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Netflixな週末  〜地獄から大人になれずに普通、そしてかなりキテるスペインドラマへ〜

現実逃避シリーズとしてNetflix三昧で見たものをネタバレしまくりながら書き残しておく。(ネタバレしてるけど確信部分は私なりには伏せています。バレても良さそうなとこしか書いてないし、台詞もなんとなくの記憶で書いてます。役名も記憶にないので俳優名で適当に書いてます。)


メンタルがイマイチな時なのに、Netflixでまた「ホテルムンバイ」を見たのが始まり。これについては並々ならぬ思いがあり、それはいつか書くとして。


・地獄が呼んでいる

それからさらに、メンタル落ち気味な時期なのに、よせばいいのに、東野幸治と友達のしめちゃんが同じタイミングでおすすめしてきた韓国ドラマ「地獄が呼んでいる」を全話一気に見てしまい、見事に闇落ちした。この2人がおすすめするエンタメにいつもハズレはない。

「地獄が呼んでいる」は変なドラマだった。(今からちょっとだけネタバレあります。と言ってもあらすじ程度)


「デスノート」のように○月○日の何時にお前は地獄行きやで、と悪魔みたいなやつがふわっと現れて宣告され、宣告された時間になると3匹の巨大で真っ黒なドンキーコングみたいなやつがどこからともなくやってきて、ボコボコのぐちゃぐちゃにしばかれて、苦しみながら焼かれて黒焦げになるというシステム?がある世界。シンプルに命を奪えばいいのに、でっかい3匹が時間をかけてボコボコに殴ったりぐちゃぐちゃにしたりなぶり殺すのが斬新、いや残虐。



それだけだと突拍子もないホラー映画みたいでなんじゃそりゃなんだけど、そこに、無差別にそんな目に合う認知的不協和を合理化するごとく「罪人だから地獄にいく」というストーリーが後付けされ、宣告された人の過去に犯しているはずの罪をSNSで暴いたり(それがそんな目にあうほど酷い罪人ばかりでもない)、その心を救済する宗教があったり、暴徒化したYouTuberがいたり、イケメン教祖(余談:私のタイプではない)が現れたり、3匹の魔物によるリンチタイムをTV中継し、正体不明のVIPが仮面をつけてそのショーに金を払って最前列で鑑賞するイカゲーム的展開もあり、罪を犯せば地獄に行くからこの世から罪を無くそうと目指す行き過ぎた正義とか、少しの悪さですら許さずにここぞとばかりに一般人をリンチしまくる若者とか、粛清とか、魔物の仕業と見せかけて犯罪を犯した人間を殺して燃やすとか。
地獄行きの宣告や魔物のファンタジー設定は引っかからなくなるくらいの現代社会にリンクした人間ドラマな内容に引き込まれた。
しかし、地獄行きを宣告される人がそんなに悪人でもないこともあり、世の中の不公平に対して、ドラマを見ている私ももやもやし始める。結局このシステムも神も、生きるか死ぬかのジャッジに、善行や悪行は無関係なのだと思うようになった。
天罰が下るとか神様は見ているとか、そんなことはなくて、無作為に死ぬ人は死ぬ。運良く私は生かされているだけなのだと改めて思った。
映画「ホテルムンバイ」は本当にあったテロの話だったが、この映画とも繋がった気がした。
魔物に選ばれて殺されるのも、テロや天災や事故のようなものだと受け止め始める。
そんなことを感じ始める頃にシーズン1は「え?!」と全てを覆す展開が起きて終わった。
やられた。なんやのその展開。
シーズン2を待つしかなくなってしまった。
しかし暗い話だった。


・ボクたちはみんな大人になれなかった

そんな訳で、さわやかな気持ちになりたくて、燃え殻氏の半自伝小説を映画化した「ボクたちはみんな大人になれなかった」をNetflixで見た。燃え殻氏はおそらく私の4歳ほど上で、同世代である。ちなみに本は読んでいない。

(ネタバレしまくりです以下↓)
2021年の今の森山未來が、過去に付き合った彼女のことを思い出して、どんどん時代を遡っていく設定。森山未來がそれこそヤサグレた大人になってしまっているのだが、20代の頃を演じる森山未來がウブで若くて当時よくいた男子感が良いし、伊藤沙莉ちゃんのサブカル女子具合が絶妙。あの声がいい!ウブな演技も上手、最高。


