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この人から受け継ぐもの (井上 ひさし)

 「九条の会」関係の岩波のブックレットで寄稿文は読んでいるかもしれませんが、一冊の本になっている井上ひさし氏の著作を読むのは初めてだと思います。
 「吉里吉里人」もそのボリュームに気後れしてまだ挑戦していません。
 そういう点では、井上ひさし氏といえば、私としては、「ひょっこりひょうたん島」をはじめとした放送作家としての活躍が最も身近なものですね。

 さて、本書は井上氏の講演や評論をまとめたものですが、それらのテーマは「氏の関心を惹いた人々」です。対象として登場するのは、吉野作造・宮沢賢治・丸山眞男、そしてチェーホフ
 それぞれの人物の章の中から、2・3のフレーズを覚えとして書き記しておきます。

 まずは、「民本主義」を唱え大正デモクラシーを牽引した政治学者で思想家の吉野作造
 彼の仕事に対する井上氏の評価です。

(p26より引用) 吉野作造の雑文集は、いまとなれば珠玉の政治論文といっていいと思います。みんな忘れている思想家の中に、実は今日的問題をきちんと踏まえて、何十年も前に答えを出している人がいた。そういう人をもう一度掘り返して読むという作業をわれわれはしないといけません。

 次は、宮沢賢治
 この章で井上氏は、宮沢賢治を語るとともに、その賢治の生き方を材料に自分自身の演劇論にも触れています。ただ、ここにご紹介するのは、やはり賢治の代表作についてのくだりです。

(p56より引用) 父親や花巻から逃れようとして、普遍的なものに頼りながら自分の自我を確立しようとした。それではだめだと悟って宇宙との関係、大きな世界と自分との関係をつかんだときに、「雨ニモマケズ」という詩が出てくるのです。
 「雨ニモマケズ」という詩はあまりに有名になりすぎて、私もろくに読まなくなってしまっていたのですが、きょうゆっくりもう一度読んでみましたら、あれはひょっとしたら日本人のこれからの理想かもしれない。非常に謙虚に生活の欲望をあるところで抑えながら、同時に人のためになろうとする。

 丸山眞男氏の章(この章は、丸山氏礼讃です)は飛ばして、ロシアの劇作家チェーホフを取り上げた第4章。
 井上氏はチェーホフの喜劇作家としての思想の礎石を以下のように語っています。

(p116より引用) ちゃんとした喜劇作者は、同じ時代を共に生きる普通の人たちの生活を凝視する。喜劇の題材は、普通の人たちの日々の暮らしの中にしか転がっていないからだ。さらに彼は・・・社会革命家にならざるを得ない。自分を含む普通の人たちの生活を見つめているうちに、たいていの人たちが、たがいに理解し合うことを知らないためにそれぞれもの悲しい人生を送っているという恐ろしい事実を発見するからだ。

 さらにこう続きます。

(p116より引用) 万人に通じ合う大切な感情が共有できない、知っていながら知らんぷりをして結局は自己溺愛の中に逃げ込むしかない・・・そういった人たちの毎日が少しでもいい方向に変わってくれたらと、喜劇作者は私かに祈り始める。チェーホフもまた、この道を歩いていた。

 私は実のところチェーホフの作品に触れたことがない(注:2011年当時)のですが、この章を読むと是非とも手に取ってみたいと思いますね。

 そして最後は、「笑いについて」のエッセイから。
 井上氏は「笑い」については一家言もっています。が、歴史に名を残す著名な思想家たちもこの「笑い」を取り上げていました。

(p124より引用) 「笑いは一種の社会的身振りである」(ベルグソン)とか、「笑いとは誇りの突然の発生である」(ホッブス)とか、「笑いは、強い緊張がだしぬけに弛んだ結果生じる」(カント)とか、「笑いは突如として自覚された優越感の表現である」(パニョル)とか、先人はいろいろと結構なことをいってくれてはいる・・・

 驚きです。私の大好きな笑いの達人二代目桂枝雀師匠は、どうやら「カント学派」だったようですねぇ。



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