資本主義の終焉と歴史の危機 (水野 和夫)
(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)
ちょっと堅いタイトルですが、かなり話題になった著作です。私も遅まきながら読んでみました。
本書で訴える著者水野和夫さんのメインメッセージは「資本主義の終焉」です。著者は、今や資本主義の基本理念である「利潤の追求」「資本の拡大再生産」にしがみついてはならないと警鐘を鳴らします。
資本主義が限界に至っていくプロセスはこうです。
この最初の壁にぶつかった先進国は、資本主義を機能させる空間を別次元に求めたのです。
この「電子・金融空間」は経済活動の地理的制約を取り払うものでした。
新たな空間で生み出されたバブルの資金は、近代化を促す投資機会を求めるという形で新興国市場に流れ込みました。そしてBRICS諸国にみられるように、一時的にはそれらの国々に経済的急成長をもたらしました。
しかしながら、新興諸国の成長モデルが「輸出主導」であるがゆえにその成長はすでに鈍化しつつあり、その停止が資本主義の最終着地点になると著者は説いています。
このグローバリゼーションの環境下においては、貨幣を増加させても、すなわち「金融緩和政策」を採っても、デフレ脱却の効果は期待できません。
もうひとつの方策である「積極財政政策」はといえば、すでに経済が需要の飽和点に至っている状況下においては、こちらも過剰設備を維持するための固定資本減耗の増加を招くという結果に止まってしまいます。
著者は、「金融緩和政策」「積極財政政策」により資本主義流の成長を求める=資本主義を延命することは既に不可能な段階に至っているとの現状判断に立っているのです。
本書において、著者は改めて「資本主義」の発生・発展の歴史を振り返り、その研究から「資本主義の本質」とそこから導かれる「資本主義の終焉」を指摘しています。
この国家の内側にある “社会の均質性”の消滅 により発生した新たな “周辺” が「格差」であり「貧困」なのです。
そして、この空間的な拡大が限界状態にあるグローバル資本主義の世界において更なる「収奪」を望もうとすると、今度は “時間軸” すなわち「未来からの収奪」に踏み込むことになります。公共事業への財政出動は「将来の需要の先取り」であり、金融緩和による過剰投資は「エネルギー消費の増大(化石燃料の加速的枯渇)」を招くことになるのです。
こういった「資本主義の終焉」に直面して、著者は為すべきこととして「脱成長」を基本テーゼとした「ゼロ成長社会」へのソフト・ランディングを提唱しています。
その点では、まさに、「ゼロ金利」「ゼロ成長」「ゼロインフレ」に突入した今の日本の進む道が、「強欲な資本主義」に続く世界を拓いていく試金石になるとの考えです。
(注:本書を読んだころから10年近く経た今日(2023年)、最後のパラグラフの結末は、どうも著者の期待どおりのものではなかったようです。この10年の金融政策は、日本にとって相対的退行をもたらしました。)