トレインスポッティング、タワレコ、WAVE、MAYA MAXX、浅野忠信が表紙のメンズノンノ、ポケベル、ハルマゲドンの予言、スワロウテイル、オザケン、SONIC YOUTHの Tシャツ、中島らも、写ルンです、ケイタマルヤマ、古着屋、インド雑貨の店。

使われるモチーフや風景が当時そのもの。
全部最高。
90年代最高。
伊藤沙莉ちゃんと私とは、好きな音楽やファッションのジャンルは全然違えど、それでも間違いなく私も生きていた時代だ。
この時代に青春時代を迎えていた音楽好きや映画好き、サブカル好きならきっと同じ気持ちになるはず。

一番響いたのは、伊藤沙莉ちゃんの「普通だね」と「キテるね」のジャッジ。(「キテる」とは「イケてる」「ヤバい」みたいなニュアンス)
原宿のMAYA MAXX展がかなりキテたらしい初デート。
次のデートで、ポールスミスのシャツを着てくる彼氏の森山未來に対して、「高いお金を払って他人と同じ服を着る」なんて「普通だね」扱いするし、「ねえ海行こう!」とある日急に電話で誘う伊藤沙莉ちゃんに、「仕事が立て込んでて急には休めない」と断ろうとする森山未來に対しても「普通だね」と容赦ない。(結局海に行く)
私も当時、同じようなことを恋人に言った覚えがありすぎて胸がチクリとする。
「どこか遠くへ行きたいよ、海外とか」と言う森山未來に「宮沢賢治は死ぬまで遠くに行ったことがなかったんだよ。それなのに銀河を旅したの、かなりキテると思わない?」と言う伊藤沙莉。
インドに行った伊藤沙莉ちゃんから「こっちにおいで」とだけ書かれたタージマハルの絵葉書を郵便ポストから手に取る未來くん。仕事に追われえ疲れ果てている日々だった。
付き合いを数年重ねた2人だったが、「一緒に住もう」と言ってきた森山未來に対しても「普通だなー」と失望にも似たなんとも言えない表情でラブホのベッドで背中を向けてつぶやく伊藤沙莉。その日を最後に別れた2人。
私も心当たりがある気がして、ズネがムキムキした。
「君は大丈夫だよ、おもしろいから」と彼女が言ってくれた言葉を大事にして生きる森山未來。だけどその言葉が呪いにもなって重くのしかかりもする。
多分彼女の影響でクリエイティブな仕事を選んで頑張っていたが、現実は厳しく、別れてからだいぶ経った40代半ばのそれなりにお金もありそうなオシャレでくたびれている森山未來。
伊藤沙莉は普通に結婚して普通に子供を育てて幸せそうにしていたことをfacebookで初めて知り、iPhoneの画面を見ながら「普通だね」と皮肉っぽくつぶやく森山未來。
「普通」というワードが響く。
「普通」って何だろうと答えの出ない問いが私の心に浮かぶ。

伊藤沙莉ちゃんみたいなかつてのサブカル女子の多くは、自分なりの個性を追求して20代を生きていたけど、その大半はきっと今、「普通に」結婚して子育てしている世代になっている。
こういう女子たちは、自分が普通だったからこそキテるものを求めていたのだろうとも思う。私もそうだったと思う。私が普通なのか、普通が何かは置いておいて。
「おもしろい」とか「普通」とか「かなりキテる」とか。そういう価値観で生きている時代と、その名残なのか、成れの果てなのか。
そういう風に自分でジャッジしてるようで、結局周りの流れに逆らっているだけの時もある。
マイナーでかなりキテると思っているサブカルチャーに心酔しているだけで、それはとても大衆的なムーブメントであったことを私も知っている。何とも言えない、取り戻せない時代への懐古。
とっくに大人になってしまっているが、大人になれなかったなあという思いが私にもある。
私の心に2日目の大根並みに沁みる映画。
爽やかどころかまた別のもやもやを抱えてしまった。

ホテルムンバイと地獄が呼んでいるの次に見て、その流れで劇中に小沢健二の「天使たちのシーン」の「神様を信じる強さを僕に 生きることをあきらめてしまわぬように」が文字となって飛び込んできた。この映画も繋がってるような気がした。

・ペーパーハウス

そして気分転換と路線変更として、Netflixがおすすめしてきたスペインのドラマ「ペーパーハウス」をシーズン1の1話から見始めてみた。
おもろい。
伊藤沙莉の言葉を借りるなら、かなりキテる。

