今を生きる思想 福沢諭吉 最後の蘭学者 (大久保 健晴)
(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)
いつも利用している図書館の新着本リストで目についた本です。
“福沢諭吉” という人物には以前からちょっと関心があったので、今までにも、その著書である「学問のすゝめ」「福翁自伝」や北康利氏による「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」といった本を読んだことがあります。
本書は、久しぶりの “福沢本” ですが、ここで紹介されている福沢諭吉の人となりやエピソードの中から、改めて、私の興味を惹いたところをいくつか書き留めておきます。
まずは、諭吉の蘭学からの学びの中での “「窮理」学の位置づけ” について。
この「窮理学」が、後に連なる諭吉の “文明論” を構成する基本要素となったのです。
次に、諭吉にとっての “「文明」の意味” について。
ここで示されている福沢が思う “独立=目的、文明=手段という関係性” はとても興味深い議論ですね。
「独立」という点で言えば、このころの日本は開国後、一気に列強相犇めく東アジアの国際舞台の荒波に飲み込まれていきました。
諭吉にとっての「文明」はアカデミックなものではなくポリティックそのものでした。
そして、私が最も興味をもった論考が “明治維新の真因” に係る立論でした。
そして、この「智力ありて銭なき人」の一人が諭吉自身だというわけです。
蘭学を興りとする新たな学問が「人民の智力」となり専制の暴政を打破する「革命(明治維新)」を生んだと考えです。
著者は諭吉の思想の “意味付け” をこう概括しています。
さて、本書を読んでの感想です。
“蘭学者” という側面を基点にした「福沢諭吉再考」ですが、100ページ強のボリュームのなかでその論旨は要領よく紹介されていました。
「福翁自伝」「文明論之概略」をはじめとした諭吉の著作や今に至る学者たちの研究成果をうまく引用しつつ説き下していく解説スタイルは、諭吉の思想のアウトラインを俯瞰的に辿る「入門書」としては効果的だったと思います。
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