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「一緒に社会を変えましょうよ」と言われて断ったが。

先日、仕事で密にやりとりをしている、別の会社に勤めていて私とほぼ同じ立場と年齢の男性と話す機会があった。
仕事の業務の話をしていたが、勤務体制についての話題に移り、彼が「この業界は給料が低いことが問題だ」と言い始めた。
まあ確かに専門職や国家資格を持っている者としては低いかもしれないが、事務職やサービス業等の異業種と比較すると恵まれていると思っている。それに、職場内だけで言えば、私の給料はいい方だと思う、役職手当と残業手当がついているから当然ではあるけど。そしてきっと彼も管理職なので彼の職場内では給料はいい方のはずである。
その男性は、
「一緒に賃金の向上を訴えていきませんか?この業界で働く仲間で組合のような形で声をあげていきましょうよ。一緒に社会を変えましょうよ」
と私を誘った。仕事レボリューション21。
「いや、私、そういうの興味ないので。特に給料をあげろ、と思っていないし、仕事の不満は腐るほどあるけど、給料も含めて勤務体制や働き方としては不満はないので。」と私の中のゲバラが悲しむくらい、秒で断った。
彼とは仕事上の話はよくしていて、仕事で何かしらイベントを立ち上げたり一緒に動くことも多く、同志だと思われている節があり、そんな私が秒で断ったことに非常に驚いていた。
「え?!なんでですか?今の社会に何の不満もないんですか?給料、もっと欲しいと思いませんか?」と言われたため、
「そりゃもっと給料があれば嬉しいし、不満もなくはないけど、私は何か不満があればすぐに経営者に直接言ってきているからね。」と返答。
彼の言い分はこうだった。家のローンとか教育費とか、どう考えても共働きでしか子供を育てていけない給料体系はおかしいと思う、もっと一律に賃金をあげるべきだとのこと。3人目が生まれたばかりの彼にとっては、切実な問題のようだ。
「うーん。そうかも知れないけど、私は子供もいないし、自分だけとか、例えばパートナーと二人で今後も働いて生きていくことを考えたら十分な収入だと思ってるんだけどね。
それに『給料をあげろって言っておいて、お前はそれだけの仕事をしているのか?』と問われたら、自信を持って『してる』ってみんな言えるのかな?私は言えない。自分のしてる仕事にそんなに自信を持ってないし。
自分の仕事に対して今の給料が不当だと思うなら、評価してもらえるようにアピールするとか、高い給料を出してくれるところに移るとか職種を変えるとか、いろいろ不満の解消方法はあると思うし。組合を作って声をあげるのも一つの方法ではあるやろうけど、私はいいかなー。
給料が下手にアップして、『こんなに給料をもらってるんだから貢献しないと』って職場に対してプレッシャーを感じながら働くよりも、『安い給料で働いているし、いつ辞めてもいいし、休んだっていいや』って思いながら働く方が私は気楽ですけどね。」と言う私の言葉に彼はまたまた目を丸くした。
「のりまきさんは謙虚だなー」
と言われて今度は私の方がひっくり返りそうなくらい驚いた。
「謙虚!」言われたこともなければ思ったこともない。
「厚かましい」「偉そう」「ずうずうしい」はしょっちゅう言われるが、そんな私が謙虚だなんて。
彼は、我々(彼と私は医療の端っこの方のそれぞれ違う職種)は専門職として働いているのだからもっと要求していいはずだとの考えだったが、
私自身、そこまで自分の仕事を特別視していないし、有資格者として仕事をしているが資格がなくてもやれる業務も多いし、どの業種の仕事も、種類は違うがしんどいものだしストレスがかかるのは同じだと思う。
専門職って言ったって、誰かが辞めたって代わりはきくし、社会はそうあるべきくらいに思っている、その方が休みやすいから。
業種とか職種などであまりあからさまに優劣をつけたくないなと思っている、現実には優劣はついているが。
この業界の人たちは、自分の働いている業界しか知らない人たちが多く、自分たちの仕事が他よりも大変で特別だと考える傾向がある気がする。
それがいいとも悪いとも思わないし実際に医療従事者という存在はそうかも知れないけど、私は使命感を強く持って働いているわけではないからか、あまりそういうことを考えない。
私はいわゆるエリート一本道ではなく、アルバイトやフリーター経験もあり、飲食のサービス業や教育現場その他いろいろな職種をかじってきてから今の仕事をしている。辿り着いた、と書きかけたが、まだゴールな訳じゃなく、今の仕事はあくまでたくさんしてきた仕事のうちの一つでこの後また別の世界に行くかも知れない。一生を捧げるやりがいのあるものではなく、たまたま今この仕事をしているだけ。それくらい気楽に考えている。まあこの捉え方にも賛否あるらしいが。だけど、どの仕事も、そこで頑張って役目を果たしてきたつもりではある。
営業事務をしている私の友達のしめちゃんの話を聞いていると、営業のおっさん連中よりもしめちゃんの方がよっぽど仕事ができるし、その人たちのフォローばっかりしつつ、2~3歩先を予測して仕事をしているし、しめちゃんの方がよっぽど替えの効かない専門職のような気がする。
この人がいないとその会社は回らないんじゃないかと思っている。
その現場や会社で能力の高い人こそが、給料をたくさんもらうべきだとは思うが、社会は決してそうじゃない。
できる人を優遇すれば「じゃあ役に立っていない人は意味がないのですか?」という考えもあるし、決してそんなことないし、いろんな人がいて仕事をしない人できない人がいるおかげで、集団力動としてその中から仕事をする人できる人が出てくるとも言える。
「そこに文句を言っても現実は変わらないから、無駄な労力は使わない。」しめちゃんはそう言って諦めている。

