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何とかならない時代の幸福論 (鴻上 尚史・ブレイディみかこ)

(注:本稿は、2021年に初投稿したものの再録です。)

 この前、ブレイディみかこさんのベストセラー「ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー」を読んだところですが、今回の本は、いつも利用している図書館の新着本の中から見つけました。

 鴻上尚史さんとブレイディみかこさんの対談集ということで興味を抱いだいて手に取ってみた本です。
 NHK Eテレ「SWITCHインタビュー 達人達」での対談を中心に、新たな対談も加えて書籍化したものとのことですが、想像どおりのお二人の対話がとても刺激的でした。

 お二人のやりとりから、興味をもったところをいくつか書き留めておきます。

 「ぼくはイエローで・・・」にも書かれていましたが、ブレイディみかこさんが住むイギリスは、新自由主義的な労働党政権の政策の影響もあり “格差社会” が強まっているようですね。ただ、それでもみかこさんはイギリスの将来に楽観的です。

(p50より引用) でもやっぱりイギリスは、どんな風になってもたぶん長期的には大丈夫だと私は思うんですよ。それはうちの子どもの世代を見てるからなんですけど、なんだかんだ言ってあの子たちはトニー・ブレアの労働党が教育の大改革を行った時代に育った子たちで、政治への関心も高い。
 本当に、学校でもいろんなことをディベートさせられているし、自分の思っていることをすごく言うし、多様性とか身についている部分があるから12歳ぐらいの男の子でも、僕はいわゆるLGBTQかもしれないとか言えちゃうわけです。ああいう子たちがまた大人になってくれば世の中は変わるし、(中略) イギリスには社会への信頼が、日本に比べれば、まだある気がしますね。

 このあたりは、「ぼくはイエローで・・・」に登場する “息子さん”の様子をみれば納得できますね。
 ちなみに、本書で紹介された息子さんの至言、「日本人は社会に対する信頼がない」。これは「世間」や「身内」といった日本特有の概念とそれにより生じる様々な事象を考えるうえでの見事なキーワードですね。

 もうひとつ、新型コロナ禍で浮き彫りになった国民性について。
 ブレイディさんが気づいたイギリス社会のいいところ。

(p135より引用) やっぱりイギリスはすごいなと思ったのは、相互扶助が、政府とか自治体とは関係ないところで勝手に立ち上がるんです。・・・
 イギリスでは本当に知らない人同士が助け合ってつながっていく。これがコロナで見えたすごいところでした。

 さらに、ブレイディさんがイギリスで保育士資格を取るコースで習った「人間のクリエイティビティ」を育む教育について。

(p146より引用) 人間のクリエイティビティの目覚めは1歳か2歳とか幼児の時期だというんですよね。・・・
 人と違うことをやってみようと思うのが人間のクリエイティビティの目覚めだから、保育士は、それを妨げちゃいけないって言われたんですよ。例えば幼児たちに同じような工作をさせてる時に、最初に色を塗りましょうと教えている時に一人だけハサミで切りたいっていう子が出てきても、「切っちゃいけません。みんなと一緒に色を塗りなさい」とは言っちゃいけないって。それがその子のクリエイティビティの目覚めなんだから、尊重し、サポートしなくてはいけないという教育なんです。

 こういった指導は日本の教育現場ではまず見られません。“誰にとっての何に価値を置くか” という根本思想が全く異なるんですね。

 このほかにも、私も大切だと思ういくつもの気になるやりとりがありましたが、思うに、そこで語られている主張をより現実化させるためには、ブレイディさんと鴻上さんとの対話のように “同じ価値観・同じベクトル” の方どうしの対話だけではダメなんですね。
 対抗する考え(たとえば、校則賛成派・悪平等肯定派等)の方とのやり取りで、相手を論破するような内容を公開しないと、“仲間どうしの相互肯定による自己満足” に止まってしまいます。

 映像メディアでの討論会的なやり方もありますが、いくつかの番組を見ても、結局は議論が嚙み合わず双方言いっ放しになるというのが経験則です。
 その点、本のような「文字」に残るメディアでは、双方の言い分は可視化され固定化されるので、落ち着いた検証・評価がやりやすくなります。(同じ文字メディアでも、Twitterだと、やはり言いっ放しになってしっかりした議論には不向きです)

 あともう一つ大切なのは、それをどうやって「直すか」という実行論です。
 本書でも紹介されたような「意味不明な校則(ex.“理不尽なリボンの色”(紺はOKで、白はダメ))」は、おそらく多くの教師もおかしいと思っているはずです。でも、直す行動がとれない。
 ここに、もうひとつの大きな問題が残っているのです。何が “元凶” なのかはみなさん見当がついているのだと思いますが。

 本書の最後に、鴻上さんはこう語っています。

(p233より引用) それと、コロナ禍でも日本人は学習したと思いますね。日本人は全部政府にお任せしている意識から、コロナ禍で、自分達で考えるという訓練を突きつけられているという気がすごくしてるんです。コロナは嫌なことばっかりだけど、唯一、「日本人に自分の頭で考えること」を突きつけてくれたと思っています。それは、とても素敵なことです。

 そういった状況が少なからず生まれたのは確かですし、とても大切な変容だと思います。
 ただ、実態はというと、「いままでもそういった考え方をする素地のあった人が顕在化してきただけ」というレベルに止まっているように感じます。
 各種世論調査の結果をみても一定数の「無関心・無条件現状肯定層」を突き崩すまでには至っていないですね。ここまでの事態になっても、相変わらず・・・。
 しかし、それでも、ここで止まるわけにはいきません。



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