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エッセイ 大災害と政治

 私はこれがポピュリズムなのだと思う。国を、世界を、敵と味方に分断する。政治家には架け橋になってもらいたい。政治家に限らず、すべてのリーダーに私は、それを望む。

 1995年1月17日早朝に阪神淡路大震災は起きた。私は古い借家で一人住まいをしていた。大きな揺れで目を覚ました。ふとんの中でじっとしていたら、揺れは収まった。大したことなくてよかったと思った。その日は朝のテレビのニュースも見ずに仕事に出かけた。昼のニュースを会社の食堂で見て驚いた。(まだネットの発達していない時代である)大火災の映像が映し出されていた。朝の地震が原因だという。神戸の街が燃えていた。大変なことが起こったと思った。震源地が近いか遠いかによって地震の被害は全然違ってくることは頭でわかっていても、ここまで大きな差を見せつけられると、愕然とした。しかし私は何も行動を起こさなかった。
 東北の時は昼間だった。会社の2階で大きな横揺れを感じた。しかし避難行動も起こさずにやり過ごした。その頃、東北には見たこともない大津波が町を飲み込みつつあった。震源地との距離が、同じ地震に対する温度差となって表れた。
 お叱りを受けるかもしれないが、地震に限らず、大災害の「被災者」に対して「非被災者」というものは、どうしても存在する。「自分のところでなくてよかった」という気持ちは誰でも少なからず持つと思う。しかし、それで終わっては被災者は助けられない。それを救うのはやっぱり、政治の力だと思う。「被災者」と「非被災者」の間の分断(敢えてこの言葉を使わせていただきます)を埋めるのが政治だと思う。
 みなさんはご存じだろうか、阪神淡路大震災の時も、東日本大震災の時も、自民党が野党だったことを。阪神の時の首相は社会党の村山富市氏、東日本のときは菅直人氏だった。そしてその2度の大震災の後、自民党は政権を奪回している。これは偶然だろうか。私は思う。大災害の後、人々は日本の自然、国土を思う。日本という国を思う。そして復旧を願う。復旧とは旧に復すること。全く新しい街、国に作り替えるなら別だろうが、とりあえず元の状態に戻したいと考えた時に、頼る政権は、保守政権なのではないかと。
 自民党は大所帯だ。右から左までかなり間口が広い。昔は今以上に広かった。当然、党内での対立は生まれるだろう。派閥も生まれよう。しかしそれを分断までもっていかないのが、党のリーダーたちの腕の見せ所なのではないか。
 多数決は民主主義の原則である。数は力なのである。群れたがるのはしょうがない。しかし、多数決で勝ったからと言って、反対意見を抹殺してはいけない。反対した人々の意見にも耳を傾けるのが、大人の民主主義だと思う。海の向こうの大統領候補は、反対意見を聞こうとせず、自分の支持者だけの利益を図ろうとする。私はこれがポピュリズムなのだと思う。国を、世界を、敵と味方に分断する。
 政治家には架け橋になってもらいたい。政治家に限らず、すべてのリーダーに私は、それを望む。
 リーダーに頼らず、すべての参加者が、そういう気持ちを持って主体的に行動するのが本来の民主主義なのだろうが、日本は上が重たい国だから、なかなか下の方は動きが遅い。私のように古い人間ほど動きが遅い。若い人には是非、災害の時でなくても、積極的に主体的に動いて、社会を分断させないように頑張ってもらいたい。


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