私ももしかしたらみんなで集ったって社会が変わるはずないと諦めているのかもしれない。
だから社会を変えようと誘われてもこれっぽっちも参加する気がないのかもしれない。
自分さえ良ければいい、人のために一丸となって戦う気がない利己的な人間なのかも知れない。
自分は堂々と声をあげることができるからと言って、一人で声をあげられない人のために集まって、人のためにみんなで声をあげようという発想が、協調性のなさゆえ持てないのかも知れない。
私という人間は…。
私とは…。
社会とは…。
革命とは…。(今話題の3点リーダー症候群?なんやそれ。)


脳内でうずまく言葉をうまく繋ぎ選びながら、私はこう言った。
「私は給料のいい悪いではなくて、休みをとりやすいかどうかで職場を選んでるので、今の職場には不満はないんですよ。感謝しているくらい。有給休暇は働き出してから10年以上、ずっと100%消化できているし、3週間連続で休みが取れる職場なんてなかなかないし。
もしも、それをさせてもらえなくなったら、組合でもなんでも作って率先して声をあげますけど、まあその前に、上に自分の口で直接言いますよ。
多分集う前に自分でおかしいと思うことは言う。それでも無理そうなら集う。
休みを自由に取れるって、高い給料をもらうよりも難しいことだと思うし大事なことだと思うので私は。
給料についてはそれほど疑問に感じていないから、我が事として他人のために動けない。すみません。そんな感じですかねぇ。」
うん、そんな感じだ。

彼は「そんなの当然の権利じゃないっすか。有休でしょう?権利を行使することは労働者として当たり前のことですよ。」と言った。
いや、君んとこの会社は全然有休とれてないらしいやんか。私以外で3週間連続休んでいる役職の人になんて会ったことないぞ、社会を変える前に当たり前のことをやれるようにするのが先ちゃうんか、と突っ込みたくなったが飲み込んだ。
「人それぞれ働く上での大切なポイントが違うから、私は自分が率先して休むことで、自分の職場のみんなが、有休を自由に取れること、100%取れることに力を入れて推進していくし、給料のことはそちらで頑張ったらどうですか?あなたのような人がいるおかげで、社会は変わったりするんですよ、多分。知らんけど。」
と応援(?)して最後まで誘いを断り続けて話を終えた。

彼にとっての「社会」は日本、もしくは地球だが(次の彼の話題は地球温暖化をどうにかしたいという話だった)、私にとっての「社会」は半径10メートル程度の範囲でしかない。私も彼もどちらも、居心地のいい社会にしようとは思っているんだなあと思うことにした。
そういう意味では、私だって自分のいる社会を変えたいと思っている革命家であることを再確認した。

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写真はキューバ、ハバナのゲバラんち。
私は革命家に憧れている。


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