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〈持ち場〉の希望学: 釜石と震災、もう一つの記憶 (東大社研/中村 尚史/玄田 有史)

(注:本稿は、2015年に初投稿したものの再録です)

 いつも行く図書館の新着図書の棚で目についたので手に取ってみました。
 以前、編者のひとり玄田有史氏の著作で「希望のつくり方」という本を読んだことがあったので興味を惹いたのです。

 本書の内容は、釜石を舞台にした東日本大震災の記憶を社会学的観点から記録したものです。

 今般の大震災で釜石も大きな被害を受けたのですが、その津波被害を少しでも抑えるのに寄与したものとして「津波てんでんこ」という言葉が有名になりました。「てんでんこ」というのは “めいめいで” という意味で、「釜石復興まちづくり基本計画」の用語集には、

(p29より引用) 「津波のときには、自分の命は自分で守るという意識で家族がばらばらになってでも逃げることを優先する教え」

と説明されています。
 しかし、実際にその教えを極限状況において完遂することは難しいものでした。

(p30より引用) てんでんこ、なんて、簡単にはできないのだ。危険が迫れば、誰もが何をさておき家族を心配する。自分を最優先にすることなど、考えられない。簡単にできないからこそ、あえて「津波てんでんこ」という言葉に祈りを込めてきたのだ。

 では、どうすれば「津軽てんでんこ」を実行することができるのか、玄田氏は「日頃からの地域での信頼づくり」がキーだと語ります。自分が行かなくても子どもは大丈夫だ、先生を信頼しよう、まわりの人々を信頼しよう、そういう「相互の信頼関係の存在」が最大多数の安全を実現する決め手になるのだとの考えです。
 他者を信頼すればこそ、ひとり一人が個人としてなすべき行動をとることができる、“なるほど”と首肯できる発想ですね。

 さて、本書は「希望学」という視点から今回の東日本大震災で被災した人々の思いや行動を捉えたものですが、タイトルには「持ち場の」という枕詞がついています。
 著者は、震災が起こった直後、まさに自分がいたその場を自らの「持ち場」として行動した人々に着目し、その姿を聞き取り、記録として残しました。特に著者の目を捉えたのは、「地方公務員」の方々の献身的な姿でした。

(p108より引用) 震災復興の過程で見えてきたのは、地方公務員のすごさと限界でした。彼女/彼らは「公僕」として、自分の家族より市民を優先し、昼夜を問わず職務に邁進した。その献身的な活動に、私たちは深い感銘を受けた。それにもかかわらず、市民は不満の捌け口を行政にぶつけ、マスコミはその批判を書き立てた。

 この状況は、著者たちにとっては理不尽な理解し難いものに映りました。
 そこで生まれた問題意識は「公平とは何か」という視点でした。

(p109より引用) 震災後には、公平性の基準となる前提条件が刻一刻と変化した。流動的な状況のなかで、絶対的な公平性を担保することは不可能である。そのため行政は、公平性に関する一定の基準を設けた上で、その時々に最善と思われる対応をせざるを得なかった。

 「一定の基準」すなわちどこかで線引きをせざるを得ない以上、その境界付近の人々には、なぜ自分は保護・救済の対象ではないのかとの不満が生じてしまうのです。また、その施策や基準は自治体によって区々になることもあり、ますます人々の不満や不信は高まっていきます。そこに避け難い地方行政としての限界やジレンマがあるのです。

 最後に、本書を読んで改めて思うこと、それは、この未曽有の大災害が被災者の方々一人ひとりに刻み付けた心の傷の深さでした。

(p296より引用) 全壊を免れ形の残った自宅の存在と、それほど大きな身体的ダメージを受けずに避難できた自分自身を責めた。同室の「被災者」の人たちからサポートをうければうけるほど、佐伯さんの心には「申し訳ない」と感じる気持ちが大きくなり、早く避難所を出たいという気持ちがふくらんでいったという。
 佐伯さんは避難所生活への不満は口にしなかった。・・・そして、感謝すればするほど、自宅のダメージの小ささ、高齢者である「何も出来ない」自分が生きのびた事実に打ちのめされていった。

 80歳という高齢の佐伯和子さん(仮名)は、今なお、近所を散歩することすらなく暮らしているのだそうです。



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