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楽しみでなくても、しなくてはならない仕事はあるのに?

■いまの東京の仕事は?

この言葉は昨年、
東京・「品川」駅の高輪口と港南口を結ぶ
コンコース上のディスプレイに表示された広告の

「今日の仕事は楽しみですか。」

という
キャッチフレーズに浴びせられた
SNSの批判のなかの一つで、
「仕事がつらい人の気持ちをまるでわかっていない」
というのもあったようだ。

■1964年と2023年の東京の仕事


東京か、3年ぶりだ。めまいがするような空気だ。何てことだ、こんな檻みてぇな箱の中に、何でこんな人間が詰まってるんだ。人間、妙な生き物だな。誰もかも、どういうつもりで生きてるんだ。 みんな死んだような面してやがる。苦し紛れに生きてる真似をしてるだけだ。

先日の「世界サブカルチャー史 欲望の系譜」より

このモノローグは、
高度成長時代の只中に
篠田正浩監督によってつくられた
映画「乾いた花」(64年)で、
30年ぶりに刑務所を出所した村木(池部良)
による語りの一部だ

「死んだような面」は、
日本人の通勤風景を見た外国人から
60年たったいまだってよく聞く感想だが、
果たしてそれは真実を言い当てているのだろうか。
みんな
「楽しみでなくても、しなくてはならない
仕事はあるのに」

なんて気持ちで毎朝毎夕、
移動しているのだろうか。

私は、外国の通勤風景を知らない。

■楽しいだけの仕事はない

「楽しみでなくても、しなくてはならない
仕事はあるのに」

と、一見、前述の広告のキャッチフレーズの隙を
衝いたようなこの批判は、しかし、

そもそも楽しいだけの仕事なんて、ない。

という事実を見過ごしている。
           
WBCで吉田・大谷 に次ぐ7打点を挙げ、
再三の攻守で投手を助けた岡本和真(巨人)は、
今季のキャンプで全体スケジュールより
2時間早く球場に姿を見せ
一人、トレーニングに励んだ。
WBC優勝で歓喜の渦中にいた、
日本中がうらやむ彼は、
早出のこのとき楽しかっただろうか。


この種の他人からは見えにくい
「つらい」とも思える
努力は、一見、好きなことで自由に創作して
食べているように見える芸術家だって
同じように行っているはずなのだ。

書く仕事がしたいからドロップアウトし、
いまもコピーライターを続ける私のような人間は
「好きな仕事をしてていいな」
と思われるかもしれないが、
正しく書くために多方面のWEBサイトを
誤りはないかと検索し、
ときに直接、電話で確認する行為を、
楽しいと思われるだろうか。
好きで選んだとは言え、自分が書いた
文章を第三者に常にチェックされ、
容赦なく手厳しい修正が入るこの仕事を。

楽しいだけの仕事なんて、ない。

「今日の仕事は楽しみですか。」

そう訊かれたら私は、こう答えるだろう。

「今日の仕事は楽しくはない。でも、
 仕事の楽しさは、
 楽しくないことから生まれる」。

時給は遥かに違うけど、岡本和真の素振りと同じだ。

■社畜?

「社畜」という言葉があるが、
駆け出しのコピーライターだったころ、
一日3時間の睡眠で某大手印刷会社の地下ルームで
週6日泊まり込んで、何十ページもの通販カタログの
コピーと格闘していたとき、つまり
誰が見ても「私の方がまし」と思えるような
このような労働環境において、

私は、会社の「社」なんて感じたことは
一度もなかった。いや、忘れていた。

「自分」の広告文への理解を上げようと必死だったのだ。

「死んだような面」も「社畜」意識も、
“いつも楽しくやってる奴らがいる”という気持ちが生む
幻想なんじゃないか。
会社がどうのじゃない、
あなたの内の「自分」は、何がしたいのか。


「今日の仕事は楽しみですか。」
というキャッチフレーズは、
「今日の仕事は(楽しいか、
楽しくないか)どっちですか」と
単に訊いているだけだ。※

「あなたの仕事は楽しみですか。」
とは訊ねていない。


※ここでは広告のコンセプトは問いません。
   単に日本語の文脈から言えることのみを書いています。






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