転も好きだ。

車内でかける音楽に悦に入ることがある。

車内でかけるBGMは基本的にランダムで流すことが多い。『ドライブ・マイ・カー』の家福はセリフを吹き込んだテープを流している。ただ眠くなりそうなのであまりおすすめはしない。

一昨年から車通勤するようになってから、車内で音楽を聴くことが日課になりつつある。電車で聴くそれとは違う趣がある。

ランダムで音楽をかけると「あ、こういう曲もいいな」という曲があったりなかったり。たとえば最近出会った曲というと

EDM系というべきか……あまり聴かないジャンルではあったのだが、「あぁ、いい声してるなぁ」と、煌びやかな東京の街と相まってすっかり聴き入ってしまった。

前回の記事でも紹介したけど、夜の運転にいい曲だった。

10代はいつか終わる 生きていればすぐ終わる
若さはいつも素裸 見苦しい程ひとりぼっち
フラワーカンパニーズ『深夜高速』

本当に人間って、死に向かって生きていく生き物だなぁと思う。10代の僕はあっという間に過ぎた。こうして20代もあっという間に終わってしまう。そしていつか死ぬのだ。

こうして夜の東京を走らせていると、先のわからない自分の人生に思いを馳せてしまう。

そういえば以前、こういう記事を読んだのを思い出した。


永沢俳里さんという方の記事である。

この記事では「このまま21歳のままでいいよ」と、ある人の一言から憧れの年齢について考察している記事だ。年齢に対する考え方がよくわかる記事である。ぜひ読んでみてほしい。

人生経験が足りなさすぎず、体力や精神力もまだ余裕があり、程よく失敗と挑戦ができる。心のキャパシティもいい具合に熟成されて、少し訓練すれば視野も拡張可能。それが24〜35歳の期間だと考えている。
「憧れの数字になったことある?」より

その通りだなぁというのが率直な感想。今の僕がまさに「心のキャパシティがいい具合に熟成されて」いる期間である。

体感として、まだ大人になりきれていないのにこのまま年齢を重ねていくことに不安がある。自分より若い子でも「え、人生2周目ですか!?」みたいな生き方をしている人もいる。だがしかし、無駄に年齢を重ねているわけではない。少しの心境の変化もある。たとえば若い人への接し方。

時節柄、新入社員が入ってくる。そして最近、その新入社員と一緒に仕事することになった。最初は右も左も分からないであろう中、僕のような若造が仕事論とか人生訓を宣うには20年早い。たかが4,5年の違いではないか。

そこで永沢俳里さんの言うところの「心のキャパシティがいい具合に熟成されて」いる大人の余裕をみせる。

僕「仕事はどう?慣れてきた?」

新入社員「いえ、まだ…😅大変なことや覚えることが多いですね!笑」

僕「そっかぁ〜まぁ焦らずゆっくりこなしていこう😊」

ぐらいの大人の余裕をみせる。

一緒に仕事する仲間だし、新入社員は大事にしたいところである。仕事できなくて当たり前。まだこれからなのは百も承知の上である。だからこそ、若い人への接し方について考える。どんなに疲れていても、どんなにストレスがあっても、相手によって態度を変えてはならない。これは僕の信条である。24〜25歳の僕にはそれができていなかったが、今の僕ならそれができる。どこで人生のレールが切り替わったのかわからないが、年齢を重ねていくうちに心のキャパシティが広くなったのかもしれない。そして人に優しくなれた。丸くなったなぁ、自分。やはり、心の余裕がなければ人に優しくできないのである。

そんな年齢を重ねていくことに対して、先ほど紹介した「憧れの数字になったことある?」の記事の最後に

30〜40台まではふわっと考えられたけどそこから先は全く想像できない。人生経験が不足してるのもそうだけど、単純に「今」を見つめていたい。そうして自分の好きの欠片を集めて色んな人と出会って、何をしてる自分が好きかな?なんて考えてワクワクしたい。
「憧れの数字になったことある?」より

そうだよねぇ。その先はもうわからないよねぇ。だから自分のことが好きになれるような生き方をしたいよねぇ。臨終の際、「生まれ変われるならまた自分になりたい」と思えるような生き方をしたい。

探しものはなんですか?
見つけにくいものですか?
カバンの中もつくえの中も
探したいけれど
見つからないのに
まだまだ探す気ですか?
それより僕と踊りませんか?

なんて歌もあるけど、僕の「探しもの」は最高な死に際。どうせ人間はいつか死ぬのだから。どんなにお金持ちになって、財産や不動産をもっても死んだら誰かのものになってしまう。だからこの世に残しておけるものをつくっておこうと思ったりもする。たとえば書籍を出版(kindleではなくて、ちゃんとISBNが載ってる)したり、論文を投稿したり。たとえ僕が死んでも一生のものとなるからである。僕のnoteのプロフィールに「大学院では日本近世史専攻」とあるけど、修了するまで論文1本もかけなかったダメな学生だったので非常に後悔している。

年齢に対する恐怖や不安は年齢を重ねるごとに思うことだけど、未来に対するワクワク感を失ってはいけない。そう思うことで、人生のレールが切り替わる音が聞こえる。

毎日同じ時間に起き、いつものように仕事をこなし、帰ってきてご飯を食べ、自分の趣味の時間を楽しむ。当たり前のようにこういった生活ができている。それだけでも幸せじゃないか。次の休みの日になにしようか考えるだけでも楽しいし、推しのライブ配信やイベントを楽しみに生きるのもよし。「あぁ、この日のために生きてんなぁ」ぐらいがちょうどいい。

僕の人生はこんなもんじゃない。まだまだ楽しい未来が待っているのだから、まだ死ぬわけにはいかないの。

今週は以上!また来週!


よかったらサポートもしていただければ嬉しいです!いただいたサポートは読書に充てたいと思います!