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途中ですぐ飽きる件

勝手に岐阜観光大使を名乗り、毎日、岐阜旅をnoteに投稿してきたが、実のところ、旅から帰ってすぐに、書きたいことがたくさんあったから、思いつくまま1日で6本くらい一気に書きあげてしまった。


それから、また思い出したことなどを書き足す作業や、撮った写真を貼り付けたりしているうちに、少し飽きてしまい、いかんいかん、と思ったりしつつ、何とか毎日noteを投稿していたが、心は飽きていた。
私はとにかく何でもすぐ飽きるので、何に対しても最後まで同じ熱量でやり通すことができない。
面倒くさくなってだんだん適当になってパッタリとやめてしまう。
noteも、書くこと自体は好きで、これに関しては全く飽きないから毎日300日近く連続投稿が続いているが、内容で言うと、続きものなのに途中で終わってるシリーズが多い。


恋の話も、インドのキットカットの話ラダックの話も、ポルトガルの話(①で終わっている笑)も、阿里山の話も、あと何だったかな。忘れてることを忘れた。あ、ソロキャンプも実はまだ書こうと思ってたことがあったのに途中でやめた。
続けて同じテーマで書いてると、だんだん飽きてきて別のことを書きたくなってきて、前のネタを書き続けるのをパッタリとやめちゃう、そして今更あの続きを書くのもなぁ気が乗らんなぁとなってしまうのだ、私という人間は。

岐阜の旅日記も危うかった。
何度か飽きてしまい、もう岐阜のことを書くのやめて、台湾の話を書こうかなと思ったし、現に台湾の続きをnoteに書いて下書きに入れた。
それでも、何となく、今回だけは途中でやめずに岐阜のことを最後まで書いてみようかなと思い、写真だけにしたり、つぶやきを挟んだりしながら、自分がこれ以上飽きないように何となく工夫して書いていた。
岐阜旅が楽しかったから書きたいことはたくさんあった。
しかし、楽しかったということと、毎日同じテーマで書き続ける気持ちを維持するのとは全く別物なのだということが分かった。
岐阜旅のことを書くのに飽きて、やめようかなって思った頃に、「面白いです」とコメントしてもらえたり、運良く編集部のおすすめに取り上げられたことで気を良くして何とか書き通すことができた。良かった良かった。
ありがとうございます。

だけど、これがやっぱり私の弱点だなぁと思った。
何にしても、最後まで走り通すことがとても難しい。
長距離走、中距離走に向いてないなぁと痛感した。
スタートダッシュの勢いでいかないとダメなようだ。
自転車を最初に猛烈に漕いで、楽しくてハイになり猛スピードを出すが、しばらくすると漕ぐのをパッタリやめて余力で下り坂を進むだけでそのうち止まってしまう。もう漕ぐ気にならない。そんな感じに近い。
私の気質的に、その気になった時のやる気フルスロットルのタイミングを逃しちゃいかんのである。
そういう時にチャリンコ立ち漕ぎで漕げるだけ漕いで、絞り出せるだけ絞り出し、いつか必ずやってくる止まる時、飽きのくる時まで(それは割とすぐにやってくるのだが)、やれるところまで楽しんで夢中になってやる方法がピッタリなのだと思う。
そして飽きたらよそ見して違うことに熱中して、また戻れたらラッキーくらいな気持ちで。
今ふと思ったが、好きなことですら途中で飽きるのに、好きでもない部屋の片付けなど継続してできるわけがないなぁと思う。そりゃ、部屋がすぐに散らかるわけだ。 


私は心のままに生きていたら、ただただ怠惰で中途半端な人間に転げ落ちるように堕落してしまうタイプなので、ノッてる時、ハイな時に多少無理してでも行けるところまで突っ走るべきなのだ。
その後は時々自分を奮い立たせないといけないし、何とか途中で手を抜いたり、他人の力を借りたり、運すらも利用してモチベーションをどうにか維持し、飽きたり脱落することを少しでも先延ばしにして生きるしか方法はないなぁと思う、今のところ。
弱点を克服しようとかストレスのかかりそうな方法はできる限り選ばないことにして。
自分を誤魔化したり、手を抜いたり、サボったり、休んだりが要領良く上手になってきて、そういったことへの後ろめたさや罪悪感もなくなって、色々図太くなってきているお年頃なので、何かに飽きたら、違う面白そうなことに飛びついてみたり、ありとあらゆる手を使ってやり過ごす生き方が今は気に入っていたりする。
そんな気づき。

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写真は台湾の台中の彩虹眷村の壁画。これだけ飽きずに熱中できるのも才能だと思う。






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