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信じるのは運命か?幻想か?~SATCからの学び~

この世にはたくさんの男女の『運命』が存在する。
呼び名も様々だ。ツインレイ、ソウルメイト、唯一無二の存在・・・
人はわからないことをはっきりさせることで、決断をしたり、前に進めるようになったり、気持ちの整理がつくのだろう。
私は流れにまかせることが苦手。今でこそ、なるようになる!体質に順応してきたが、それまでといったら白か黒の世界でしかなかった。
グラデーションなんてのは、曖昧すぎて違和感でしかなかったのだ。
ジャッジの世界を大手を振って歩いていた。
それが今では「どちらもいい、どっちもいい」になってきたのだから不思議な話である。私の中の何かが変わったからなのだろう。
ジャッジの世界にいた時は全く自分に余裕がなかった。生き急ぐように働いて、休みの日でさえ何かしら動いていないと不安だった。休みが欲しい!と言葉では言いつつも、真逆の生活をしていた。
こんな生活には時短が命。流れにまかせることは、面倒なことをため込み、雪だるま式に事が大きくなること。そんな思い込みが白か黒の世界を創り上げていたのかもしれない。どちらかに絞れば、どんどん解決していく幻想を自分に課していたのだ。
ジャッジ、判断が難しい時は人の意見や考えにまかせていた。これは大変楽ちんのようだが、自分の気持ちを置き去りにすることにも繋がる、今更ながらの学び。置いてかれた自分の気持ちは、気づいてもらえない寂しい気持ちに変わり、私の場合は体調不良やケガに繋がった。
私たちが考えているより、身体はずっとナイーブなのだ。実際、たくさんの人たちが未病(自覚症状はないが、どこかしら具合が悪い)を抱えている。
生活にはさほど支障はない為、なんとなく市販の薬を服用したり、栄養補助食品で気を紛らわしている。そして、調子が悪い時の何故?の答えが出ないと、すべて「ストレス」となんとも大きな風呂敷で包んで部屋の隅っこにおいやっていないだろうか?
「ストレス」にも訳がちゃんと存在していることをわかってあげて頂きたい。
●何がストレスなのか?
●どんな時にストレスを感じるのか?
●ストレスを感じた時の自分の気持ちはどうなのか?


そんないちいち感じている暇はないよ・・・の声が聞こえてきそうだが。

何と表現したら良いのか?私の中で「ストレス」は大きな一括り。その中には小さな ”イライラ” がたくさん入っていてストックされているのが「ストレス」という部屋。ぎっしりと”イライラ”が入っている人もいれば、少量あるもののさほどではない人もいる。敏感・鈍感という方向に話が延々と続いて行きそうなので・・・ちょっとブレイク♪

私は瞑想を習慣にした時期があった。今は時々、眠りにつく前に布団の上で10分程度。瞑想は自分と向き合う時間。長くやったから良い、短いから悪い訳でもない。ひたすら自分に集中する時間なのだ。
瞑想しているというと、宗教染みているとか、雑念が多すぎて無理とか・・・色んなお声を頂戴する。私も最初は全然集中できず、次の日の予定を考えていたり、今日の出来事を振り返っていたりと一人反省会の時間だった。なかなか上手くいかないが、とにかく続けてみた。瞑想のワークショップにも参加したり。そこで出会ったのが循環器内科のドクターとヨガの先生によるコラボ・ワークショップ。
ドクターは「呼吸」についてお話をなさった。呼吸を毎日当たり前のようにしているが、これが止まってしまったらあの世行きとなる。

