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私は男だが、謝る。
■例外を認めない「男性」像
「男って」「女って」という言い回しは、
いつになればなくなるのだろう。
そんな言葉を使えるのは、
「そうでなければ男じゃない」
「そうじゃないと女とは言えない」、
そんな枠組みを頭脳に持っているから、
なのだろうか。
*
「生活と自治」(3月号)で、
「男性学」とやらを専門にする
田中俊之・大妻女子大学人間関係学部
准教授は、
「(男性は)夫婦喧嘩でも、謝ったらなんとなく
『負けた』気がしてしまいます。
男性の見栄が、問題を拗らせています」
と当然のことのように語っている。
そしてそれが
「どのようなことでも相手を
上回らなければならない」という
思考を身につけていきます」
と言う男性の育てられ方にあると断じる。
エビデンスを示さずにそう語られても
唖然とするばかりなのだが、
きっとこれは大切な一文を書き忘れた
ものと思っている。
百歩譲って、そうした「男性」像が
一定条件のもとで
成り立つとしても、
「男ってそうだから」と
一括りにされては、
あまりに馬鹿げている、
としか言えない。
■「悪ければ謝る」という当然の話
私は毎日1回は妻に謝っている。
いや回数は最早、問題でないほど
自然に謝っている。
しかしこれは、
自分が悪ければ謝る、という
幼稚園児でも分かる基準に
則っているだけだ。
と言ったとしても
理解できない男は
いるのだろうか。
だいたい、いまどき
こんなCMが問題にならない日本社会には、
「だからジェンダー平等スコアが
156か国中120位なんだ」
と苦言を呈したくなる。
男はもちろん、女にも、
ノンバイナリーに対しても。
■ダイバーシティ以前の日本
先日の朝ドラ「虎と翼」において、
戦後の新民法の検討会で
立花幸恵代議士(伊勢志摩)は、
「どうして男性は、封建的家父長制に
しがみつきたがるのかしら」
と呆れた。
同性婚や選択的夫婦別姓の法制化を
遠ざける自民党は、
未だにこの封建的家父長制にしがみついている
としか思えない。
そして、仮に夫婦喧嘩で、
「謝ったらなんとなく負けた気がして
謝れない」
男がいるとしたら、
diversityやinclusionなんて
流行りの横文字を
職場で並べ立てる前に
終戦直後に戻って
勉強した方がいいのでは、
と言いたい。
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