見出し画像

今を生きる思想 福沢諭吉 最後の蘭学者 (大久保 健晴)

(注:本稿は、2023年に初投稿したものの再録です。)

  いつも利用している図書館の新着本リストで目についた本です。

 “福沢諭吉” という人物には以前からちょっと関心があったので、今までにも、その著書である「学問のすゝめ」「福翁自伝」や北康利氏による「福沢諭吉 国を支えて国を頼らず」といった本を読んだことがあります。

 本書は、久しぶりの “福沢本” ですが、ここで紹介されている福沢諭吉の人となりやエピソードの中から、改めて、私の興味を惹いたところをいくつか書き留めておきます。

 まずは、諭吉の蘭学からの学びの中での “「窮理」学の位置づけ” について。

(p55より引用) 福沢は生涯にわたって「窮理」「物理」の学を、文明の学術として重視した。・・・実際、福沢はしばしば「物理学」の語を、今日私たちがイメージする狭義の物理学 (Physics)だけでなく、医学、天文学、生理学などを含め、広くこの世界の「万物」の「理」を探究する学問の意味で用いた。

 この「窮理学」が、後に連なる諭吉の “文明論” を構成する基本要素となったのです。

 次に、諭吉にとっての “「文明」の意味” について。

(p58より引用) 福沢諭吉の思想を読み解くうえで、「文明」とならぶ重要な概念に、「独立」がある。明治期に入り福沢は、『文明論之概略』のなかで、「国の独立は目的なり、今の我が文明はこの目的に達するの術なり」と述べた。

 ここで示されている福沢が思う “独立=目的、文明=手段という関係性” はとても興味深い議論ですね。
 「独立」という点で言えば、このころの日本は開国後、一気に列強相犇めく東アジアの国際舞台の荒波に飲み込まれていきました。

(p58より引用) 福沢は西洋列強と対峙する厳しい国際政治の現実を怜悧に見すえ、日本の国家的独立について、切迫した危機意識を抱いた。

 諭吉にとっての「文明」はアカデミックなものではなくポリティックそのものでした。

 そして、私が最も興味をもった論考が “明治維新の真因” に係る立論でした。

(p90より引用) 明治維新はなぜ起こったのか。それは攘夷論の隆盛によるものなのか。決してそうではない、と福沢はいう。明治維新の真の原因は、「智力と専制との戦争」であった。福沢によれば、明治「革命」の源流は一八世紀後半まで遡る。そこでは、「藩中にて門閥なき者」や「無位無縁にして民間に雑居する貧書生」たちが、徳川の門閥専制に対して不平を抱き、智力を磨いた。彼ら「智力ありて銭なき人」が生みだした「智」は、「いつとなく世間に流布し」た。そして黒船が来航すると、「政府の暴力」と「人民の智力」との争いが激化する。その結果、「西洋文明の説を引て援兵となし」、「人民の智力」が「鬼神のごとき政府」を打破した。

 そして、この「智力ありて銭なき人」の一人が諭吉自身だというわけです。
 蘭学を興りとする新たな学問が「人民の智力」となり専制の暴政を打破する「革命(明治維新)」を生んだと考えです。

 著者は諭吉の思想の “意味付け” をこう概括しています。

(p94より引用) 福沢諭吉は西洋見聞の経験をもとに、バックルやギゾーら同時代一九世紀西洋の最先端の文明論と格闘するなかで、徳川期の会読をはじめとした蘭学修業の経験と、そこで学んだ物理学や兵学の知識を綜合し、壮大な文明化と国家的独立の構想を導き出したのである。

 さて、本書を読んでの感想です。

 “蘭学者” という側面を基点にした「福沢諭吉再考」ですが、100ページ強のボリュームのなかでその論旨は要領よく紹介されていました。
 「福翁自伝」「文明論之概略」をはじめとした諭吉の著作や今に至る学者たちの研究成果をうまく引用しつつ説き下していく解説スタイルは、諭吉の思想のアウトラインを俯瞰的に辿る「入門書」としては効果的だったと思います。



この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?