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私が妻にありがとう、ごめんねと言えなかった過去を振り返る

ありがとう、ごめんね。
私たちにごく当たり前に身についているこの言葉こそが、夫婦関係をどれだけ良いものにしてくれるのだろう。

妻はいつも私に言ってくれていた。「なぜあなたはありがとう、ごめんねが素直に言えないの?」

一方の私は妻に感謝や謝罪の気持ちを感じていないわけではない。
ただ、それを言葉にして面と向かって伝えることができなかった。
ずっとその理由が分からず、モヤモヤしているうちに今のように妻子と別居をするに至ってしまった。
妻の中には私に対する不安の雲が沸き起こっていたのだろう。

別居以降、人生35年目にしてようやく閉ざしていた私の蓋を開け、自分というものに徹底的に向き合ってきた私。
今日は、妻にありがとう、ごめんねと言えなかった過去を振り返ってみようと思う。

なぜ、ありがとう、ごめんねと言えないのか?

自分の心を自分に開き、胸に手をあてて考えてみると、大きく以下の2点が理由ではないかと考えるようになった。

①言葉にして伝えることの大切さを理解していなかったから
真っ先に私の頭に浮かんだのがこれ。別居前の私は「夫婦なんだから言葉にして伝えなくてもわかるでしょ」「阿吽の呼吸で分かる関係こそが夫婦」なんだと思い込んでいた。
そんな誤った思い込みがあったため、ありがとうやごめんねといった日常生活にあふれている言葉に大きな意味を感じておらず、言葉にして伝えるなくても大丈夫だと思っていた。

②言葉にして伝えることが恥ずかしかった
何とも幼い理由だが、噓も偽りもまったくない。
言葉にして伝えることをしないうちに、以心伝心の環境に慣れてしまい、言葉にして伝えること、ひいては夫婦で話をすること自体に「恥ずかしさ」を感じるようになってしまった。

言葉ではなくどうやって感謝や謝罪の気持ちを伝えていたのか?

①家事や育児を積極的にやり、言葉ではなく態度で伝えようとしていた
我が家は共働きでもあり、夫婦で分担すること自体当然なのだが、周りの男性以上に育児家事をやることで、態度で示しているんだから、言葉で伝えなくても分かるでしょと言った具合。
ただ、妻がやりたいようにやらせず、私の一方的な価値観を押し付けるあまり、私が勝手に育児家事を巻きとってしまっていたことが問題だった。言葉で伝えあうことができないため、お互いの不安や溝は深まるばかり。
せっかくパパがイクメンとばかりに頑張っても、妻には良くは映っていなかっただろう。

②妻に弱さを見せることで、私のことを分かってもらおうとしていた。
また恥ずかしい話だが、妻の二の腕や背中に私の顔をべったりとくっつけるということを良くやっていた。
私が一方的に理屈で詰めた後は、寝ている妻の背中にぴったりとくっついてみたりした。
その時の私の気持ちは、悪いと思っているよ、ごめんねだった。
弱さや甘えの言動を示すことで、私の気持ちもわかってほしいという思いだった。妻の顔を見て、言葉でありがとう、ごめんねと伝える勇気は当時の私にはなかった。

なぜ「言葉」で伝えることができないのか?

私は生まれつきそんな遺伝子をもって生まれたとは思っていない。
ゆえに生育の過程で、何らかの体験をして、それがトラウマとなって今に至るまで影響を及ぼしているはず。
自分自身の過去と徹底的に向き合った結果とトラウマケアのカウンセリングから見えてきたものから考えていきたい。

①原家族において自分の感情を口に出すことができず、感情を押し殺してきたから
おそらくこれが一番の要因だと思う。私の原家族には暴力・虐待・借金が日常にあふれていて、子どもの私にとって家庭は安心できる場所ではなかった。ゆえに、自分の感情を口に出すことができず、楽しいことも苦しいことも口にして出さず、ずっと心の中にしまい込んで蓋をして過ごしてきた。
だから感情を出すことを是としておらず、自分の感情をさらけ出すことにも慣れていないまま大人になったので、今なお口に出すことができないのだろう。
余談だが、私は妻に対して「私は声にだして笑うことのできない人間だ」と良く言っていた。今考えると、これこそが私の過去をよく象徴しており、妻にそれを伝えることで慰めてほしかったのだろう。
逆に妻は、大きな声で笑うタイプの明るい女性なので、なおさらギャップを感じさせてしまったのかもしれない。

