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生物多様性 「私」から考える進化・遺伝・生態系 (本川 達雄)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 かなり以前になりますが、本川達雄さんの代表作「ゾウの時間 ネズミの時間」を読んでいい刺激をもらいました。そのとき以来、久しぶりに本川さんの著作です。

 本書は、「生物多様性」についての本川さんの講演内容をもとに編集されたものとのことです。

 まず本川さんは “生物多様性の大切さ” が理解され辛い要因として、現代人の思考様式を指摘しています。

(p13より引用) 現代人は、個々の自然や生物を大切にしない極端な普遍的科学主義と、私個人だけを大切にする極端な個人主義の、二つを信奉して生きているように私には思えます。自分を含んで考えるときには、自分のことだけしか考えないごりごりの個人主義・利己主義。そして自分の外側を考えるときには、分子やグローバルスタンダードしか考えない超普遍主義。その二つの見方しかなく、その中間のことは無視しがちなのが現代人の特徴であり、そこが問題だと私は強く感じています。
 そしてこの問題こそが、生物多様性の大切さを理解しにくくしている最大の原因でしょう。

 なかなか面白い指摘ですね。

 さて、本書のテーマである「多様性」ですが、本川さんによると、その “生みの親” はメンデルとダーウィンだったとのこと。

(p224より引用) 進化は以下の二つの過程から成っていると考えられます。①自己を複製する過程(これがメンデル遺伝で、時々複製に間違いが起こる)と、②まわりの物理環境や他の生物たちと相互作用をする過程(ここでダーウィンの自然選択が起こる)。
 メンデルとダーウィンとが、こういう形で総合されているのです。複製も相互作用も、どちらも多様性を生み出します。さまざまな相互作用があるから、さまざまな適応が出てくるのですし、複製される際に異なるものがたまにできてくるから、多様性が生み出されるのです。

 面白い着眼ですね。これも、なるほどとの気づきです。

 本書では、最終章で「生物多様性との向き合い方」に関する本川さんの考え方が開陳されています。
 「生物多様性」の重要性を「遺伝資源の維持」という観点から説く考え方はよく見られますが、この考え方に立つと「遺伝資源から生じる利益配分」といった「南北問題」が絡んできます。本川さんは “生物学者” の立場からこういった「正義論」に立ち入ることは避けています。

 本川さんは「生物多様性」の価値をこう指摘しています。

(p276より引用) 生物多様性は、〈私〉が永続するという、生物として最も基本となることを実現するために必要なものであり、かつ、〈私〉が豊かな生を生きるためにも真っ当な人間になるためにも必要なものなのです。だから生物多様性を守るべきなのだ―これが本書の結論です。

 そして、私たちの抱いている “豊かさの概念”の転換 を求めているのです。

(p270より引用) 貨幣経済においては、質の違いは言いません。量で考えます。すると量の多少というたった一本の物差しで価値が測られることになってしまいます。・・・
 このあたりで豊かさの物差しを変える必要があると思うのですね。同じものの量が多いのが豊かだとする数量主義的発想ではなく、質の違ったものがいろいろあることが豊かなのだ、多様性とは豊かなことなのだと、発想を変えるべきだと思うのです。価値を測る物差しを複数もち、それぞれの物差しに関しては量がそれほど多くなくてもいいとする、そういう豊かさに方向転換すべきだと私は思っています。多様とは豊かなことなのです。ただしそういう豊かさを味わえるためには、受け取り手側が多様な価値に対して開いている、つまり自分自身が多様である必要があります。

 あと、蛇足ですが、最後に“多様性”とは別に「ダーウィンの進化論」の意義について触れているくだりを覚えとして書き留めておきます。

(p161より引用) 鳥の分類学者で進化生物学の泰斗エルンスト・マイアは次のように言っています。「なぜという質問が、科学的に正しい問いだということを認めさせたのがダーウィンだったということを認識している人はほとんどいない。そして、このなぜ?を問うことにより、彼はすべての自然史を科学に属するものにしたのである。

 「進化論」は生物学にとって、新しい科学的方法論をもたらしました。
 “なぜ”と理由を問うことが、「生物学においての科学的姿勢」として認められたということです。



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