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友達の「しめちゃん」と正義感

昨日もまた地元の友達と話したことについて、しばらく考えている。
近所に住む幼稚園で出会った友達は、私に「人間には、示す側と示される側の2種類がいて、役割が変わることはないねん。示す側はずっと示し続けて生きていって終わるねん。」と悟ったように示してくれた友達なので、
「示(しめ)ちゃん」と、私のnoteでは名付けることにした。
前回のしめちゃんの話はこちら。


しめちゃんは人間が嫌いで、会社などで嫌いな人が現れると、「小学校や中学校で、もしも自分と同じクラスだったらそいつはどのグループに属してどんなキャラクターだったか」を考える。それは私も必ずやる。
しめちゃんは正義感のあるヤンキーキャラ(あくまでキャラでヤンキーではないと本人は言う)な中学生だったので、大体嫌いな人のことは、
「もしも中学で同じクラスやったら、絶対どついてたわ」
と言う。会社ではどつかないよ、と言いながら。しめちゃん、それは当たり前です。
しめちゃんと私は幼稚園も中学校も同じだったが、中学校で成績が良くて先生にひいきされているようなキャラだった私にも、茶髪で短いスカートを履いた別のクラスのしめちゃんは優しかった。しめちゃんの周りにいる子たちはみんな派手でヤンチャそうで怖がられていたが、私はしめちゃんを怖いと思ったことはなかったし、どつかれたことも一度もない。


小学校や、特に中学校でどんな子供だったか、というのは結構その後のパーソナリティーや人生に関わってくる問題だと私は思っている。
中学校の時に誰かをいじめていたやつは、それなりに要領が良くてカリスマ性やコミュ力のあるやつなので、きっとまともに大人になって結婚して子供の親になっていて「いじめはダメよ」と教えているし、会社に潜んで飲み会ではしゃいで出世とかしてるはずだ。私としめちゃんはそういうやつをいつまでも許さないぞ、という気持ちを勝手に持っている。


真面目な私と茶髪のしめちゃんの共通点として、中学校の時、集団から、からかわれたり無視されたりしている子を周りが反対しても助けようとしていたことだ。
私たちは正義感、という名のもとに同じような行動をとっていたが、
しめちゃんは、ストレートにいじめてるやつの方が嫌いという気持ち、
私はいじめられている子を一緒になって見て見ぬ振りする自分が許せないという気持ちで、モチベーションのベクトルは少し違う。
どちらにしても、子供時代に誰かにいじわるしたり、いじめたり、汚いことをしていたようなやつが何食わぬ顔で社会に潜んで過ごしているのを許せないし、会社で嫌なやつがいると、そいつが中学生時代どんなやつだったかを注意深く妄想する。変な日本語だけど。まあこの話は脱線なので、また別の機会にするとして、本題に戻る。

しめちゃんはある日、電車通勤で、駅のエスカレーターに乗ってるところを後ろの変態に携帯でスカートの中をパシャっと撮影されたのに気づき、その男をとっ捕まえて、壁ドンし、データを出せ!と凄み、携帯を奪って全てのデータを削除した武勇伝がある。そして、二度と顔を見せんなよ、と言い、逃がしてやったらしい。今からほんの数年前の話だ。さすがは元ヤンキーキャラだ。そんな変態はどついたっていい。尊敬に値する。しかし、そこまでやるなら逃がしてはダメだよ、しめちゃん。警察に突き出さないと。
私はというと、夜の電車の中で酔っ払いのおっさんに絡まれているおとなしそうな女の人を見かけて、同じ車両の他の男の人もみんな見て見ぬ振りしていたことに頭にきて、女の人を助けようと思い、「嫌がってるからやめたら?」と映画ジョーカーみたいに口出しをしてしまったことがある。
すると、おっさんの矛先は私に向かい、「お前関係ないんじゃ、黙れブス!」と罵られ、その隙に女の人は別の車両に逃げ、他の乗客は変わらず沈黙した。まだ20代後半だったので勇気がなく睨みつけるだけで終わり、悔しかったが私は車両は変えずに、その車両に堂々と乗り続けて自分の降りる駅で降りた。視線が痛かったし、私が悪いことをしたみたいな空気になった。
こういうことに私はよく遭遇していて、この当時付き合っていた男性に話すと「お願いやからそういうことはやめて。のりまきの正義感は時々いきすぎるからそのうち危険な目に合うよ」と心配されていた。


正義感とは何だろうか。
私がしていることは勘違い世直し?危険なことなの?
それより公衆の面前で「ブス!」と言われたところに関して、否定して欲しかったぞ。
まあ、それはいいとして、どうしたらいいのだろうか。
私が屈強な男なら心配されないはずだ。残念だ。
体が屈強な男しか、正しいと思うことをやれない、嫌な目にあっている人を救えない、言いたいことを言えない世の中なんてポイズンだ。
しかし、今や、屈強な男だとしてもいきなりブスっと殺られるような時代だ。どうしたらいいのか。
考え抜いた結果、
スマホを取り出して撮影するフリして、いや本当に撮影してやってもいい、そしてSNSで流して炎上させてやろうか?と脅すことにしようか。暴力に脅迫という手段で対抗するのは不本意だが、誰も味方がいない場面だし誰かを守るためなら仕方ない。今の時代にふさわしい戦い方、武装の仕方をしていかなくては人や自分を守れないのかも知れない。

なんてことを考えたりしているのだと、しめちゃんに話すと、「変な方向に頭の回る人は違うなー」と感心されつつ、「私は自分を守るだけで精一杯や」と言った。
しめちゃんは会社でセクハラにあって泣いている子に声をかけて長い時間、話を聞いてあげる羽目になり、「それは会社がおかしい!」と思い、直接しめちゃんが上司に文句を言った。すると、その後、そのセクハラにあった子が、おじさんたちの飲み会に自ら進んで女一人で志願し、無理しなくてもいいんじゃないかというしめちゃんに、その女の子は「それが自分にできる可愛がられ方で、武器なので」と言われたようだ。
しめちゃんは相当モヤモヤし、結局、人間という生き物は複雑なので、人のことまで口出しせず自分を守るだけでいいなと改めて思ったらしい。

そんなことを思うしめちゃんだが、多分その女の子のことはこれからも気にかけ続けるだろうし、泣いていたら心配をするだろうし、会社のやり方に文句を必ず直接上司に言いに行く。
私も、痴漢や輩に絡まれている女の子がいたら、今度はスマホをムービーモードにして助けに入ろう、と思っている。


しめちゃんは初めて会った幼稚園の頃から、一貫してかっこいい女だ。彼女こそ正義だと思えることが多い。
しめちゃんの方も私のことを、昔と変わらずいい子だと言ってくれている。
こういうしめちゃんのような友達に恥じない自分でいたいと思うのが、私の正義感かもしれない、とふと思った、というだけの話。

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写真は、また私の大好きなインドの女神、カーリー。血と殺戮を好む戦いの女神。



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