地方の土産菓子はまだ私に学べと言うのか
相変わらずお土産のお菓子が好きすぎるので、東北旅行に行く友人に無理やり数千円を渡して、思いのままお土産を買ってきてほしいと頼んだ。
受け取る寸前まで友人は「もう通販やアンテナショップで買いなよ」と言っていたが、それではいけない。あくまでもお土産はお土産であるべきで、その地方も行かず、自分で選んでしまっては台無しだ。また、人に頼むことで、その人の趣味嗜好が入り込む余地が与えられる。自分では買わないようなお土産も買ってきてくれるので、私の地方銘菓に関する見識も深まるわけだ。
だから、ちょっと嫌そうだからって金を渡すのを辞めない。多分「貰った金額以上は買わないといけないよね…… 帰りの荷物も多くなるし、嫌だなあ」と思っているのだろうが、それを気にしていては私のお土産理想論は叶わない。それに以前友人は体力の低下を嘆いていたし、それならば筋力増強に手を貸すまでだと善意で行った節もある。帰京後に彼女の腕が薄っすらと筋張っていれば何よりだが。
それと一応断っておくが、私だって親交の浅い人間にはこんな無茶な頼みはしない。気の置けない仲だからこそ、信頼してお願いしている。もしも「親しき仲にも礼儀あり」というのなら、私は金を渡したことが「礼儀」であり、彼女はお土産を買ってくることが「礼儀」だと思う。ちゃんとした礼儀を果たした私たちは歴とした親しき仲であり、そしてそれはこれからも続くだろう。あれが手切れ金にならないことを祈る。
数週間ぶりに会った友人は、「これが例のブツだから」と言って私に真っ白の紙袋を渡してきた。私はこくりと頷き、それを受け取る。なんだ、案外ノリノリだ。
受け取るだけで帰るのもなんだか忍びなかったので、拙宅でお茶を飲んでもらうことにした。折角なら一緒に開けて、感想を共有しようと思う。私は適当に安い紅茶を淹れて、彼女の前に出した。
準備は万端。さて、では開封といこうじゃないか。中を見ないように手を入れて、ことりことりと、一つづつ取り出していく。美味しそうなものが出てくるわ出てくるわ。こんなに楽しい「箱の中身はなんだろな」は初めてだ。
数分かけて全て取り出した後、改めて各々をまじまじと見つめる。牛タンのみそ漬け、ずんだのどら焼き、ずんだ大福、ずんだパイ、ままどおる、おつまみホタテ。こんなにたくさん買ってきてくれるとは、なんていいヤツなんだ。あと少しで好きになるところだった。
しかしまあ(本当に貰っておいてなんだが)強いて言うなら、仙台のお土産が多すぎないかなという印象もある。彼女の話を聞くに、三泊四日で山形、福島、宮城に行ったとのことだが、どうやら最終日の宮城県でぎりぎり買い込んだようだ。だったら萩の月はどうした。何故ずんだばっかなんだ。視野の半分が緑色で目に優しい。ずんだを連続で三回とりだした時には流石に高校の数学を思い出したのだ。完全に玉を取り出すやつなのだ。
彼女に「ありがとう。ずんだが好きなの?」と問うと、「私は嫌い」と答えた。自分が好きなものを渡せよと思った。
それからお土産を食べながら、彼女の土産話を聞いた。ライトアップで青白く光る会津若松城が綺麗だったとか、雪が降りしきる外を見ながら貸し切り状態で入る蔵王温泉は最高だったとか。私もその情景を想像し、地のものを食えるこの状況に幸せを感じる。話と菓子。その二つが合わさってこその土産だ。
途中、友人が「これもあるけど、いる?」と、柚餅子を一つ渡してきた。私は三本の指に入るほど柚餅子が好きなので、有難く受けとり、すぐに食べた。「柚餅子も買ってきてくれたんだ」と言うと、友人は「いや、温泉の宿に置いてあったから一応持ってきた」と答えた。「食べればよかったのに。勿体ない」と返すと、「いや、私嫌いだから」と言っていた。東北でよく殺されなかったなと思った。