アメリカドラマの「24」と「プリズンブレイク」を混ぜたようなスペインのドラマ。
都市の名前をコードネームにして赤いお揃いのつなぎとダリの仮面を被ったメンバーたちで強盗をもくろむ話なんだけど、かなりキテる。文字通り普通じゃない。
5か月間にわたってありとあらゆることの講義を受け綿密な計画を練り天才的な頭脳を持つ教授の指示のもと、教授にスカウトされた訳ありな前科者たちのトーキョーやベルリン、ナイロビ、リオ、ヘルシンキたち(みんな登場人物の呼び名)がスペインの造幣局に強盗に入る。お金を刷りまくる場所。

斬新で思いつきもしないアイデアの連続でそれももちろん凄くて痛快だが、見てておもしろいのはラテンなスペイン人たちのキャラクター。
人生を賭けた強盗の準備期間に、仲間の男を誘惑するわ、女同士セクシーパンツ姿で酒を煽って腰を振りながら踊り狂うわ、ワイン飲んで「Bella Ciao さらば恋人よ」を歌うわ、まあ楽しげである。
強盗中であっても、トーキョー(主人公)とナイロビはちゃんとセクシーさを保ちつつ、人質に対しても明るく「バモス!バモス!」と号令をかけるし、喧嘩はしょっちゅうだし、自分勝手な人も多いがパッション溢れる感じで、立て篭り中もみんなでまた「Bella Ciao」を大合唱して仲直り。(その後もやたらとこの歌を歌ったり、BGMで流れたりする)
造幣局の外で指示を出している絶対的頭脳の持ち主の教授は、なぜか警察側のできるトップの女と恋に落ちてるし、なんでこうなるの?という展開。一見冴えない教授ですらすぐ恋に落ちたと思ったら不思議と色気は出てくるし情熱的になる。40〜50代の警察や造幣局に勤める男女も、それどころじゃないときに割と道ならぬ恋に燃えてたりするし、歳の差とか関係なく息子みたいな若い男の子にも情熱を燃やしたりする。(ちなみに改めて書くけどこれは強盗するクライムサスペンスのジャンルのドラマです。)
数々のアメリカドラマを30年近く見まくってきた私だが、この陽気さや感情豊かなパッション溢れる感じがあまりアメリカドラマではなかった気がする。
すぐ恋に落ちるのはアメリカドラマでもよくあるし、自分勝手なキャラはどこにでも出てくるが、スペインのこのドラマのキャラクターは全員憎めないし、欲のままに生きている感じもあるし、見ていておもしろいし、突き抜けている気がする。
ワイン飲んで歌って踊って恋して怒って騒いで笑って、マシンガンをぶっ放す。
頭脳を駆使した強盗&脱出劇であるはずなのに、なんだかバカバカしかったり、人間臭くて楽しい。ざっくり言えば、インド映画に近い雰囲気がある。いやざっくり言い過ぎたけど。爽快感は近い。だから好きだ。

とは言え死者も出る訳で、お前らそんなことやってる場合か!と呼び出して叱りつけたくなるし、何で決められたことをちゃんとやらないのかね、あーあー犠牲者出るよー!と呆れたり、チャオ、ベラ、チャオ、ベラ、チャオ!チャオ!チャオ!と気付いたら私も大声で一緒に歌ってしまうという、見ている方も振り回されて飲み込まれる展開である。
シーズン5の最終回まで公開されているので、もう少し時間をかけて見られるから、楽しみである。

ああ面白かった。
ドラマや映画を10時間以上連続で見ると眼球が痛くなるのを知っているのにまたやってしまった。しかも3日連続で。視力2.0が衰えるのはまだ先延ばしにしておきたいし、平日の夜は眼球をしっかり休めようと思う。
結果的に、紆余曲折ありつつ、なんとかペーパーハウスのおかげで私のメンタルも立て直せそうである。あー、結局スペイン行きたい、が感想。
明日私も「Bella Ciao」をエンドレスリピートでチャオベラチャオベラ歌いながら仕事に向かおうと思う。↓イタリアの軍歌でもあるこの曲大好き。



Netflixのクーポンをくれたポン子さんに感謝しつつ、今日は、痩せると噂のコンブチャのレモン味を飲みながら。


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