『当たり前のことに感謝することがすでに瞑想なんですよ』彼は優しく伝えた。「今ここ」に意識を集中することが瞑想であるならば、何も座って胡坐をかいての形には囚われないのだ。何も考えられないほどの集中・・・。
私の母は草取りが大好きらしい。「何も考えなくていいから、頭がスッキリするのよ!」と言っていたのを思い出した。仕事なんかもそうなんじゃないか?とふと疑問に思ったが、好きかor嫌いかにもよるのだろう。ここがポイントだったりする。
実は驚きなのが、このドクター・・・なんと、zumbaのインストラクターもやっている。私も同じzumbaのインストラクターであることを伝えると
「zumbaも瞑想ですよ。めちゃくちゃ集中するでしょ?」
とにこやかに仰った。本当にそうなのだ。音楽を感じることに集中している自分なのだ。ということは、週に4時間近くzumba瞑想をしていることになるな・・・出家も視野に入れておこう。
瞑想はいろんな形がある。形に囚われず、ご自身が夢中になって集中できることを是非お試しあれ!
私が行っている瞑想はzumba だけではない。「呼吸瞑想」を行っているが、これを始めてから深い呼吸を感じられるようになった。
私たちの生活はどうしても前かがみの姿勢で作業することがほとんど。スマホ、PC作業・・・他にもたくさんあるが、これらを背面でこなしている方がいらっしゃいましたら、ご一報ください。ギネスに挑戦しましょう!
前かがみの姿勢は肺や呼吸器系を圧迫する。自ずと浅い呼吸になってしまう。まずは、脇腹に両手を押し当ててお臍の方にお肉を移動させる。これを左右行う。行う前と後では呼吸のし易さが違う。脇腹の筋膜リリースよん♪
これを行ってからの「呼吸瞑想」はとても気持ちがよいので、おすすめだ。


運命の話から、幻想ではなく・・・瞑想の話に向かってしまった💧
以前、エジプトの友人と「運命」の話になったことがある。
英語では『FATE』とか『DESTINY』と呼ばれる。
どちらかというとFATEは悲観的な感じで、DESTINYはいい感じ(すんごいザックリ)。私の考えでは、FATEは自分の意志で変えられる感じで、DESTINYはもう既に決まっていて変えられない宿命だと思っていた。
先ほど調べたが、
●FATE・・・特定の人や事に対して起こる、絶対不可避なネガティブな意味
●DESTINY・・・物事の成り行きで未来に起こることで、ポジティブな意味
私の考えていた意味とはまるきり正反対ではないですか!!!
友人と口論になった理由が今、明らかになった・・・。
彼が言うには、FATEは絶対に変えられない!の一点張りで、私と言えば「~できない」ってのが苦手なもんで・・・やってみなきゃわからないし、自分の人生の舵は自分で取りたいと思っている。
この彼の発言の背景にはイスラム教がある。宗教をもっているということは自分思想の強化にも繋がるが、時には融通の利かなさにも繋がる。
私の中ではFATEとかDESTINYのようなネガティブもポジティブも無く、ひとまとめで「運命」なのだ。
「運命」は命を運ぶと書く。命を運んでいるのは当たり前だが自分であって、自分で舵取りをする。その中で良いことも悪いことも起こり、悪いことが起こった時にこそ「面舵一杯!」と舵を取れるのか?
これはどうしようもないこと。神のみぞ知る・・・とあきらめて救命胴衣を着けて、救命ボートに我先!と乗り込むのか?
私としては、前者であるが、これも「どちらもいい」のである。
今更ながら、彼との口論は何だったのだろう?とも思うが、国も違えば言葉や文化も宗教も違う。相手の考えも受け入れつつ、国を超えた考え方の享受に感謝なのだ。

信じるのは運命か?幻想か?
今回のテーマから相当コースアウトしてしまったが、
運命はロマンティックな感じ。幻想は一見、ロマンティックな感じもするが
、私は否定的なイメージをもつ。幻想は現実的ではないし、すぐに壊れて消える儚いイメージがするからだ。例えるならば、シャボン玉。
運命は夢や冒険を含んでいる・・・浪漫。例えるならば、気球。
信じるかどうかは何とも明言できないところだが、命を託すのであれば、気球を選ぶ。シャボン玉では・・・命を預けるにしても心許ない(笑)


自分の手で創り上げる運命を信じて生きたい。それが私だから・・・

次回は、愛は階級を超えられるのか?をお届け致します。

必要な方に届きますように・・・愛と感謝をこめて♡

ノリーブラッドショー








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