宴も酣。彼女も話すことに満足したようで、帰り支度を始めた。私も立ち上がりながら、彼女の持ってきてくれた紙袋を畳もうとした。すると、ガサッっと、中で何かが滑る音がした。
「あれ、まだ何かあったかな」と中身を確認すると、そこには「おしどりミルクケーキ」が入っていた。「ああ、それも買ってきたんだった。よかったら食べてよ」と友人が言った。
恥ずかしながら、私は「おしどりミルクケーキ」を初めて見たし、今まで聞いたこともなかった。以下に説明文を貼る。
形は小さめの短冊型で、全体的に少しだけ黄色がかった白色。触ってみると、木の板くらい硬い。乾燥していて、カサカサしている。これが、ケーキ? ミルク木片の間違いだろう。
私は恐る恐る口に入れてみる。……硬い。八つ橋よりほんの少し硬い。思い切りかみ砕くと、ミルクケーキはほろほろと崩れていった。そして噛み締めるごとに、ミルキーのような甘い味がしてくる。
悪くない。というか、美味い。硬いとはいえ、薄くて噛めないことはないし、サクマ製菓の「いちごみるく」を口に入れた瞬間噛み砕く私としては非常に食感が楽しい。そして目の覚める程の甘さ。ミルキーがママの味なら、ミルクケーキはおばあちゃんの味だ。何でも作ってくれるし、一度好きだと言った菓子を訪れる度に買っておいてくれる、あのおばあちゃんの私に対する甘さ。それがミルクケーキから感じられる。ミルクケーキ甘すぎて好きすぎる。
ただ、やはりネーミングが引っかかる。だって、これはどう考えてもケーキではない。私たちが思い浮かべるケーキとはもっとふわっとしているし、クリームが使われている。「今日のデザートはケーキだよ」と言っておばあちゃんにこれを出したら、流石に甘々なおばあちゃんもぶちぎれると思う。いや、もしかしたら「ありがとうねえ」と一度受け取り、部屋の陰で泣くかもしれない。そんなおばあちゃんは見たくない。
まったく、食品偽装なんてレベルじゃないぞ。消費者庁は一刻も早く「ミルクキャンディ」に名前を変えさせるべきだ。そう思いながら、「cake」という単語を調べてみた。すると、「洋菓子のケーキ」の意味の他に、「薄く平たい、固いかたまり」という意味もある、そう出てきた。
……本当に申し訳ないとしか言いようがない。薄く平たい、固いかたまりである「おしどりミルクケーキ」は紛うことなきケーキであり、間違っているのは私だった。
私のしたことは、ケーキの意味を断定し、その枠組みに沿わないものを排他する最低の行為だ。「いやいや、ケーキといえばあのやんわりとした、ケーキ屋さんにあるような、あの洋菓子でしょ?」と、至極やんわりとした定義が頭を支配し、同時にミルクケーキよりもかたい固定概念が私の攻撃性を増幅させ、かたや「悲しむ人がいる」とおばあちゃんにこの悪行の肩棒を担がせてしまった。おしどりミルクケーキ並びに日本製乳株式会社様、ごめんんなさい。最高に美味しいケーキを作ってくださってありがとうございます。
私はミルクケーキに深々とお辞儀をした。その先にいた友人はお土産を持ってきた自分にお礼しているのだろうと、満足げにしていた。違うのに。
私はミルクケーキから、固定概念の愚かさと、意味を正しく知る必要性を学んだ。地方銘菓はまだまだ私に知らない味と人生観を教えてくれる。なんて嬉しいことだろうか。一生彼らについていこうと思う。
二月には人生初の九州に行く予定がある。私は「はかた通りもん」がこの世で一番美味しいお土産だと思っていたが、もしかしたら他にもたくさん美味しいお土産があるのかもしれない。まだ三か月も先なのに、楽しみでしょうがないな。そう思いながら、ミルクケーキをかみ砕いた。
こんなところで使うお金があるなら美味しいコーヒーでも飲んでくださいね