②言葉で思いを伝えあう関係の家庭を見てこなかったから
前述のように私の原家族では暴力や虐待が日常だったので、家族同士がまともな会話をするなんてことはほとんど見たことがない。家族同士が無言でいがみ合い、時に殴り合う。そんな具合だから、子どもの私にとってはそんな日常が家族像として刻み込まれてもおかしくないのかもしれない。
特に小学生低学年の頃は、家族同士の暴力が特に酷かったため、多感な時期の私にとっては深く刻まれたのだろう。
暴力や虐待の無い家庭に育った子どもは、自らも暴力や虐待の無い家庭を築くことを考えると、子どもにとって原家族から受ける影響は大きいと思う。(もちろん非暴力の家庭に育っても後天的に暴力を身に着ける人もいるし、その逆もありうる)

③問題を抱えた自分にずっと気づくことができなかった
私の場合35歳にして妻子と別居をすることになり、ようやく過去の蓋を開け、自分に向き合い、初めて自分が抱える問題に気付くことができた。
年齢的には早く気づくことができたといってくれる人もいるが、別居という結果の後に気づいたので遅いことに変わりはない。
私もこれまでずっと得体のしれない生きづらさは感じていた。夫婦関係も今のままではいけないと分かっていた。
でもそれらの正体が何であって、どうすれば良いのかが分からなかった。
そんな生きづらさを抱える自分を隠し、人前では良く見せようとするので、周りの人から見てもそう問題があるようには見えず、指摘を受けることもなかった。
そんな具合だから、ズルズルと状況を悪化させてしまったのだろう。
35歳の今、そのことを気づかせてくれた妻には感謝の言葉しかない。

そんな私を妻はどう思っていたのだろうか

おそらく不安の雲がどんどん増えていき、私に対する雲行きも日々あやしくなっていったのだろうと思う。
さらに私の恥の感情は日々深くなるので、会話もままならなくなる。妻からすると私自体が得体のしれないものになっていくのだと思う。それは言わずもがな妻にとっては恐怖以外の何物でもないはず。
ちなみに妻も私の過去は知っているが、暴力や虐待のことについては妻にも深くは話してはいなかった。すべての話ができていれば、もっと早くどうすれば良いかを見出せていたのかもしれない。

どうすればトラウマを乗り越え、妻と温かい関係を築くことができるか?

これは私が35年間ずっと答えが出せなかったテーマである。
ゆえに私一人で答えがだせるものではないし、独学で築けるようなものではないと分かっている。
心理カウンセラー等の協力を得ながら、二つのアプローチを通して取り組んでいくこととしている。

①トラウマを克服することで、私自身の生きづらさを乗り越える
私がありがとう、ごめんねを言葉で伝えられないのは、過去に受けた傷(トラウマ)が原因だと分かった。
今私が感じる恥ずかしさは、過去の傷であって、今の私は恥を感じる人間ではないのだ。だから過去と今をきちんと区別し、今の安全さ安心さを感じることで、過去に囚われないコミュニケーションが可能となる。

②正しい知識を習得し、夫婦間で使えるための実践的な学びをつづける
私はいままで普通の夫婦のロールモデルを見てこなかったし、夫婦とは何かを学ぶこともなかった。
つまり普通の夫婦がどういうものか具体的に分からないし、イメージがつきにくいのだと思う。
本来は原家族で両親の背中を見て学ぶのかもしれないが、私はその機会が与えてもらえなかったのだから仕方がない。

具体的には、様々な本を読んで正しい知識を習得したり、街中にいる夫婦やカップルの話し方を意識的に聞いてみたりしている。
実践面では、GADHAの加害者変容プログラムで、同じ悩みを抱えた人同士での学び合いを進めている。

温かい夫婦・家庭を作るためには頭で分かっているだけでは意味をなさないことはよくわかっている。インプットできることは最大限学び、実践で同じことができるように体を動かしてトレーニングを重ねていく。

最後に

私は、原家族でのトラウマを私が妻にモラハラをする理由や言い訳にするつもりはない。妻からするとどんな理由であれ、モラハラを受けた事実は変わらないし、言い訳など聞きたくもないだろう。
私にどんな過去があれ、モラハラをするのは私自身であり、すべて私の責任である。

だからトラウマは過去の事実として私が受け止め、私が二度と同じ過ちを繰り返さないための反面教師として、私が変わるための肥やしにする。
何よりも私が変わることで、私の大切な子どもたちに負の遺産を引き継がないことが夫として親としての役目だと信じているから。

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