事実の素顔 (柳田 邦男)
(注:本稿は、2012年に初投稿したものの再録です)
たまたま通勤電車の中で読む文庫本が切れたので、家の本棚の奥から出してきた本です。
今(注:2012年当時)から30年近く前のものですが、チェルノブイリ原発事故をはじめとして、取り上げられているテーマには今に通じるものが数多くあります。
柳田氏のこの指摘は、まさに正鵠を得たものです。問題は、予見が可能だったにも関わらず、あるいは予見しながらも、何らそれが具体的教訓として活かせなかったことにあります。
いくつもの大事故の取材経験から柳田氏が語る「エラーの本質」もまた、30年経っても不変です。
大きな事故・災害が発生した後の、リカバリー・アフターケアに対する初動の遅れについても改善はみられていません。
これは、従来から米国と比較して圧倒的に劣っている点です。たとえば、1986年1月28日に発生したスペースシャトル・チャレンジャー事故の際の米国の様子を、柳田氏はこう紹介しています。
30年前からみると今は「将来」です。ただ、この柳田氏の著作を読むと、30年という時間は、私たちの思想や社会生活に何の進歩・改善ももたらしていないと感じるところが数多くあります。
当時、石炭・鉄鋼・国鉄等で実施された大量人員整理も、現在では、電機産業に対象が移っただけですし、あのころから、柳田氏は、企業におけるメンタルヘルスの問題を指摘していました。
反面、大きく変わったと明確に言えるものもあります。その代表例が、インターネット環境の普及によるメディア(情報流通媒体)の役割の質的変化です。
30年前、柳田氏は、メディアの中心に「テレビ」を位置づけ、その役割をこう指摘していました。
「速報」と「詳報」といった役割を、どのメディアが果たしていくのか、この点については、これから先、まだまだ新たなメディアが登場するでしょうから、予測することはあまり意味がないように思います。
しかしながら、「事実の伝達」と「結果の評価」という2つのミッションは、どんなメディアがその役割を担うにせよ、きちんと切り分けて、しかもバランスを取りながら琢磨されなくてはなりません。
(注:「テレビ」のメディアとしての将来に期待していた柳田さんですが、“今のテレビ番組の凄まじい劣化”まではどうやら予見できなかったようです)
この記事が参加している募集
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?